47. 決戦直前、月の綺麗な夜に
*
「うをををっ、寒かっ」
境内に出た途端、予想以上の冷気に道雪が身震いした。
「なんね、まだ10月ちゅうのに、こん寒さはっ」
古諸では10月も下旬にもなると『もう』初冬である。
いちばん標高の低い千曲川流域で550mはあるから、祥倫寺近辺では標高700mくらいになるだろうか。
道雪の寒がり方があまりにも大袈裟だったので、少なからずシーナは泡を食った。
「ええっ、大丈夫、ドーセツくん。羽織るもん、取ってこようか?」
「うんにゃ、良か。身体がひったまがっただけじゃ、動いとりゃ、ぬくくなっが」
「そう……」
――それにしてもドーセツくんの強いお国訛り、慣れるのに時間掛かりそうだなあ。
そんな気持ちを隠すようにシーナがにっこり微笑むと、道雪はわずかに目を伏せた。
「で、シーナのやりたか事っち、なんね」
「うん、あのね……」
返事をする前にシーナは、祥倫寺を取り囲む森へと、すたすたと歩いて行った。
紅葉の季節は既に過ぎ、ミズナラやカエデといった、多くの木々は葉を落としていた。
それでもところどころに灌木やススキの茂みが存在し、人が隠れられるスペースはありそうである。
シーナは、清司さんが×印を付けた、ヤクザが潜伏すると思しき処に、次々と魔法を掛けていった。
「なあシーナ。なんの魔法、掛けとっと?」
「『浄化』と『拘束』の重ね掛けだよ。魔の気配を条件に『浄化』が発動するようにして、ヤクザの人にダメージを与えるでしょ。で、『浄化』の発動を条件に、動くものに対して『拘束』が掛かるようにしておくの」
「おう、潜伏組を完封しようっちわけかっ。シーナ頭良かなあ」
「これはさ、私のためでもあるの。私きっと、リトのシールド飛び出して戦うから、いちばん狙われるの、私だもん――やっぱり怖いよ、ピストル相手なんて初めてだから……」
「早よ加勢に来っからなあ、気ぃ付けろよ」
「うん、ありがと」
「――シーナ、こけじゃこけ。こけにも魔法、掛けんね」
道雪が指差したのは、×印が付いてない、一見障害物の見当たらない区域だった。
「オッケ、ここね」
何の躊躇いもなく、道雪の指示通りにシーナが魔法を掛ける。
「あっこも掛けた方が、良かぞ」
「りょうかーい」
シーナは道雪の戦闘的直感を、全面的に信用した。
10年連れ添った仲である。
ふたりはその後も阿吽の呼吸で、準備を整えていった。
*
「――これで後は、リーファが来るのを待つだけね」
シーナと道雪は並んで、初期配置である境内の奥に腰掛けた。
「おつかれさん」
シーナの肩にばさりと毛布が掛けられ、ふたり一緒にくるまった。
道雪のたくましい肩が密着し、男臭い体温が伝わってくる。
「ほれ」
ポットに入った温かいお茶が差し出される――元々はシーナが用意したものではあったが。
「ありがと」
夜の冷気に、道雪とお茶のぬくもりが心地良かった。
ふうふう、とお茶に息を吹きかけて、ひと口、ふた口だけすする。
「はい」
「おう」
お茶の残ったカップを差し出すと、道雪はぐいっと飲み干した。
シーナはそんな道雪の横顔をじっと見つめていた。
「ん、なんねシーナ」
そんな視線に気付いた道雪が、ちらとシーナを見遣る。
「ううん、なんでもない」
シーナは道雪を真っ直ぐに見据えたまま微笑んだ。
「――シーナ、あのな、さっきの事やけど……」
「ドーセツくん、夏の大会は残念だったね」
道雪の話を遮るようにシーナが話題を振った。
「いきなりの雷雨でコールド負けだったって、清司さんから聞いたよ」
「ああ、そいは俺のせいじゃった。本由さんち九州四天王とも呼ばれとる凄かピッチャーが相手でな。がっつい燃えたら、雷ぃ呼び寄せたとよ」
「雷光剣も使っちゃったんだって?」
「そうせんと、センターん人が丸焦げになっとこじゃった。仕方なか」
「――大変だったね」
「なんてことは、なか。じゃっどん、試合中に本気出して、雷ぃ呼ばんようにせんとなあ」
「それが大変だ、って言ってるんだよぉ。本気出さずに野球やるなんて、結構無理ゲーじゃない?」
「うーん……なんとかなるんじゃ、なかか? せっかくまた出来るようになった野球、辞める気はなかよ」
野球の話になると、ふたりとも口が滑らかになる。
「シーナの高校は、分かっとったよ。ベスト8っち頑張ったなあ」
「あのね、お兄ちゃんが大活躍だったの。準々決勝だってもう少しで勝つとこだったんだから」
「松商相手にノーノー未遂っち、半端なかが。対戦したら雷ぃ出っかも」
「ダメだよぉ。考えてみれば、野球と雷の相性って、最悪だね」
「ははは、じゃっど」
「私はずっとスタンド応援。出場資格そのものが、なかったから」
「認定試験は受けんかったと?」
「あのね、認定試験受けるのにも資格が要るの。硬式だと2年以上の野球経験。私は高校入ってから野球始めたから、3年春に一度きりのチャンスがあるだけ、なんだよ」
「そうなのか。知らんかった」
