29. 長野県秋季大会準々決勝 (vs松本商)
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松本商業。
甲子園出場は春夏合わせて52回、優勝1回準優勝3回。
大正から令和まで、よっつの年号に渡って甲子園で勝利を上げている古豪、超名門校である。
「うちが松商と試合すんのって、いつ以来だろう」
土屋が誰ともなく呟いた言葉に、みんなが首を傾げて考える。
「――記憶にねえな、はは」
何でも40数年前、古諸が県大会で唯一、ベスト8まで勝ち上がった年に対戦したのがやはり松商で、0対13でコールド負けだったそうだ。
「昔は昔、今は今だよ」
敬はそう言ってみせるが、相手を研究すればするほど、当時よりも差は広がっているんじゃないか、という気さえする。
恵まれた施設、チーム内の激烈な競争、そして遠征試合で積み上げる経験、きっと何もかもが、敬たちとは違い過ぎる。
松商にとって古諸高はきっと、万にひとつも負けてはいけない相手として、認識されているだろう。
ある程度予想していた事であったが、松商は先発を、ほぼベストメンバーで固めてきた。
ピッチャーはエースの川村さん。
ストレートとスライダーのコンビネーションが良く、はっきり言って古諸打線のレベルでは、攻略のイメージがまったく湧いてこない。
それよりも厄介なのが打線で、3番上田に4番中島さんはもちろん、下位打線に到るまでまったく油断が出来ない。
「相手は高校生、こっちも高校生。高校野球ってのは、何が起きるか分からん。いいか、臆せず闘え」
「おうっ!」
一回表の攻撃はあっさり終わり、山本監督が通り一遍の檄を飛ばして、こちらもそれに応えながら、一回裏の守備に散って行った。
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――不思議、だよな。
投球練習をしながら、敬はいつもの感覚に襲われていた。
何度マウンドに立っても、世界の真ん中にひとりきり、ポツンと投げ出されたような気がする。
そんな筈はないのだ。
ホームベースには敬の投球を受け止めてくれる依田さんが座っているし、後ろには頼りになるチームメイトたちが守ってくれている。
おまけに久しぶりのベスト8進出とあって、古諸の応援スタンドには大勢の生徒やOBが詰め掛けており、県内随一の実績を誇る吹奏楽部まで、練習の合間を縫って応援に駆け付けてくれた。
それでもなお孤独を感じてしまうのは、自分の投げるボールが試合の行方を左右させるという自覚と危機感を、常に抱いているからだろう。
そして敬は、そうした感覚が嫌いではなかった。
――よし、良い感触だ。
思ったコースに、伸びの良いストレートが決まっている。
肩が軽い――回復の魔法を掛けてくれた愛の指が、敬の投球に力を与えてくれる、そんな気がした。
愛。そして、みんな。
僕は、やるよ。
先頭バッターと対峙して、敬はマウンドでにっこり微笑んだ。
投球練習時に感じていた調子の良さは、本物だった。
敬のピッチングは、強打の松商打線を翻弄した。
見せ球のカーブはキレが良く、相手バッターがうっかり手を出して凡打となり、120km/h行くか行かないかのストレートも、しっかり通用した。
一巡めは相手バッターの得意な球種で、敢えて勝負した。
速球に強い打者にはストレート、変化球打ちの巧い相手にはカーブを決め球に持っていく。
そして二巡め、敬にとっての伝家の宝刀、カーブが唸りを上げた。
依田さんのリードも冴えていて、相手打線は読みを外された格好で凡打を繰り返す。
古諸の守備は贔屓目に見ても普通レベルであったが、テンポ良く投げる敬に触発されたのか、エラーは最小に留める働きを見せた。
六回裏を終わり、スコアは0対0。
2番打者をセンターフライに打ち捕り、古諸のスタンドから大歓声が上がる。
この試合、敬が出したランナーは、ショートのエラーと1四球のみ。
あの松商が三塁さえ踏めず、ノーヒットに抑えられているのだった。
七回表、とうとう試合が動いた。
先頭5番の土屋が、川村さんの失投を見逃さず左中間を破る。
