43. ふたつの再会、そしてリーファ
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長野県古諸の祥倫寺。
浩輔さんが道雪の元に連絡の電話を入れようとしたその時、シーナが敬の異変に気付いた。
「たい、へん……」
「どうしたの? 愛ちゃん」
シーナのただならぬ様子に、浩輔さんも電話の手を止め、敬の顔を覗き込む。
「お兄ちゃんの魂が、身体から抜けてる……」
「魂が抜けてる? それって、どういう事?」
「文字通り、お兄ちゃんの魂が、身体の中にないんです……うわー、うっかりしてたなあ、向こうじゃ結構バタバタしてたから……」
見るからにシーナは泡を食っていたが、敬の身体をぺたぺた触っているうちに、次第に落ち着きを取り戻した。
「あ、大丈夫かも……これ、リーファの仕業じゃないわ、良いマナがお兄ちゃんの身体を生かしてるから。女神さまがやったのね……」
シーナは顔を上げ、にっこり微笑んだ。
「私が異世界に行ったのと同じ状況です。充填されてるマナが少ないから、きっともうすぐ戻って来るわ」
シーナの膝枕で横たわっていた敬が、うっすらと瞼を開いたのは、間もなくだった。
「ほら、戻って来た。お兄ちゃん――と、えっ? もうひとり?」
「やあ、シーナ。相変わらず綺麗だな」
今までに見せたことがない不敵な面構えで、敬がニッと笑った。
「――リト?! リトなの?」
「ご名答。そうか、シーナは魂が読めるんだよな。そしたら大体の事情も分かるんじゃないか?」
「うん……分かる……助けに来てくれたのね、ありがとう……」
これから激戦が予想されるので避難すべき、という提案に、やはり浩輔さんは頚を縦に振らなかった。
少しして警察の事情聴取から戻って来た清司さんも、同様であった。
「敬くんと愛ちゃんの所在が分かってしまった、ということは拙僧たちの事も遅かれ早かれ、連中の大元まで情報が届くだろうね。そうなると多分、祥倫寺に居た方が却って安全だと思う。拙僧たちが死んだ時には、清司の同僚が後を引き継ぐよう、話はついてるし」
「死ぬとか言っちゃやだよ、浩輔さんはもう、私のお父さんなんだから……リトの大盾の後ろが、いちばん安全かも」
敬となったリトが口を挟んだ。
「そこが問題なんだ、シーナ。俺は魂だけでやって来たから、手ぶらなんだよ。大盾の代わりになるもん、何かないかね」
「お兄ちゃんの声で話されると、何か笑っちゃうね……浩輔さん、お寺の鐘、借りていいかしら? なるべく壊さないように気を付けるから」
「鐘? 戦いに使うの? うーん……背に腹は代えられんかねえ……如来さま、お許しください……」
*
宮崎県串馬。
アーレンが目を覚ますと、体格の良い丸顔の少年が、パンツいっちょの姿で、こちらを心配そうに覗き込んでいた。
「亜蘭、目え覚ましたか……冷えたが、居間でひっ倒れて、どげんもこげんもせんかったから……大丈夫か? 気分悪くなかか?」
「アラン? アランなの?」
「亜蘭はお前やろが、びんたでん打ったとかい」
道雪の顔と言葉がおかしくて、亜蘭になったアーレンは至近距離で思い切り吹き出した。
「うぷぷーーっ」
「いしたっ、ないすっかっ」
「あー、ごめんごめーん。何つーかイメージと違い過ぎちゃって。土饅頭でも乗っけたみたいに顔まんまるだしニキビ面だし、思いくそ訛ってるし、金髪碧眼の勇者アランも台無しだねえ。きゃはははは。でもこっちの方がお姉さん、健康的で好みかな。生半可な美男子よっか、ずっと良いよ、うんうん。それにしてもどーしてパンツいっちょなのかな君は。亜蘭ちゃんの魂が抜けたのを良い事に、寝込みを襲うつもりだったのかなーこのエロ小僧」
「そら風呂から出て来たら、はぁ、お前がひっ倒れちょったから――いや待てよ。そん立て板に水が流れっような憎まれ口、どっかで覚えが……」
「そ。あたしが誰だか分かるー?」
「まさか、お前……」
じっと見つめる道雪の目が、まんまるに見開かれる。
「また逢えたね、アラン。アーレンだよ」
「――と、言うわけ。亜蘭ちゃんの魂も、身体の中に一緒に居るから安心してね」
「リーファかぁ。リーファが相手じゃあ、シーナものさんどなぁ」
頬を掻きながらも道雪は、笑顔を堪えた感じで口角を上げている。
「アラン、顔に出てるよ。シーナに逢えるのが、そんなに嬉しい?」
「否定はせん」
「くーっ、ラブラブだねえ。あたしん中で亜蘭ちゃんの魂がブンむくれてるよぉ」
「あーっ亜蘭、すまんすまん」
亜蘭の携帯に川田さん(清司)経由で、リトから連絡が入った。
古諸はいつでも転移してきてOK、という事だ。
「へえーっ、何これ。便利なものあるのねえ」
アーレンは興味深そうに、携帯をしげしげと見つめている。
