35. 宮崎県秋季大会一回戦 (vs都之城2)
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代わった道雪がヒットを打たれた処で、普久島ベンチはまたもタイムを掛けてきた。
これで三回の守備タイムをすべて使い切った事になるが、あと1点取られたら試合終了なので、問題は特にない。
そして場面的および技量的にアドバイスなんか出来るのかと思っていたら、案の定、時間を稼いで間を置くだけのタイムだった。
「女子、亜蘭しか来とらんねー」
これが伝令の第一声だった。
ちらほらと引退した三年やOBの姿はあるが、確かに制服女子は亜蘭しか居ないようだった。
「串馬からは遠かから、仕方なか」
「じゃっどん、みんな薄情やねぇ。応援してるっち言っとったのに」
応援するという言葉に嘘はないのだろうが、相手が都之城じゃ結果は見えている、そういう事だろう。
そして間もなく、その通りの結果になろうとしている。
「とにかくドーセツがこんバッター抑えりゃ、七回まで野球が出来っが」
「やっど。打たせてけ、ドーセツ。け死んでも捕ってやっから」
バシンとグラブを叩いて宙太が声を掛けてくる。
4番ショート、一年ながら宙太は既に、普久島の中心選手だ。
これだけやられ放題にやられても、闘志の火は、まだ消えてはいない。
「おう。チュウがエラーしたら、腹パン三発な」
「お前こそヒット打たれたら、すったくっぞ」
穏やかならぬいつもの会話で、タイムは終了。
内野陣は道雪を残して、守備位置へと散っていった。
プレー再開。
6番バッターがまたも道雪を睨み付けながら、右打席に就く。
道雪はそれを無視してキャッチャーのサインを覗き込み、グラブの中に右手を入れ、ボールをこねくり回す。
一連の動作はすべてダミー、悪く言えばカッコつけているだけ。
球種はでたらめな握りのストレート、コースはミットを目掛けて投げる、作戦は至ってシンプルだった。
ただ――今日はいつになく脚の踏ん張りも利くし、腕も思い通りに振れている。
まるで根拠はないが、良いボールが投げられそうな予感はあった。
初球のボールがど真ん中に行ってしまい、一瞬ヒヤッとしたが、相手が空振りしてくれて九死に一生を得る。
おやっと思ったのが、二球め。
またも甘いコースに行ってしまったが、ボールに押し負けるような感じでファール。
打ち損じた感じでもなかった。
俺、もしかしたらピッチャーの才能、あっとかね。
相手バッターの少々驚いた顔を見て、道雪はそんな事を思った。
しかし調子に乗ったのが、いけなかったようだ。
三球めは低めながら、へなちょこの棒球ストレート。
そんなのを見逃してくれるような相手ではなく、鋭いスイングでジャストミート。
「あいたっ、しもたが」
三遊間を破ろうかというゴロが飛び、道雪は一瞬、腹を括った。
サヨナラ、ゲームセットかと誰もが思った瞬間、ショートの宙太が素早く反応し、横っ飛びでキャッチ。
寝っ転がったまま、セカンドへ送球、フォースアウト。
「うおーっ」
「チュウ、ナイスじゃあっ」
勝負の趨勢が決まった後ではあるが、土壇場でのファインプレーに、今までやられっ放しだった普久島側は沸きに沸いた。
「ドーセツ、良く踏ん張ったど」
ベンチに戻りながら、宙太が道雪の腹にボディブローを一発入れる。
「ぐおっ。チュウこそ助かったが。ナイス守備」
道雪もお返しとばかりに、宙太のレバーに拳を食い込ませた。
ふたりともみんなの祝福を受けるまでは我慢していたが、ベンチの奥に引っ込んだ瞬間、同時に腹を押さえてうずくまった。
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道雪であるが、いつまでもうずくまっているわけにはいかない。
六回表の攻撃は7番から、つまり道雪の打順だ。
痛くなかっ! と自らに暗示を掛け、バットを振り回しながら右打席へと向かった。
マウンドに居る本由さんであるが、はっきり言ってバケモノである。
身体は大きくないし、軽く投げているようなのに、ストレートは常時140km/h超。
カーブにスライダー、カットボールの変化球は、洗練されているという言葉がふさわしいキレで、時折投げるフォークは、途中でボールが消える。
普久島野球部は強くはないが、けして弱くもない。
それがコールド負けほぼ確実という状況まで引き離されてしまったのは、ひとえに本由さんの快投で流れを作られてしまったからだろう。
しかし――打席に立ってみると、ボールがほんとに、良く見える。
こっちの世界に戻ってきてから、少し感覚が変わったような気がするので、これが勇者の力ってヤツだろう。
お蔭で本由さんの快速球さえ、心地良く打てそうな気さえしてしまう。
取りあえずスコアは0対9、おまけに打線は本由さんの前にパーフェクトで抑えられている。
ここまでは完膚なきまでの負け戦だ。
――こっから、流れを変えんとね。
打つ気満々で、道雪はバットを構えた。
