56. 夜が明けるまで
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すべてが終わり、倒れ込むようにして床に就いたシーナが目を覚ました時、自分がどこにいるのか一瞬分からなかった。
(あ……ここ、離れの大広間だった……)
思いがけない再会に四人で積もる話もあるだろうと、清司さんが気を利かせて、法事の時に檀家が使用する離れの和室に、客用の布団を並べてくれていたのだった。
シーナとしても、アーレンたちの近況やら戦後の王国の様子やら、訊きたい事も話したい事も山ほどあったのだが――如何せん、気力も体力も限界だった。
「ふぅー……」
寝すぎた時のような気怠さが全身を襲っていたが、いやな感覚ではない。
かと言って、勝利の爽快感ともまったく程遠い気持ちだった。
命を奪う行為には、いつまで経っても慣れはしなかった。
リーファに関しては再生の望みがあるだけ救いが存在するが、アンデッド化されたヤクザの数名は完全消滅し、けして元には戻ってくれない。
殺さなければ殺される立場であっても、たとえ相手が魔族やアンデッドでも、心の置き処にいつも困ってしまう。
額に掛かった前髪を、右手で撫でる。
流れるような銀髪の感触ではなく、黒髪のふわっとしたそれだった。
「私、愛に戻ったんだ……」
誰に向けるともなく、寂しげに微笑んでみせた。
愛の隣ではアランがまだ、アランの姿のまま布団にくるまって、静かに寝息をたてている。
リトとアーレンは既に起きていて、その姿はなかった。
きっと母屋にでも行ったのだろう。
ふたりの内部に居る敬と亜蘭のお蔭なのか、布団はきちんと畳んで整えられていた。
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軽やかな足音が聞こえてきて、ふすまがそっと開いた。
「あっ、シーナ、愛ちゃんに戻ってるぅ、かわぃーい。はじめまして、愛ちゃん」
顔だけを出したアーレンが、愛を見つめてにっこり笑う。
「おっ、どれどれ」
「リトはまだ入っちゃダメっ!」
真顔になったアーレンは、胸元の両襟を掴んで、服を整えるようジェスチャーした。
適当な大きさの女性ものがなかったため、浩輔さんの道着を借りたまま寝ていたのだが、シーナから愛にサイズダウンしたせいで、なるほど道着がはだけてエラい事になっている。
ズボンに至っては、かろうじてお尻の下に引っ掛かっている有様だ。
愛は頬を赤らめつつ、そそくさと道着を締め直した。
愛はまるまる一昼夜相当、眠り続けていたらしい。
リーファとの戦闘浄化もろもろで、魔力がほぼ枯渇するまで頑張っただけに、無理からぬ処だった。
「俺たち、女神さまと話をしてきたよ。リーファを救ってくれてありがとう、と是非シーナに伝えてほしい、ってさ」
胡坐をかきながらリトが切り出した。
「えー。私も女神さまと直接お話ししたいんだけど、言いたい事だってあるし……お逢いできないのかな?」
「うーん、言葉を濁していたけど、本来なら君たちの世界には、女神さまは関わっちゃいけないらしい。こうやって時間を止めて結界を張ったのも、かなりの特例だったようだよ」
「ふうん……」
やや納得しかねる表情で、愛が相槌を打つ。
「で、これからの話なんだけど。あたしたち、そろそろ戻んなくちゃいけないんだ……」
「え、今すぐ?」
「どうやらそうみたい――」
歯切れの悪い様子でアーレンが肯いた。
「えー。用が済んだらとっとと帰るなんて、ずいぶん水臭いじゃない。アランだってまだ元に戻ってないし、そもそも宮崎帰るのにアーレンの転移魔法必要だし、居てくれなきゃ困るよぉ」
「愛ちゃんが話すと、可愛らしく感じるな」
「ねー。そうでしょ」
「もぅー、話ちゃんと聞いてよね?」
顔を見合わせてニヤニヤするリトとアーレンに、愛がブンむくれ、その様子が可愛らしくて、ふたりはまた笑った。
*
「ごめんごめん、ちゃんと聞いてるさ。どうやら女神さまの都合らしくて、こっちの世界への干渉が、限界に近付いてるんだってさ」
「転移魔法だけど、女神さまが亜蘭ちゃんに付与してくれた。身体を貸してくれたお礼という事でね、コツさえ掴めばこれからも使えるそうだよ」
「大盤振る舞いだね。マナはこの世界にもあるから問題ないとして、でもあの魔法は使い方間違えると、エラい事になっちゃうよ」
「そそ、使うたびマッパになっちゃうし、向こうに人居ないと、帰れなくなるからね。亜蘭ちゃんもそれは承知の上だよ」
「身体を貸してくれたお礼――て事は、お兄ちゃんも何かもらったの? 敬お兄ちゃん」
「多少の事では壊れない丈夫な身体、だってさ。敬くんの身体、元々相当鍛えてあるけどね。まだ若いのに大したもんだ」
