34. 宮崎県秋季大会一回戦 (vs都之城)
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九月中旬、宮崎県秋季大会一回戦。
試合独特の緊張感はあったものの、どこかしら熱気に欠けた空気が球場を支配していた。
というのも、普久島は一回戦早々、優勝候補の一角、都之城と当たる事になってしまったからである。
高校野球は何が起きるか分からないとか、相手が誰であろうと全力でとか、綺麗事はいくらでも言える。
しかし片やプロ注目の本格的右腕、本由投手を擁する名門都之城、片や今夏ベスト16とはいえ、主力がごっそり抜けた部員13人の普久島。
客観的には、勝負の趨勢は誰が見ても明らかで、興味の大半は本由さんがどれだけの投球を見せるか、都之城がどれだけ引き離して勝てるか、にあった。
一回表、普久島の攻撃。
部員の少ないチーム事情で、スタメンではない道雪もなかなか忙しく、ヘルメットを被り一塁のベースコーチに就いた。
元勇者の能力補正なのだろうか、一塁側都之城ベンチからの声が、やけにはっきり聞こえてくる。
『ボール走っとるよー』の声援、『酒井の弟、どんだけ打つようになっちょっかね』の相手分析などなど、比較的真面目な声が多い。
さすが名門校である。
ちなみに都城は宮崎県だが、旧島津領だったので、言葉は串馬よりもさらに鹿児島弁に近い。
「一塁コーチ、太か良か身体しちょっが。ないでスタメンじゃなかと?」
「あいはドーセツじゃが。下半身不随から奇跡の復活した、っちゅー」
「へぇー、根性あっが」
根性で歩けるようになったわけじゃなかけどな、道雪は人知れず苦笑する。
「中学ん時ぁ、酒井より打っちょったから、あいが復帰すっと普久島は強敵やっど」
「お。普久島の応援席、わっぜかえらしか子、おっど」
「なんちなっ。どけよ」
「あんショートカットの、色が黒か子。スタイルもがっつい良かねえー」
背中から聞こえる声に三塁側の普久島応援席を見遣ると、10数人ほど居る応援団の中にただひとり制服姿で、亜蘭の姿があった。
――亜蘭、わざわざ球場まで来ちょったかぁ。
「あいたぁー、マジでえらしかがねえ」
「おっぱいも大きいど」
それにしても都之城の連中、あんな遠くでも亜蘭の容姿をはっきり品定め出来るのだから、随分と良い視力である。
「あん子、ひとりで来ちょっとけ?」
「だな。家族か……彼氏の応援じゃなかか? 野球部ん誰かとくっ付いちょど」
「リア充かっ」
「そいじゃが」
「本由ぃーっ。普久島ん衆、ギッタギタにしたれぇー」
どうやら亜蘭の美貌は、都之城の闘志に、要らん火を点けてしまったようである。
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本由さんがベンチの連中と同じ気持ちだったとは思えないが、立ち上がりからスケールの大きなピッチングを見せていた。
二年秋になって150km/hを越えたストレートを軸に、スライダー、カーブを織りまぜ、事も無げに普久島打線を打ち捕っていく。
一回表は三者凡退という言葉では生易しい内容で、とうとう前に打球が飛んで来なかった。
対して普久島は、ベスト16の立役者だったエース4番、宙太の兄である翔太(焼酎のショウの方)が引退して、投手力はガタ落ちになってしまった。
予感は悪い方に当たってしまい、一回裏から連打を食らい、エースは早々に降板となってしまった。
一回裏の守備は結局4点取られて終了し、コーチャーズボックスに行こうとする道雪を、泊里監督が呼び止めた。
「ドーセツ、ブルペン行って、肩作ってくれ」
「うっす」
ブルペンでキャッチボールをしていると、いつの間にか亜蘭が応援席の最前列までやって来て、かぶり付きで道雪のピッチングを見ていた。
「ドーセツ、今日投げると?」
「亜蘭も知っちょっどが。ピッチャー出来るヤツおらんから、もしもん時のリリーフよ」
約三ヶ月の鍛錬で、長らく動かなかった足腰もようやく踏ん張りが利くようになってきた。
毎日毎日、練習でヘロヘロになった道雪を、亜蘭が献身的なマッサージで回復させていたのだから、これは亜蘭のお蔭でもある。
元来は内野手の道雪だが、圧倒的な投手不足というチーム事情から、強肩を買われてピッチャーの真似事もやらされるようになった。
――もっとも、行く先はボールに訊いてくれのクセ球ストレート一本で、都之城打線にどれだけ通用するのか、分かったものではないが。
「亜蘭。こんなとこで油売っとらんで、試合の応援せんね」
「しとるよぉー。でももう、攻撃終わっちゃったもん」
「早いなっ」
二回表の攻撃は、新4番の宙太が意地のセンターフライを上げたが、その後は三振にピッチャーゴロで、わずか7球で片付けられていた。
非常に残念な事に、実力の差は歴然である。
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ピッチャー交代で少し試合の流れは落ち着いたようで、二回裏、三回の表裏とゼロが並んだ。
