53. アラン、復活
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「ドーセツ、ドーセツっ」
こめかみから血を流し、ぐったりしている道雪を抱きかかえながら、シーナは必死に『治癒』を掛けて蘇生しようとする。
しかしその手を掴んで邪魔する者が居た。
リーファである。
「何を慌ててるんだ、シーナらしくもない。こいつは勇者なんだろ、『女神の奇跡』持ちじゃないのか?」
『女神の奇跡』というのは、勇者が致死的なダメージを受けた時にそれを無効にしてしまう、つまり死んでしまった筈なのに無傷で復活するという、掟破りと言って差し支えない技能である。
「ううん、ダメなの。向こうの世界で、魔王と戦った時に、一度使っちゃったの……」
何度倒しても生き還るという事は勇者は不死身、万が一勇者が悪者であった場合、世界が滅びてしまう。
そんなわけで『女神の奇跡』は一度きり、というのが人間界の常識だった。
それでもリーファに、動じる様子はまったくなかった。
「なんだあいつ、ろくに説明してなかったのかい。妹からの『女神の奇跡』は使い切っちまったけど、勇者が神に見放されてない限り、他の女神が奇跡を起こしてくれるのさ。つまり奇跡は女神ひとりにつき一回ずつ、てのが本来のルール。支えてくれる女神の数だけ、勇者は復活が可能なのさ」
「うわあ、そいつぁ反則だよ……」
「何べん死んでも大丈夫って、始めっから魔王に勝ち目、なかったんだね……」
リトとアーレンが心なしか青ざめた顔を見合わせた。
「何べんでも、てのは語弊があるねえ……お前たちをサポートしてたのは妹と、せいぜい補佐のもうひとりくらいじゃないかな。他のヤツらは野次馬だよ、ただの野次馬」
知りたくもない神界の裏事情まで暴露されてしまった。
「で。ここに居るじゃないか、元とはいえ女神が」
リーファが照れ臭そうに、自らを指差した。
「リーファ、『女神の奇跡』起こせるの?」
涙に濡れた瞳を上げて、シーナがじっと見つめる。
「闇に堕ちちまったけど、力は落ちちゃいないよ。それはあたしと戦ったお前が、いちばん分かってるだろ?」
シーナは涙をぽろぽろこぼしながら、泣き笑いになって肯いた。
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身を横たえた道雪の胸の上で、リーファが両手を重ねる。
それはちょうど、シーナが強力な『浄化』を掛ける時と、同じポーズだった。
そのポーズのまま、んっんっ、とリーファが咳払いをする。
「女神の御業なんて、久しぶりに使うよねえ……恥ずかしいから、みんな後ろ向いててくれないかい」
言われた通りに一同が後ろを向くと、やがて白い奇跡の光が、周囲を包み込んでいった。
「もう、いいよ」
リーファの言葉を受けて振り返ると、今まさに奇跡が行われている最中だった。
横たわった道雪の全身が、奇跡の白い光で輝いていて、わずかながら腕や脚が動いている。
やがてそれははっきり目に見えるほどに動き始め、人の形をした白い光が、ゆっくりと起き上がっていった。
「ドーセツっ」
「やったかっ」
道雪を覆う白い光は次第に拡散し、辺りを眩しいくらいに照らし、一面を白い世界へと変えた。
奇跡の光がやがて消え、復活した勇者の元へみんなが駆け寄っていく。
「ドーセツ?」
「あれれっ??」
そこに居たのは道雪ではなく、金髪碧眼の美丈夫――つまりアランだった。
「――死んだ親父に会ったの、こいで三度めやっど。『お前何べんけ死ねば気が済むと』ち、呆れとった……リーファけ? 奇跡起こしとったの。まっこちありがとな」
超イケメンのお国訛りは、ちょっとカッコ良かった――イケメンは何をやっても絵になってしまう。
「お? おお? お?」
頭を掻こうと髪を触った道雪が異変に気付き、両手でぺたぺた顔を撫で回し始めた。
「ないで俺、アランになっとると?」
「へえ、興味深いねえ。こっちの世界じゃ、無属性の魔法使うと、向こうにいた時の姿になるみたいだね」
リーファは、アランに変わってしまった道雪をチラとだけ見て、そんな事を呟く。
「あ――そしたら私が、転移した途端シーナになっちゃったのも……」
「転移魔法も、無属性だからねえ」
これで突然シーナに変わってしまった謎が、あっさり氷解してしまった。
「ねえリーファ。私たち、元の姿に戻りたいんだけど――」
「アランもシーナも、今のは向こうでの、仮の姿だろ? 多分そんなに長い間、保ってられないさ。せいぜいまる一日くらいで、何もしないでも元に戻ってくれるだろ」
「そう……よかった……」
*
安堵のため息を吐くシーナを尻目に、リーファは、アニキを閉じ込めている氷の柱を、愛おしげに撫でていた。
「悪かったね……お前の大切にしてるもの、全部奪っちまってさ……お前はよくやってくれたよ……」
リーファが両手を合わせ、祈る時のようなポーズを取ると、アニキからリーファへ、じわじわと黒い何かが移動していった。
「リーファ? 何してるの?!」
「あたしが昔してた仕事を、ここでもやってるだけさ」
問うまでもなく、シーナには分かっていた。
あれだけ汚れていたアニキの魂が浄化され、綺麗になっている。
かつてリーファが穢れ神だった頃そうしたように、魂に宿った恨み辛みのすべてを、リーファが吸い取って引き受けているのだった。
「――そんなことしてリーファ、大丈夫なの?」
「今さらたったの40人分、穢れが増えたとこで、どうってことないさ。最後の罪滅ぼしだ、こいつら全員の魂を綺麗にしてから、死ぬことにするよ」
そう言ってリーファは、寂しげに苦笑した。
「――この世の中、善人になったからといって、良い人生が待ってるわけじゃあ、ないんだけどね」
「『善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや』親鸞上人の教えです」
拘束したヤクザたちを境内に連れてきた浩輔さんが、合掌をしながらリーファに近付いた。
「悪事を自覚し、迷い苦しむ者を、仏さまはけして見捨てたりはしません。リーファさん、あなたが救われますように」
そう言うと浩輔さんは南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と言いながら再び合掌してお辞儀した。
「神官の方か?」
「いえ、僧侶にござりますれば」
「――神の味方では、ないのだな?」
「拙僧は仏に仕える身。仏さまはすべての生けとし生きるものに、その御手を差し伸べます」
「そうか……それではあたしがこれまで奪った命、それから死んでいった魔王ならびに仲間の魔族に、そなたの祈りを捧げてはもらえまいか」
「うけたまわりました」
浩輔さんはおごそかに合掌し一礼すると、本堂へと歩いて行った。
「リーファ。ここに残って仲間たちの供養をする、というのは、どうなの?」
「あたしはあまりにも、多くの命を奪い過ぎた。魔族の復興という、大義の下にな。その意味について、誰も居ない処でじっくり考える事に、するさ――」
シーナを見つめるリーファの眼が、わずかだが険しくなる。
「だいたいシーナもだな、お前いったい向こうの世界で、どれだけの魔族を殺してきたと思ってるんだ? お前だって、あたしと同じなんだぞ」
「――あ、そうだね……」
リーファを直視出来ずに、瞳を潤ませながら俯く。
「ごめん、リーファ……あたし、なんて無神経なこと……」
「いや、お前を責めるつもりは、ないよ」
そう言ってリーファが遠い目をする。
「種族間の争いごとに、大義はあっても、正義なんかどこにもないのさ」




