32. 『魔』の正体
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「お兄ちゃん……」
虚脱した様子で、敬の居た場所を見つめていた愛だったが、いつまでもこうしては居られない。
急いで思考をまとめ、敬を救出するために何をすべきか考える。
まず、突然襲ってきたこの男たち。
転移魔法を使ったアニキという人物は、愛を『妹』と呼んでいた。
無差別ではなく、明らかに愛たちを染矢兄妹と認識して、拉致しようとした。
そして男たちが放っていた『魔』の臭い。
アニキも、今ここに気絶して横たわっているヤクザ者たちも、間違いなく人間だった。
これが何を意味するか、と言うと――
魔の者が、異世界からこの現し世にやって来て、魔力を使って男たちを操っていた、という事になる。
愛がそう断言出来たのには、理由があった。
男たちから感じた『魔』が、愛の知っているそれと同種だったからだ。
心当たりは、ひとりしか居ない。
「リーファ……死んでなかったのね……」
愛の奥歯が、キシキシと音を立てた。
リーファ。
元は神々の一族であったと噂される、美しい女性の姿をした魔族。
膨大な魔力を背景に操作系の魔術を得意とし、人間や魔物、死体まで操って軍団を作り、人間を襲っていた。
リーファならあの程度の人数は簡単に操れるし、アニキに転移魔法も付与させられる。
愛が嘗てシーナだった頃、魔王領近くの村での攻防戦を皮切りに、リーファとは何度か戦ってきた。
魔王城突入の目前、乱戦のさなか、シーナはリーファと一対一の勝負に臨んだ。
その時までは最前線に現れなかったリーファだったが単独でも充分に強く、シーナひとりでは防戦一方だった事を思い出す。
リーファの軍団を殲滅させたアランたちが加勢に回り、一瞬生じた隙を衝いて、満身創痍のシーナが渾身の浄化を直撃させ、リーファは消滅した筈だった。
それが生きていただけでなく、世界の次元を越えて現し世に転移して来たという事実に、愛は戦慄した。
異世界転移まで出来るのならば、嘗ては神であったという噂は本当なのだろう。
「私ひとりじゃ……リーファは斃せない……」
アランを捜す切実な理由が、ひとつ増えてしまった。
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もうひとつ問題なのが、リーファはシーナの存在を知っていたか、という事である。
これは『まだ知らない』という結論に、比較的早く達した。
相手がシーナと知っていたなら、最低でも100人の軍勢は必要だし、万全を期するならリーファ自らが赴いていただろう。
それならば、なぜリーファは兄妹を襲い、拉致しようとしたのか。
それについてはきっと、あの人たちが何か知っているかも知れない。
「もしもし、大変なの、お兄ちゃんが攫われちゃった……」
愛は浩輔さんに迎えに来てもらうよう、携帯で連絡を入れた。
千曲川の畔へ、浩輔さんと清司さんの乗った軽自動車が到着するのに、さほど時間は掛からなかった。
「これは、いったい……」
愛の足元に気絶したヤクザ者たちが並べられているのを見て、浩輔さんは少なからず驚いた風だった。
「愛ちゃん。何があったか、説明してくれる?」
愛からの説明を聞くにつれ、浩輔さんの顔色が次第に変わっていった。
「ここに転がってる男どもがふたりを襲って、愛ちゃんが全部片付けた。で、最後のひとり、アニキという人物と一緒に、敬くんが消えてしまった――この服を残して。そういうわけだね?」
「うん、そうです」
浩輔さんがしばらく俯いていたかと思うと、真っ直ぐに愛の瞳を見つめてきた。
「愛ちゃん。拙僧たちに、何か隠してる事、あるよね?」
「あら。浩輔さんたちこそ、ずっと私たちに隠し事、してきたんじゃないですか」
愛もまた浩輔さんを見つめ返すと、目を逸らさずじっと見つめる強い瞳が、そこにあった。
そして浩輔さんの口から出た言葉は、思いも寄らないものであった。