復帰初戦とはいえ、福島中時代の道雪を知る者が居たのだろう、初球はアウトローいっぱいのストレートで、探りを入れてきた。
これは打っても長打にならないボールなので、見送る。
1ストライク。
二球めは外めのコースに速いボール。
思わず手を出してしまいそうだが、これはスライダー、外に逃げていくボールだ。
凄いキレで曲がっていくボールを、道雪はしっかりと見極めた。
これで1ボール1ストライク。
三球め、一転して内角に食い込んで落ちてくるカーブ。
これまたコースといい、緩急もキレも絶品だ。
タイミングが崩れそうになる処を我慢して、腕を畳んでバットを出す。
カキーン。
打球は三塁線を襲うが、わずかに切れてファールとなった。
――凄かピッチャーじゃ、歯応えあり過ぎっぞ。
道雪の体内から、何やら懐かしいパワーが、ふつふつと湧いてきた。
ボールをひとつ挟んで、良い当たりのファールふたつ。
バットはしっかりボールを捉えているのだが、コースがぎりぎりなので、フェアゾーンまで持って来られない。
「ドーセツっ、良かぞっ。バット振れてるっ」
「かっせぇー、ドーセツっ」
いつしかベンチのみんなも、点差を忘れて声を出し始めた。
「ドーセツぅ、がんばってぇー」
ひときわ高い声は、亜蘭だろうか。
右打席の道雪には三塁側スタンドの様子は、首を巡らせないと見えない。
今はピッチャー集中だ。
本由さんの方を見ると、瞳を爛々と輝かせて笑っていた。
どうやら道雪を、倒すべき相手として認識したようである。
振りかぶって七球め、おそらく今日でいちばんのストレートが来た。
少し甘いコースだったのに、手元でグインと伸びてきて、バットはボールの下っ面に当たってバックネットに突き刺さる。
――うおー、燃えるぞお。
道雪の両眼にも、いつしか闘志の火が点っていた。
「タイム、お願いします」
道雪はタイムを取り、打席を外して一度だけ素振り。
そして再び打席に入る瞬間、フンスッ、と鼻息荒く、気合いを入れる。
ぎりぎりの本気には、こちらもぎりぎりの本気で戦いたい。
純粋にそんな気持ちだった。
すると全身に、新たなパワーがみなぎってくるのが、道雪には分かった。
少し懐かしい感覚――
これは道雪がアランだった頃の、勇者の力だ。
良か、良か。
おそらく勇者のオーラだだ漏れだろうが、隠すつもりもなかった。
明らかに雰囲気の変わった道雪を見て、本由さんはなお一層、嬉しそうに微笑んだ。
そして投球フォームに入ろうとする瞬間、半端ないオーラが本由さんから放出される。
――ひょっとして本由さんも、元勇者だったんじゃなかとか。
そう思わされるくらいの、清々しい迫力があった。
*
「ドーセツぅー、打てぇー」
まばらな応援席で、亜蘭は声を張り上げていた。
応援に来たのは、野球部のOBに家族がちらほら。
在校生の女子は何と、亜蘭ひとりだった。
数少ない友だちにまで、やれ遠いのどうせ勝てないだのと理由を付けられ、都城の球場までひとりで来る羽目になったのだった。
しかしそんな事は今や、どうでも良い。
あまりにも一方的だったこの試合で、道雪があの怪物ピッチャーと、互角の勝負をしている。
それだけで亜蘭の胸には、熱い何かが込み上げてくる。
「ドーセツっ、ドーーセツっ」
ここぞとばかりに道雪の名前を連呼する。
あたしが道雪を好きになったのは、いつからだろう。
まだ小っちゃかった頃は、同居している幼馴染という認識で、特に意識する事もなく仲良くしていた。
道雪は居候という立場もあったのだろうが、いつもあたしに優しかった。
本格的に好きになったのは、あの忌まわしい事故の後だった。
あたしを庇って車椅子生活になっても、性格が歪む事もなく自暴自棄にもならず、表面上はいつもの道雪だった。
あの時はあたしの方がよっぽど落ち込んでいて、お前のせいじゃなかと励ましてくれたのも、道雪だった。
再び歩けるようになる可能性はほぼ皆無と言われても、トレーニングとリハビリを怠らず、明るく前を見続けていた道雪。
それが今こうしてグラウンドに立ち、宮崎どころか九州でも指折りの好投手と渡り合っている。
その姿を見つめていると、亜蘭は嬉しさのあまり泣きそうになった。
タイムが掛かって道雪が打席を外し、素振り一閃。
その直後、道雪の様子が変わったのを、亜蘭は直感的に気付いた。
何がどうとか、具体的なものではないし、周囲のみんなは変わらず応援を続けているので、分かる人だけに分かるのかも知れない。
言葉にするのが難しいが、敢えて言うなら、道雪が輝いている。
――これはあたしの知ってる道雪じゃ、なか。
もしかすると道雪の言っていた勇者アラン――あたしと同じ名前だ――が何か関係しているのかも知れない。
「ドーセツ、打てえーっ」
手をかざして道雪の放つ『気』を眩しそうに見つめながら、亜蘭は声援を送り続けた。
秋晴れの空、少し気温は高いが、絶好の野球日和。
山の向こうで遠雷がゴロゴロと鳴り響いていたが、誰ひとり気に留めはしなかった。




