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54. 『別れの曲』



 戦後処理は粛々と行われた。

 まずは境内に連れて来られたヤクザの皆さん、総勢34名。

 深傷を負っている者も少なくないうえに、人数も多く、いろんな意味で彼らには眠ってもらう事にする。


 まずリーファが、ひとりひとりを抱きしめながら、魂の闇を吸い取り、自らの魂の中へ取り込んでいく。

 流れゆく34人分の暗黒を見る能力があり、そしてその意味が分かるシーナにとっては、背筋の凍る所業であった。

 もし自分がリーファと同じ事をやったなら、とても正気は保てないだろう。


 魂の浄化を終えた順に、アーレンが彼らを片っ端から眠らせていった。

 そうして眠ったヤクザに『治癒』を施すのが、シーナの役目である。

 



 『浄化』で無力化した連中は大した事なかったが、アーレンの『氷結』は強力かつ容赦がなかった。

 標的にされた全員漏れなく両眼と利き手をやられ、凍傷どころか壊死にまで陥って両眼は完全失明、利き手は銃と一体化して原形をとどめていない。

 氷の柱にされたアニキに到っては全身凍傷で、ほぼ死にかけていた。


 そんな深傷さえも、『治癒』はほぼ元通りに治してしまう。

「ひえー、相変わらずシーナの『治癒』はエグいなあ。さすが聖女だよね」

 舌を巻くアーレンだったが、施術に集中しているシーナは、顔を上げようともしない。


「私の『治癒』は、形状を少し前にあった状態に戻せる力みたいなの。だから癌みたいな、長年かけて身体を蝕む病気には、『祝福』の方がまだマシなくらいだし、目の前の人しか助ける事が出来ない……例えばリトの防衛プランのように、たくさんの人を助ける能力にも憧れるけど、そこは向き不向きがあるもんね」


「ははっ、シーナに言われると、何だか照れくせえな」

 この場面ではまったく役立たずの男ふたりは、並んで突っ立って傍観するばかりだった。

「リトは羨ましかね。俺なんか、相手を殺す技能しかなかもんなぁ」

「ドーセツはその技能で、世界そのものを救ったんだろ。もっと誇れよ」




 シーナが最後のひとりを治し終え、拳銃を押収した清司さんが眠っているヤクザたちを拘束し直して、ようやくひと息ついた頃、袈裟を下げた僧侶姿に着替えた浩輔さんが本堂から戻ってきた。

「住職の円輔えんほと申します。供養の支度が整いましたが、リーファさんお疲れではありませんか」

「いや、畏れ入る。是非一緒に祈らせてほしい」

 リーファは浩輔さんの真似をして、合掌しつつ一礼した。


「俺たちも一緒に来っど」

 アランの顔をした道雪が呟く。

 ここに居る面々は、これから供養する魔王に魔族、彼らの大半を殺してきた、まさに当事者である。

 異論の挟みようがある筈もなかった。


「――魔王の供養か……」

 リトとアーレンは本堂に向かいながらも、しかし複雑な表情をしていた。

 アランやシーナとは違い、生粋の異世界人であるふたりにとって、魔王も魔族もはっきりとした敵である。

 リーファを含めた魔王軍に、全滅させられた町も少なくない。

 思う処があるのは無理からぬ事であった。




 本堂に案内されたリーファ、そしてリトもアーレンも、本尊の祀られた内陣だけでなく、建物の内部を興味深げにきょろきょろと見回していた。

「これがこの国の礼拝堂か――素朴だが見事なものだな」

「長い間ずっと、心を込め続けてたのが、分かるよね」


 リーファはいちばん前、真ん中の席に腰掛け、アランとシーナに両隣に座るよう促した。

「こうして祈りを捧げる日が来るなんて、思わなかったな。初めての経験だ」

「魔族は――祈らないの?」

「魔族は個々が強い種族だからな。祈るくらいなら、それを叶えるために行動する。神が自らを祈らないのと、一緒の理屈だよ」


 円輔和尚、すなわち浩輔さんの読経は小一時間ほど行われた。

 時間は深夜、しかも激しい戦闘の後で誰もがくたくたに疲れていたが、シーナの精神は冴える一方だった。

 ――今、祈っているのは、私が直接手を下した、魔王に魔族たちのため。

 こうして祈る事が彼らの、そして自らの救いになるのかどうなのか、考えれば考えるほど、シーナの心は混乱した。


 ――憎しみの心を持ち続け、殺し合っていた過去と、不倶戴天の敵であったリーファ、そしてこれから私が殺す事になるリーファの、隣に腰掛けて一緒に祈るのと、どっちが精神的に楽なのだろう。

