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37. 応援スタンドの風景



 普久島応援席の目立たない処から、亜蘭をそっと観察する目があった。

 古諸は祥倫寺の寺男、実は現役の公安である長良清司、その人である。


 串馬に潜入捜査と称し、川田誠という偽名を使い、民宿たちばなに逗留して一週間ほどが過ぎた。

 亜蘭とは既に仲良くなり、高校の内密調査という口実を疑いすらせず、自ら進んで学校案内までしてくれた。

 人懐こくて裏表のない献身的な娘というのが、清司の抱いた亜蘭の印象であり、現時点で奴らとの繋がりは感じられなかった。


 昨日までは串馬市内で、ほぼ学校と自宅の往復の毎日を送っていた亜蘭が、今日は野球部の応援に、久しぶりに遠出をするという。

 可能性は限りなく低いと、警官としての直感が囁いていたが、奴らとの接触があるならばこの機会だろうと思い、亜蘭を尾行してきたのだった。




 一方的な内容の、普久島側に立ってみれば見どころのほとんどない試合であった。

 亜蘭も時々最前列まで出向いてプルペンの道雪と親しげに話をするくらいで、特に怪しい素振りもなかった。

 ――亜蘭ちゃんもドーセツくんも、奴らとは無関係のようだな。

 この試合が終わって落ち着いたら、ほんとうの事を明かし、コメントの真意を訊きただしてみよう、清司はそう決断していた。

 しかしその矢先、試合終了直前に、とんでもないものを見てしまった。


 秋晴れの蒼空から突然落雷が起こったかと思うと、まるでそれを予期していたかのように、道雪が目にも留まらぬ速さで駆け付け、剣のようなもので雷を両断したのである。




 他の人は道雪に雷が直撃したと見えたようだが、清司は確かに視認した。

 そちらの方を凝視しすぎたせいで、目の前が完全にホワイトアウトになって、しばらく何も見えなかったほどである。

 ――いったい何だったんだ、今のは。

 少なくとも普通の高校生がやって良い芸当ではない。


 ――マークすべきは亜蘭ちゃんじゃなく、ドーセツくんの方だったかな。

 痛む目を擦りつつ、瞬きを繰り返して少しずつ視界を確保していくと、球場は大騒ぎになっていた。

 周りが突然暗くなったのは目をやられたわけではなく、雨雲と停電のせいだった。




 目が慣れてくると、降り出した雨にも関わらず、観客の九割以上が応援席の最前列に群がって、事の顛末を見守っているのが見えた――と言えば聞こえは良いが、実の処はただの野次馬である。

 スタンドがそんな状態だったので、亜蘭の様子が何だかおかしいのに、清司はすぐに気付いた。

 喧噪のなか、ひとり腰掛けてうずくまったまま、両手で頭を抱えている。

 心配になって思わず駆け付けてみると、ガタガタと小刻みに身体を震わせていた。


「亜蘭ちゃん、大丈夫?」

「ドーセツ……ドーセツが、死んじゃう……」

 声を掛けた清司に気付く風もなく、冷や汗をだらだら掻きながら、心ここに在らずといった感じで眼を見開いている。


 先日の学校案内、亜蘭は道雪をほんとうに大好きのようで、道雪の事を何でも話してくれた。

 彼が車椅子生活を送る原因になった事故は、雷が大元だったらしいから、亜蘭には相当なトラウマになっているのかも知れない。

 ――それにしてもドーセツくん、つくづく雷に縁のある男だな。

 そう思いかけて清司はぶんぶんと首を振る。

 現時点で大事なのは、亜蘭を落ち着かせる事だ。


「亜蘭ちゃん! 亜蘭ちゃんっ!」

 両肩を掴んでぶんぶん揺らすと、ようやく亜蘭は顔を上げた。

 その顔は真っ青である。

「あ……川田さん、居らしてたとですかぁ……」




「大丈夫だよ、ドーセツくん、ピンピンしてるから」

「あ、はい……ありがとうございます……」

 アランの顔色はまだ悪いが、少し落ち着いたのか、顔のあちこちにハンカチを当てて、涙や鼻水を拭いている。

「ごめんなさい、あたし雷が来ると、おじく(怖く)ておじくて……」

「仕方ないさ。直撃だったみたいだね」

 いきなりの方言は面食らうが、雰囲気で意味は何となく分かった。


 天気予報にもなかった雷、そして降雨である。

 誰も傘など用意していなかった。

 グラウンドの無事を見届けると、観客は我先に、停電で真っ暗となった通路へと避難し、清司と亜蘭もそれに倣った。

 試合続行不可能、雷雨コールドはそこで知らされた。


「そう言えばドーセツのホームラン、どうなったとですか……」

「雷のせいで、うやむやになっちゃったね。五回裏のコールドだから、記録に残らないし」

「そんな……」




「亜蘭っ、あらーん」

 再び顔色が悪くなった亜蘭の扱いをどうしようかと清司が決めかねていたその時、人混みを掻き分けてくる、背の高い丸い頭があった。

 道雪である。

 ユニフォーム姿のまま、取りも取りあえず駆けつけて来たようだった。


「亜蘭、大丈夫か? 雷、おじかったどが」

「うん大丈夫。川田さんがそばに居てくれたから」

 ここでようやく、亜蘭が笑顔を見せた。


「すんません、亜蘭が世話掛けました」

 礼儀正しく道雪が頭を下げる。

「いや、俺はなにもしてないよ。それよりドーセツくん――」




 清司は先程、グラウンドで見た光景を思い返していた。

 道雪のやらかした一連の行動は、どこをどう考えても人間の成せる技ではなかった。


「一塁を回っていたドーセツくんがいったいどうやって、センターの奥まで来れたの? それに落ちてきた雷を斬ったように、俺には見えたんだけど」

「えっ、あの、そのですねえ、咄嗟に身体が動いたんで、よく覚えてなかとですよ。雷斬るなんて、とんでもなかです」


 ――この子も亜蘭ちゃんも、嘘をつけない性格のようだな。

 応える道雪の目が泳いで、思い切り動揺している。

 この場でもうひと押しする事も考えたが、それは3人きりの時にしておこう、清司はそう判断し、いったん話題を変える事にした。




「亜蘭ちゃん。こないだ話してくれたけど、ドーセツくんは今年の春、行方不明になってたんだよね」

「はい、そうです」

「行方不明になった日と見つかった日、もう一回教えてくれるかな?」


「はい。行方不明になったのが四月の――」

 亜蘭は淀みなく応えた。

「お前、よく覚えちょるなあ。俺、忘れてしまっとるぞ」

「忘れるわけなかでしょー。あんたを捜し回って、ゴールデンウィークまるまる潰れたんだから」

 そう言って道雪に身体を擦り付ける亜蘭は、すっかり元気が戻ったようだった。


 後ほど、日付を記憶に刻み付けた清司が、愛の交通事故に遭った日と意識を取り戻した日を、それぞれ照合してみた。

 道雪が行方不明になった日、そして見つかった日と、まったく同じであった。


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