「清司が、ね――アランくんに会って来たよ」
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いきなり飛び出したアランの名前に、愛は驚きを隠せなかった。
「え? ――どうして浩輔さんが、アランの事、知ってるの? アラン、どこに居るの? アランに――私、どうしてもアランに逢わなくちゃいけない」
「愛ちゃんのピアノを動画に上げている人が居てね、美也子さん――愛ちゃんのお母さんと共演したライブのやつ。そこに来たコメントを辿ってみたんだけどさ……あのね、愛ちゃん。言いにくいんだけど、アランくんは……」
「アランの助けが、どうしても必要なの。リーファが――魔族が、この現し世に来ている。ここに転がってる人たちも、お兄ちゃんを転移魔法で攫ってった人も、みんな魔の力で操られてたんだよ」
「――え? 何だって、魔族?!」
今度は浩輔さんが訊き返す番だった。
「浩輔さん知ってるみたいだから全部話すけど、私の魔法とリーファの魔法って相殺し合うから、純粋に魔力の強い方が勝つの。私だけじゃリーファには勝てない。アランの力が、絶対に必要なんだ……」
「リーファってのは、そんなに強いのかい?」
「異世界ではほとんど、魔王に次ぐ存在だったわ。個人的には、私とは相性が悪くて、魔王と同じくらい厄介だった」
「ちょっと待って――そんなヤツがこの世にやって来て、祥倫寺を攻めてきたら……」
浩輔さんも事の重大さに気付いたようであった。
「さすがに魔物までは持って来られないだろうけど、リーファ自身が攻めて来たら、古諸一帯は廃墟になると思う」
「何てこった……」
浩輔さんの顔が真っ青になっているのが、暗がりの中でもはっきり分かった。
「――で、浩輔さんに質問。リーファは、私が聖女シーナだって事、知らなかった。つまり聖女への復讐とか、そういう襲撃じゃない。となると、この人たちは何の目的で、私たちを拉致しようとしたの?」
「――間違いなく、ヤツらの手が伸びてきたんだと思う。君たち兄妹を人質にして、証拠物件に関係者たちを始末しようと、考えたんだろうな。君たちのお父さんの事案だよ……」
「やっぱり……」
周囲で現場検証をしていた清司さんが寄って来たのは、その時だった。
「浩輔さん、所轄に連絡しました。間もなく到着するそうです」
「おう、ご苦労さん」
「警察、来るの? じゃあぐずぐずしてられないわ――浩輔さん、清司さん。今から私、お兄ちゃん助けに行って来るから、後をよろしくお願いします」
「――助けに行くって、いったいどうするつもり?」
「転移魔法、使います」
異世界の転移魔法はまだ不完全で、非常に多くの制約が伴っている。
まず転移可能な条件は場所ではなく、人であり、しかも比較的最近に会った人物に限られる。
向こうの世界では約24時間だったが、現し世だと条件は変わってくるかも知れない。
しかしまだ、大丈夫だろう。
転移出来るのは本人と、もうひとりくらい。
しっかり抱き合っていけば、一緒に連れて行く事が可能だ。
さらに大きな制約があって――それが転移魔法の普及を阻んでいる最大の理由であるが――転移出来るのは、生体のみ。
装備品の一切どころか、衣服さえ転移元に置いていかなければならない。
戦闘や普通の移動には不向きであり、今回のような緊急時にしか、滅多に使わない魔法であった。
「――というわけで帰りは浩輔さんのとこ行きますので、一時間後には祥倫寺に戻っててくれませんか? お兄ちゃんも私も裸なんで、他の人が居ると恥ずかしいから」
「いや、恥ずかしいとか、そういう問題じゃないと思うけど……分かった、とにかく気を付けてね」
「はい、行って来ます」
学校に行く時のように微笑んだ愛は、虚空からバサリと落ちた衣服を残して消えていった。
続きが気になる処かもですが、この章はひとまず終わりです。
少し時を戻してアランside、そしてリーファとの戦いに移る予定です。