 生きる事に、楽な道なんて、ない。

 そう思う他にはなさそうだった。




 円輔和尚の読経が終わり、説法が始まった。

 南無阿弥陀仏は、現し世に生きる私たちの不安を取り除き救いを与える、という内容だった。

「リーファさん。あなたの穢れ神のお話を伺いました。あなたは魂の不安を取り除き、救いを与えていたのだ、と理解いたしました。阿弥陀如来さまと、同じ御業を執り行ってきたリーファさんの魂に、救いが訪れますように」


「ありがとう――ございました」

 リーファは立ち上がると、和尚と同じように合掌して深々と頭を垂れた。


 気付くと、リーファの澄み切った瞳が、シーナを見つめていた。

 リーファのそんな表情を見るのは初めてだった。


「シーナ……」

 リーファが言葉を発する前に、シーナも立ち上がり、リーファの両手を取る。

「リーファ、もう少しだけ時間をくれない?」




 シーナは一同を居間に集め、自らはグランドピアノの前に腰掛けた。

「すんごい上等なピアノだよねー。もしかしてこっちのシーナ、貴族のお嬢様かなんか?」

 今さら気付いたかのように、アーレンが驚嘆の声を上げる。


「日本に貴族なんていないよ、全然フツーの家庭だよ」

「そう……ほんっと豊かな国だよね、ここ」

「物質的には、ね」


 腰掛けたままくるっと向き直ったシーナは、リーファに微笑みかける。

「リーファは多分、魂だけになると思うの、妹の女神さまはきっとリーファを思ってくれてるし。何も持って行けないなら、せめて私がピアノで、贈り物をしたいと思うんだけど……いいかな?」

「ありがたくいただくと、するさ」

 リーファが、はにかんだような微笑みを返してきた。


「おう、シーナのピアノ、久しぶりに聴くな」

「楽しみー」

「リトとアーレンにも、あとで曲を贈るね」

 シーナは穏やかに微笑んだ。




 曲目はピアノの詩人、ショパンの手によるピアノ練習曲。

 通称『別れの曲』。


 しかしメロディ提示の冒頭から、シーナは全力で鍵盤を叩いた。

 可能な限り和音を重ね、フォルテッシモかつレガートを利かせて、音を太く、力強くさせる。

 ピッチも原曲のホ長調からイ長調に1音下げて、より豪快に荘厳にした。

 2音上げたト長調も考えたが、それではメロディの持つリリシズムが霧散してしまう。


 ――これで、いい。

 別れをしっとりと、涙で迎えるつもりは、さらさらない。

 始めの一音めを響かせたシーナは、選択の成功を確信した。




 ピアノは、私の声。

 私はピアノを使って、リーファに最後の別れを告げる。

 グリッサンドの部分はさらに音を太くさせ、リズムさえ無視して、激情のままに。

 降りていく音階で、音の大河を上流に遡らせる。

 水の流れ、時の流れに、逆らってみせるかのように。


 そして、メロディ提示の最終音ですべての指を使い、有り得ないほどのメチャクチャな和音を響かせた。


 ここからはインプロビゼーション。

 左手のベースとドラムは、跳ねるような、それでいて明るいリズムを叩き出す。

 それが馴染んできた処でメロディを再び奏で始めたが、手は絶対に抜かない。

 右手一本でも音を重ね、指を滑らせて、主音階が消えそうになるのも厭わなかった。


 さよなら、リーファ。

 あなたのことは、もう憎くはないし、しかし過去を思えば、今日からは手に手を取り合って親友になれる、なんてお花畑な未来は、絶対にないだろう。

 過去に起こしてしまった互いの罪、奪っていった多くの命。

 それらはけして消えないし、取り戻しも叶わない。


 それでも――それでも、隣り合って一緒に祈ったり、普通に微笑みを交わしあう……

 そんな日が来るなんて、思ってもいなかった。


 リーファ。

 私、今夜のことは一生忘れない。

 そして今夜の出来事、私が、リーファの魂に刻み付けてやるから。

 私の、ピアノ、

 私の、魂を、


 刻み付けて、やる。


 最後のメロディ提示は、ユニゾンだった。

 澄んだ音色が母屋の居間に響き渡る。

 最後まで弾き終えた処で、気が変わって、さらに最終の4音を付け加える。

 1音上げてホ長調に戻し、原曲に近いしっとりとした曲調で。




 気付けば15分くらいの大曲になっていた。

 最後の音を弾ききったシーナの額に、汗がツッと滴り流れた。


 立ち上がって、一礼をする。

 居間のみんなの処へ向かおうとして、思っていたよりも体力を使っていた事に気付く――足が、付いて行かない。

 ふらついたシーナの肩を抱いて支えてくれたのは、誰あろう、リーファだった。


「シーナ。最後にお前に逢えて、ほんとに良かった」

 リーファの瞳が、シーナを真っ直ぐに見つめていた。


「――改めて、頼む。あたしを、殺してくれ」


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