「じゃ、行こっか――杖みたいなもの、ある? マナ集めるのに必要なんだけど」
「アーレンは魔法使うのに杖が要るんじゃったな。俺がリハビリに使った杖があったけど、どけやったかねえ……」
「亜蘭ちゃんが『玄関の物入れん中にある』って言ってるよー」
杖を手にしたアーレンが、卓袱台の上に魔法陣を書き始めた。
「アーレン、ないしちょっと?」
「この家に戻る準備だよ。行きはリトを目指して転移すれば良いけど、帰りは誰も居ないから。こうして魔法陣書いとけば、消えるまでだったら転移魔法、使えるから」
「魔法陣、どんくらいで消えるとね」
「条件でまちまち。あたしの魔力だと3刻(約6時間)てとこだけど、こっちの世界で魔法使うの初めてだから、分かんないな。でも今回は最悪消えても、ここに戻れないだけだから。こっちの世界って交通網が発達してるって聞いたよ、その日のうちに帰れるんでしょ?」
「金は掛かっけどな……」
それに古諸はともかく、串馬は陸の孤島。
早朝に出発して、どんなに頑張っても、着くのは夕方だろう。
「世界を救いに行くんだから、細かい事は気にしないの。さ、行こう」
「おう」
とにかくリーファを、今度こそ斃す。
目的を達成してから後の事は考えよう。
杖にマナを集中させたアーレンが、道雪にひしと抱きつく。
「あ――亜蘭ちゃんがすっごい照れてる。かわいい」
「亜蘭、いつもこんくらい引っ付いちょっどが」
「本人は『そんなことない』って否定してるよぉ」
うそつけ。
「じゃ、行くよぉ」
「おしきた。シーナ待っとれよっ」
場違いな道雪の気合いを合図に、ふたりの姿は居間から消え、アーレンの杖やらキャミやら道雪のパンツが、はらりと畳の上に落ちた。
*
シーナが敬を連れ去って消えた、ヤクザたちのたむろする倉庫に、リーファが再び姿を現したのは、日付が変わる少し前だった。
「お前たちが尋問する前に、銀色の髪をした裸の女がいきなり現れて、男の子を連れ去った? ふーん」
魔法で色の変わったローブを構成員に着せてもらう。
リーファが袖を通した瞬間、薄いピンク色だったローブは、みるみる紅く染まり、元の色へと戻った。
「ふうん……辺りに漂ってる魔法の残り香、そしてこのローブ……間違いないわね」
うっとりとした表情でローブの袖をくんくん嗅ぎながら、リーファが呟いた。
「シーナもこっちの世界にやって来たのね……お前たち、でかしたわ」
「はっ」
何がでかしたのかわけも分からず、ひざまずいたアニキが相槌を打つ。
「ねえ。今すぐ兵隊集めて。組のヤツら全員。それと、拳銃っていうの? 鉛の弾を飛ばす、あの便利な武器も、出来る限り揃えなさい」
「――はっ?」
思わず顔を上げたアニキの前にリーファが顔を寄せ、指でアニキの顎をクイッと上げた。
「シーナの居るとこまで案内しなさい。これからシーナを捕らえに行くわ」
「捕らえに――ですか」
「そう、殺しはしない。お前たちにとっても、いい話よ? シーナが手に入れば、今遊んでるおもちゃは、お前たちに返してあげるから」
言うまでもなく、組長のひとり娘の事だろう。
「あの女、俺たちの手に負える相手じゃなさそうですが……」
「お前はいつから、あたしに意見出来るほど偉くなったのかな?」
リーファの瞳が、ぞっとするほどの暗い光を放つ。
「あたしは優しいから、お前たちを生かしてやってるんだ。殺してから死体を操ったって、あたしにとっては同じなんだよ、それは分かってるだろうねえ」
「――はっ……もうしわけ、ありやせん……」
「分かればよろしい。お前たちはあたしの言う通りにやるんだ。余計な事は考えなくて良い」
「はっ…………」
「シーナのとこまで、夜が明ける前に着いておきたい。間に合うか?」
「大丈夫です、ただいま準備いたしやす」
組の連中に招集をかけて諸々の準備に1時間、車を飛ばして古諸まで3時間、夜明け前には余裕で到着するだろう。
リーファにとって、シーナとの一騎打ちならば後れを取るまい、という胸算用があった。
持久戦は覚悟しなければならないが、力押しを続ければシーナは魔力切れになるだろう。
アニキたち兵隊には、シーナを狙うのではなく、周りに居る人間たちを襲わせる。
聖女シーナの性格ならば、当然放っておく事は出来ず、戦いを楽に運べるだろう。
シーナを手に入れたら、紋を刻んで魔力を封印し、死なないように加工してから、一生おもちゃにして遊んでやろう。
「待っててねえ、シーナ……」
リーファはこれ以上ない邪悪な笑みで、ペロリと舌舐めずりをした。
「いした」は翻訳の難しい言葉です。
(しかし普通に使います)
不慮の状況で、他者から水分を含んだ物質を掛けられた時に放つ言葉です。
道を歩いていて車が泥水を跳ねてきた、
水遣りのホースが足元に掛かってきた、
そんな時に思わず叫んでしまいますね。