三人が話している間に、布団にくるまっていたアランから、ぼおっと白い光が漏れてきて、それが何を意味するのか、一同はすぐに理解した。
「ドーセツくん、やっとお目覚めか」
「アランのハンサム顔もとうとう見納めかぁ。あの顔で話すキッツいお国訛り、可愛かったけどね」
果たしてひょっこり現れた寝ぼけ眼は、愛嬌たっぷりのまんまる顔だった。
「なんね、みんなもう起きちょったとか」
「おはよう、ドーセツくん。私が現し世でのシーナ――染矢愛よ、はじめまして」
愛はなるべく不自然にならないよう、ドーセツに向けて微笑んでみせた。
ドーセツは、愛の顔を見るやガバッと跳ね起き、次の瞬間には土下座の体勢でこっちに向かってスライディングしてきた。
「あああ、あのな、染矢さん、俺がアランん時っ受けたプロポーズの事やが――」
「その話は、後、後。リトとアーレンがもうすぐ帰んなくちゃいけないんだって。女神さまからの伝言もあるから、まずふたりの話聞こうね」
*
「あ――」
離れを出て母屋に向かった一同は、訪れた変化にすぐ気付いた。
「時間、動き始めた」
「そうだね」
外は今までの薄明かりではなく漆黒の闇、つまり深夜で――そして少なからぬ冷気が辺りを覆っている。
女神が張り巡らせていた結界が解けたのは一目瞭然だった。
「女神さま、結界を解きさえすれば、魔力は節約できてるんじゃないかな」
「そうか。でも今度は周りの時間も一緒に動いてるから」
「うん、夜明けにはまだ余裕あると思うけど、急がなくちゃね」
夜が明けるまで、あと3時間といった処だろう。
しかしそれまでにリトとアーレンに別れを告げ、道雪と亜蘭を送り出し、日常生活に戻らなければならない。
何しろ現実世界では、MIRAIリーグ優勝を懸けた、佐久長姫との天王山が控えていて、世界を救う激闘の後でも練習を休むわけにはいかなかった。
残された時間が惜しくはあったが、愛はまず自室に戻り、ぶかぶかになってしまった道着を着替える事から始めた。
そして道着のままの道雪とアーレンのために、防寒用の丹前を二着用意するのも忘れなかった。
「話したい事、話すべき事はいろいろあるんだが……さて、何から話そうかな」
居間に再集合し、温かい玄米茶を啜りながら、リトが話を切り出した。
「まず向こうの世界ん事、知りたか。お前ら今、どけ居っとかい」
道雪の申し出に、リトがにやりと笑う。
リトとアーレンがいつまでこの世界に居られるかは、いわば女神の匙加減ひとつに掛かっている状況である。
女神からの伝言を早々に果たしてしまえば、彼らはすぐに送還されてしまわないとも限らない。
つまり今は、『話すべき事』よりも『話したい事』を優先させる。
そんな道雪の意図を、リトはいち早く汲んでくれたようだった。
「そうだな。魔王を倒したその夜にアランもシーナも居なくなっちまったから、きちんとしたお別れさえできなかったもんなあ……俺とアーレンだが『最果ての村』に居る。かつて『最果ての砦』と言われた処だ」
「え――」
道雪と愛は、思わず顔を見合わせた。
ガーディアンとしての力量だけでなく、卓越した防衛プランで数々の都市や村々を救ってきたリトの功績を考えると、王国軍を統べる将軍や元帥に招かれておかしくはないし、攻撃魔法のエキスパートであるアーレンにしても、魔法界の主席に君臨して然るべき存在である。
それが元魔王領の喉元、リーファとの最終決戦で壊滅し、おそらく村としての機能すら覚束ない僻地に居を構えている。
ふたりの実力と功績からは、それはあまりにかけ離れた現在地であった。
「なんね、王都でなんか、やな事でんあったとかい」
「いや、王都には戻らなかった」
「リト言ってたじゃないの、故郷に錦を飾るんだって――村に帰ってないの?」
「……うん」
黙ったままのリトに代わってアーレンが応えると、ふたり同時に玄米茶で喉を潤した。
「魔王を倒した後、勇者アランと聖女シーナは女神に召された。残された俺たちは、帰還後すぐに魔族の残党を討ちに元魔王領に向かい、それきり行方不明、そういう事になっている」
「魔族の残党って、そんなに厄介だったの?」
「名のある魔族はみんな倒したろ、たまに襲撃はあるけど大したこたない。至って平和に暮らしているよ」
「平和、って――魔族の襲撃受けて、そんなわけないでしょ……」
「大丈夫だよ。ほんとにあたしたち、大丈夫だから」
アーレンがわざと屈託のない笑顔を作ってみせたのが、付き合いの長い愛には分かってしまった。
「俺たちが王都に戻れば、王国の侵略行為に加担させられる。そして俺たちが絡むと、小競り合い程度の争いが、大陸全土を巻き込む戦争になってしまう。そう判断して身を隠したんだ」
「――いったい、何があったの?」
青ざめた顔で、愛が立ち上がった。