この二塁打を足掛かりに送りバントでランナーを進め、代打にバントの巧い小和田が指名された。
多分、松商は小和田のデータまでは拾えてなかっただろう。
内野は前進守備で、もちろんバッテリーもスクイズを警戒していたが、それでも二球めのストレート、小和田はしっかりとピッチャー手前に打球を殺して転がした。
「やったー!」
「小和田、ナイス!!」
スタートを切っていた土屋がホームにスライディングし、ベンチで待機していた敬は、両拳で控えめなガッツポーズを作る。
先制したのは、何と古諸の方であった。
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「敬のやつ、すげえな。登板する度に、どんどん成長してるじゃねえか」
応援席では、例によって愛の隣に腰掛けた清水さんが、腕組みしながら感心したように、長く息を吐く。
今日は引退した三年の先輩方、そのほとんどが応援に駆け付けてくれていた。
七回裏、松商の攻撃は、一年ながら3番を打つ上田くんから。
代打を出した関係で、レフトの土屋くんがライトに回った。
「緩急を巧く使って、ストレートでもカーブでも空振り取れてるし、コースも全部厳しいとこ来てるから、打てる球ほとんどねえぞ――これひょっとしたら、ノーノー行くんじゃねえのか」
ところが。
清水さんの言葉がフラグを立ててしまったのか、上田くんの打球が鋭いライナーとなって、ライトスタンドを襲う。
「お願い、切れてっ」
愛の願いが魔法となったわけではないだろうが、わずかに切れてファール。
「おー、危ねえ、危ねえ」
「しみちゃんがあんな事言うから、打たれそうになったじゃない。気を付けてよね」
「ワリいワリい。滅多な事言うもんじゃねえな」
宮沢さんの小言に苦笑いの清水さんだった。
その後、慎重になってしまったのか、上田くんにはこの試合ふたつめの四球を出してしまう。
「あー、先頭出しちまったか。こりゃ痛えなあ……」
清水さんの声が届いたわけではないだろうが、松商の応援スタンドはノーアウトのランナーに盛り上がっていたし、守備のタイムが掛かってマウンドには野手が集まっていた。
迎えるバッターは県内でも名前の聞こえた強打者、4番中島さん。
初球は大きな落差のスローカーブが右打席のインローいっぱいに決まり、ストライク。
愛の背後から大きな歓声と拍手が沸き上がる。
「いいぞ……そのまま攻めていけ……」
指を顎の前で組みながら、清水さんが絞り出すように呟いた。
二球めのストレート、三球めのチェンジアップと、余裕を持って見送られる。
カウントは2ボール1ストライク。
「さすが中島さん、際どいとこは振ってくれないですね」
「ああ。三打席めだからな、目が慣れてきてるんだ」
そして四球めのカーブ、厳しいコースだったが、中島さんがバットを併せてきた。
カキーン。
鋭い打球が三塁線を襲うが、これもわずかにファール。
「おー、危ねえ。ボール半個外に行ってたら、打たれてたな」
「カーブ、見極められてますか?」
「多分な。俺だったら怖くて、カーブはもう投げさせらんねえけど、依田どーすっかな……」
愛が遠目に見たマウンドの敬は、透き通った強いオーラを発していた。
プロも熱視線を送る中島さんに対して、気持ちでは一歩も引いていない。
お兄ちゃん、カッコ良いよ。頑張って。
魔法が発動しない程度に、愛は心の中で敬に祈りを送った。
そして五球め、外寄りに速いボール。
ストレートのタイミングで、中島さんが強振した。
「おうっ」
「やったっ」
ベースの手前でボールはわずかに外に逃げ、ストンと落ちた。
バットは空を切り、中島さんを空振り三振に斬って落とす。
「今の――」
「はい、シンカーです」
愛の応えを聞いて清水さんが、首を振りながら大きく息を吐く。
「驚いたな……ちょっと見ねえ間に、シンカーまで覚えたのかよ。成長のスピードが半端ねえな、敬のやつ……」
後続も打ち捕り、七回裏も無失点。
そして八回裏の代打攻勢も3人で切り抜け、いよいよ九回裏。
未だヒットを1本も打たれないまま、1対0のリードで、敬は最終回のマウンドに上がった。