四回表、普久島の攻撃は1番からだったが、本由さんのエンジンが掛かったのか、さらにストレートの威力が増していた。
まずバットに当たらない。
当たってもボールが前に飛んで行かない。
手も足も出ないという表現がぴったりでこの回も三者凡退、本由さんパーフェクトピッチングである。
そして打線が三巡めに入った都之城が、再び牙を剥いた。
カキーン。
「あいたぁ」
レフトの頭を越していく大飛球を、ブルペンから道雪は、顔を顰めて見送った。
一二塁のランナーがホームに還り、これで6対0。
そしてまた快音が鳴り響き、今度はライトオーバーの連続二塁打。
7対0と、差は開く一方である。
「じゃあぼちぼち、行っかね」
この分だと道雪の登板まであるかも知れない。
キャッチャーを座らせて、道雪は本格的な投球練習に入った。
五回表、4番の宙太が打席に入る。
今や普久島唯一の希望の星、本由さんに肉迫出来そうなのは彼しか居ない。
しかし本由さんに隙はなく、かつ宙太を舐める素振りもまったくなかった。
ストレートを見せ球にカーブでカウントを取り、外ぎりぎりのスライダーでファールにさせて追い込み、決め球は真ん中低めのストレートだった。
遠くからでも聞こえるほどにバシーンとミットの音が響き渡り、宙太空振り三振。
ただでさえか細い普久島応援席の声援は、ため息に変わって消え失せた。
あっという間にチェンジ、五回表は三者三振。
どうしても試合の流れを作れない。
本由さんは尻上がりに調子を上げているようで、都之城ベンチに応援スタンドはお祭り騒ぎである。
「さて、少し休もうかね」
肩を作って小休止しようとした道雪は、またもかぶり付きの席までやって来た亜蘭と目が合った。
「都之城、強かね」
「ああ、強か」
「こいだけのチームが、どうして甲子園行けんと?」
本由さんがエースになってから都之城は最高で準優勝、いい処までは行くがどうしても栄冠を勝ち取れない。
「都之城はピッチャーが実質、本由さんしか居らんからなぁ。ひとりで投ぐっから、どうしても疲れが出るんじゃなかとか」
「ふうん」
想像以上の劣勢に、亜蘭もどういう言葉を掛けて良いのか分からない、という顔をしていた。
「ドーセツ、きばってねぇ」
「ああ」
既に7点差ついているので、点を取らなければ試合は七回で終わってしまう。
道雪は五回裏の守備に就く味方をぐるりと見回した。
視線を巡らせると、都之城ベンチのほぼ全員が、親しげに亜蘭と話し込んでいた道雪を睨み付けているのに気付いた。
どうやら彼氏認定されて、要らん敵意を買ってしまったようである。
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五回裏になっても、都之城打線の勢いは止まらなかった。
というより打席に入るバッターがどいつもこいつも、ギロリと道雪をひと睨みして来るので、今のピッチャーを引き摺り下ろしてリア充認定の道雪を引っ張り出したいようである。
やっとかっとで2アウトまで漕ぎ着けたが、そこで2点タイムリーを食らい、9対0。
あと1点取られると10点差となり、サヨナラで五回コールド、試合終了になってしまう。
堪らず泊里監督が選手交代を告げた。
7番ピッチャー、道雪。
約2年振りの公式戦復帰はなんと、ピッチャーとしてマウンドに立つ事になった。
五回裏2アウト一塁、このランナーが還ればコールド成立、試合終了。
打順は5番、『よっしゃああ』と叫びながら、生かして返さんとばかりに、道雪を鬼の形相で睨んでくる。
対策は――何もない。
ピッチャーは素人の道雪は、サインに肯く振りをして、ミット目掛けて力いっぱいストレートを投げ込むだけである。
幸い身体は元気で、体力も有り余っている。
投球練習中、推定135km/hのストレートがバシーンと決まり、相手バッターが一瞬おや、という顔をした。
プレー再開。
道雪は屈み込んでキャッチャーのサインを覗き込むが、もちろんダミー。
球種はストレートの一択、微妙なコントロールなどある筈ないので、構えたミットを目掛けて投げるだけだった。
そうしたストレスフリーの作戦が功を奏したのか、初球は少し内角に逸れて相手打者の胸元を抉る。
少し腰を引いて見送ったが、判定はストライク。
「ドーセツ、ナイスボール!」
「良か良か、ボール来とるぞぉー」
チームメイトたちの声出しが心地良い。
ピッチャーって、クセになりそうやっど。
しかし世の中、そうは甘くなかった。
三球めのストレートが棒球となり、バットを合わされる。
カキーン。
ライト前に打球は転がり、ヒット。
ランナーは三塁に進まれ、2アウト一三塁。
本格的に一打サヨナラのピンチとなってしまった。
「どけ(どこ)よ」の方言ですが、
関東地方で使って前の人がどいてしまった、という
笑えない笑い話がリアルでありました。
リアル串間ではもっと笑えない方言がありまして、
「早くしなさい」は「早よしねや」と言います。
(ちなみに「早く死ね」は「早よしにねや」です)
新潟の「しねば良いのに(しなきゃ良いのに)」と同じく、
誤解を生む言い回しですね。