くるまった毛布の中で、シーナが膝を抱えた。
「あーあ。そもそも私が野球始めたのだって、あなたに逢うためだったんだよ? 逢えたのは嬉しいけど、はぁ、なんだか拍子抜けしちゃった……」
「……野球、面白くなかか?」
「そんなことない、面白いよ、面白いんだけど……」
シーナが頭をコツンと、道雪の肩に預けた。
「いろんな事は、さぁ……リーファを斃した後で、考えるよ……」
*
そうしてふたりが寄り添っていたのは、わずかな間だった。
毛布をガバッとはねのけて、道雪がいきなり立ち上がった。
「シーナ、キャッチボールすっが」
「え、キャッチボール?」
光の漏れ出る母屋は完全に雨戸を閉め、降るような星空に月明かりだけが頼りの、暗闇である。
だが戦闘モードに入っている道雪にシーナにとっては、それだけの灯りがあれば充分ではあった。
「野球すれば、悩みはたいがいひっ飛ぶ。な、すっが」
「ドーセツくんに合うグラブ、ないよ? お兄ちゃんは左利きだし、私のは――」
「左手に『防御力強化』掛けてくれればグラブ代わりになっが。なあ、すっどすっど」
「しょーがないなあ」
シーナはボールとミットを取りに、いったん母屋へ入っていった。
「お、キャッチャーミット」
「そうよ、私のポジション、キャッチャーなの」
こうして、雌雄を決する戦いの前だというのに、祥倫寺の境内でふたりのキャッチボールが始まった。
ストン。
『防御力強化』を掛けた道雪の左手に、シーナの投げたボールがストライクで入ってきた。
力みのない良いフォームで、ボールの質もコントロールも申し分ない。
――なかなか、やるな。
道雪は一球で、シーナの実力を感じ取った。
ズドン。
道雪の投げたボールを、シーナのミットが受け止める。
そして返球――捕り方も手慣れたものだし、そこからスムースに送球のモーションに入っている。
ストライク、良いボールだ。
「シーナお前、野球、上手かなぁ」
「そぉ? ありがと」
「ドーセツくんのポジションは、どこなの?」
ボールの遣り取りを数回交わしたところで、シーナが訊いてきた。
「いつもはサードやけど、最近ピッチャーはじめた」
「えっ、そうなの? そしたら、ちょっと待ってね――」
シーナが膝や、頭や、身体の前面にそそくさと『防御力強化』を掛ける。
そしてホームベースの位置まで目測で移動し、しゃがみ込んで構えた。
「投げてみてよ、ドーセツくん。私、捕るから」
*
「いいのけ、シーナ? 俺のボール、捕りにくかぞ」
「大丈夫よ、今の私は集中してるから。それよりドーセツくん、普通の靴できちんと投げられる?」
「せがらしかぁ。投げっど」
道雪は振りかぶって、投球フォームに入った。
今や道雪の投げる球種は、たったひとつきりだ。
シーナは捕手の目で、道雪を観察していた。
――右の、オーバースロー。
スパイクを履いてないせいか、やや腰高でいわゆる手投げに近いフォームだ。
身体能力の高さは窺えるけど、本職のピッチャーてわけじゃないわね。
瞬時にシーナは判断した。
しかしシーナに向かってやって来るボールを見て、シーナは評価を一変させた。
――ボールが、まったく回転してない。
球速は130km/h近く、少し速い程度だが、これなら古諸のエースナンバーを背負っている北沢さんの方が速い。
しかし問題は球速ではなく、シーナがこれまでに目にした事がない種類のボールだった。
これからどんな変化をしていくのか、想像がつかなかった。
無回転のボールを注意深く観察する。
案の定、ボールはホームベース近くになると、左右に激しく揺れ始め、そしてストンと落ちた。
――あわわわっ。
シーナは少々慌てながら、ミットを下からあてがうようにしてキャッチする。
「今の……何? 驚いたぁ」
シーナの問いに道雪が、心底感心したように両手を広げた。
「たまがったのはこっちじゃ、俺のナックルを初見で捕るなんち。シーナお前、良かキャッチャーじゃなあ」
「これが、ナックル……初めて見た……」
シーナは捕球体勢のまま、しばらく固まっていた。
「シーナ? 早よボール、寄越さんけ?」
「うう~~~」
下を向いたままぷるぷる震えて、あまつさえ唸り声を上げ始めたシーナに、道雪は怪訝な顔をした。
「シーナ?」
「何これっ、面白ーい!」
ようやく顔を上げたシーナは、満面の笑みでぴょんぴょん飛び跳ねていた。
「ドーセツくん、投げて投げてっ。もっと捕りたーい」
心の底から楽しそうなシーナを見て、道雪もまた微笑んだ。
「分かった分かった、ボールくれ」
だが楽しいひとときは、ここで終わりを告げた。
シーナがボールを返す前に、麓の駐車場の方向で白い光の柱がぼおっと上がり、そして消えた。
どうやら『哨戒』の前に『浄化』が発動したようだった。
「――来たわね」
一気に表情を引き締めたシーナは、ミットとボールを片付けるべく、そして休んでいる一同を起こすために、母屋の中へ駆け込んで行った。




