25. 『MIRAI リーグ』開幕
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善戦及ばず0対2で二回戦負けとなった古諸高であるが、実は長野県の場合、秋季大会はまだ終わりではない。
長野県の秋季大会は長野市などの北信、松本市などの中信、飯田市などの南信、そして佐久上田の東信、四地区に分けて行われ、上位6チームが本戦の県大会に出場出来る。
つまり二回戦=準々決勝で敗れた古諸は、5・6位決定戦に勝てば、晴れて通算4度めの県大会出場が叶うわけである。
トーナメント戦ではあるが、春季秋季は一敗すれば終わりではなく、二敗(4位は三敗)で脱落という、比較的珍しいシステムである。
なお、春秋とも大会直前に予備選を行いシード校を決めるのも、長野特有の制度だろう。
今後のスケジュールであるが、今週末に準決勝、そして来週末に順位決定戦、つまり5・6位決定戦の二試合と3位決定戦、そして決勝戦が行われる。
そして古諸の日程が一週間空いた事により、以前から所属している『MIRAIリーグ』の開幕戦が、前倒しで今週末に行われる運びとなった。
MIRAIリーグ。
大阪を発祥とする中学高校野球のリーグ戦であり、高野連主催の公式戦とは、はっきりルールを異にする。
まず、ピッチャーの投球制限。
今年からアメリカの少年野球で導入されている『ピッチスマート』を採用しているが、大まかに言えば一日100球が上限である。
変化球は、カーブとチェンジアップの二種のみで、それ以外は投げてはいけない。
しかも変化球はひとりのバッターに二球まで、という制限も設けている。
バットは、高校野球で従来使われている金属バットではなく、低反発バット、または木製バットの使用が義務付けられている。
その他、指名打者制を選択出来たり、送りバントの制限に加え、長野独自のルールで『選手全員の試合参加』がある。
長野県ではMIRAIリーグに10校が参加していて、地区毎にふたつのグループに分かれ、5校対抗のリーグ戦を二試合ずつ行い、グループ1位と2位の高校が順位決定戦に進む。
番狂わせも少なからず起きていて、甲子園常連の佐久長姫を抑え、古諸がグループ1位を獲得した年度だってあった。
公式戦出場資格のない愛も、MIRAIリーグの試合には出られるし、出なければならない。
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開幕戦は古諸高グラウンドで、長野市の信州吉田高を迎えて行われた。
「今年もよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
主将だけでなく、監督を含めた野球部全員で吉田高の人たちを出迎え、握手する。
MIRAIリーグでは、対戦相手は敵ではなく、志を同じくして一緒にリーグを運営する仲間である。
このコンセプトもまた、リーグのルールに組み込まれていて、事前に講習会を開き、各校に伝えられてある。
昨年までは大阪、新潟、長野の3府県26校で行われていたリーグ戦も、今年からは9都府県、参加校は60校以上に倍増した。
ここ長野でも昨年の8校から10校へ微増していて、昨年からは佐久長姫、今年からは飯山南に都市工大塩尻など、県有数の強豪校も参加するようになった。
これらの中では古諸と吉田は以前からのいわば古株であり、気心の知れた仲になっている。
今日の予定は午前と午後のダブルヘッダー。
試合前の練習を終え、グラウンド整備のため、両校一緒に並んでトンボ掛けをした。
「染矢くん――あ、兄妹だっけ、お兄さん」
トンボを掛けている敬に、吉田の選手がにこやかに近付いてきた。
「敬です」
「吉田です。吉田高の吉田、覚えやすいでしょ」
敬と同学年のピッチャー、吉田くんは爽やかに笑った。
「敬くん、先週はナイスピッチ」
先週とは言うまでもなく、上田南戦の事だろう。
八回裏に代打を送られて完投はならなかったが、初先発で優勝候補を相手に八回2失点、無四球という敬の投球は、古諸レベルの選手たちにとって快挙と言って良い。
信州吉田の戦績も古諸と大差なく、今秋は二回戦敗退で、参加校の多い北信地区では順位決定戦に進めなかった。
「近くで見ると、下半身の筋肉がすごいね。どんなトレーニングしてるの?」
吉田くんは敬より10cmは背が高く、それなりに鍛え上げた身体をしていた。
同じサウスポーとの事だが、ストレートは敬より速いだろう。
敬は、自宅の祥倫寺で空手の朝稽古を毎日行っている事、それから片道5キロはある高校までの道を走って登下校している事を話した。
愛の魔法で多大な負荷を掛けつつ、飛んだり跳ねたりしている事は話すわけにはいかないので、省略した。
「空手、かあ。普通に他のスポーツやれる環境って、羨ましいなあ」
祥倫寺に移住したのは、両親の死という耐えがたい事件があったせいだが、吉田くんは敬たちの事情を知る由もなく、無邪気な笑顔で話を続ける。
「長野県民はスケートやってるじゃない」
一部の地域を除いて降雪は少なめの長野県だが、冬の気温はしっかり低く、グラウンドは凍ってしまう。
それならばと一面に水を撒いて、グラウンドごとスケートリンクにしてしまう学校も多く、東京育ちの敬にはかなりのカルチャーショックだった。
運動神経に自信のあった敬は、比較的すぐに滑れるようになったが、幼少時より氷と友だちだった地元生徒には遠く及ばない。
愛に到っては(あくまで転生前の話だが)いつまでたってもよちよち滑りだった。
「そおか、スケートかあ。あまりスポーツって認識はなかったな」
えーえー、そうでしょうとも。
「吉田くんは今日、いつ投げるの?」
仲間なので、こんな事も気軽に訊けてしまう。
「第二試合の、先発任されてる」
「あ……僕と同じだ……」
敬も第二試合の先発で、しかもキャッチャーは愛。
兄妹のバッテリーは高校野球史上、おそらく初めてだろう。
「敬くんと投げ合うのかあ。こりゃ荷が重いな」
「こっちこそ、お手柔らかに」
健闘を誓い合うピッチャーふたりであった。
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午前中の第一試合、出番のない敬と愛は裏方の仕事に回った。
敬はグラウンド脇でバットの管理やボールの補充を行い、愛はベンチでスコアラーを務めた。
スコア書きは、いつもなら記録員としてベンチ入りする志乃さんの役目なのだが、今日の志乃さんはホスト校の統括として忙しく立ち回っている。
「愛、字ぃ綺麗でないの」
隣に同学年キャッチャーの土屋くんが腰掛けてきた。
バッティングの良い土屋くんは、第一試合は5番レフトのスタメン、愛が出場する第二試合もキャッチャーのバックアップでベンチ入りする。
「私そんな字、巧くないよ」
正直に話したつもりが謙遜と受け取られたようだ。
後で聞いたが土屋くん、相当な悪筆らしい。
「スコアブックの付け方、予習してきた?」
「予習も何も、こんな大事な試合のスコアラーだから、少し緊張してる」
入部するまでは何となく観ていた程度の野球、思わぬ処に知識の抜けがあるかも知れない。
「まあ、気楽にやんなよ。分からんとこあったら、周りに訊けば良いんだし」
「ありがとう。そう言えば要も、外野で試合出るの初めてでしょ、頑張って」
「そーなんだよ、俺の方がドキドキだよ」
土屋くんは苦笑しながらグラブを嵌めて、一回表の守備に走って行った。
リーグ開幕戦のマウンドに立つのは、背番号1の北沢さんである。
身長170cm前半とピッチャーとしては大きくないが、力感溢れるオーバースローで、古諸投手陣では唯一、ストレートが常時130km/h台を越える。
もうひと冬頑張れば、140km/h突破も夢ではないだろう。
好不調の波が激しく、投げてみないと分からない処がある人だが、今日は調子の良い日だった。
ストレートに伸びがあって、ゾーン内で勝負出来ている。
公式戦で従来使っている金属バットだと、少々芯が外れても強く振り抜きさえすればボールは飛んでくれるが、低反発バットだと、そうは行かない。
バッテリーはその分、自信を持って攻める事が出来る。
北沢さんのピッチングは、気持ち良いほどに吉田高の打線を抑え込んだ。
ストレートで詰まらせ、時折投げるチェンジアップはタイミングを狂わせる。
カーブのコントロールがめちゃくちゃなのは、相変わらずだった。
目立った戦績のない、世間的には中堅以下の評価である古諸に吉田だが、けしてサボっているわけではない。
バックの守備もきびきびと動き、開幕戦らしい締まった試合展開になった。
この試合初の長打は四回裏、土屋くんのバットから産み出された。
1アウトから左中間を破る二塁打を足掛かりに、打線が繋がり2点を先制。
北沢さんは六回無失点で90球に到達し、お役御免。
代わった宮田くんが反撃を食らったが、6対2で古諸が開幕戦を制した。
休憩を挟んで第二試合に入る前、敬と愛は最後の打ち合わせをしていた。
愛は9番キャッチャーでスタメン、指名打者制を選択したので敬に打順は回らない。
「サインは僕が出すよ、いいね」
「うん」
いつも一緒に居る敬が相手なら、マウンドの向こうでも魂が読み取れるので、ノーサインで構わないくらいだが、ここは大人しく同意した。
愛は野球を始めて、まだ三ヶ月。
基本的な技術はようやく身に付いてきたが、リードその他、野球の微妙な側面については、まだまだ知らない事も多い。
ここは野球経験の長い敬に従うべきだろう。
敬のストレートは基本的に120km/h前後、下手すればそれ以下。
いつもは変化球を織り交ぜてストレートを速く見せているが、変化球制限のあるMIRAIリーグでは、その手は効かない。
どのようにして相手打線に対するのか、愛としても興味のある処であった。
MIRAIリーグですが、
実際に行われているリーグ戦に、ルールも準拠しています。
参加校数や年度によってシステムが異なり、
さらには県特有のローカルルールもありますので、
まったく同じではありません。




