24. 秋季大会東信地区予選二回戦 (vs上田南2)
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この試合、敬のコントロールは冴えに冴え渡り、得意のカーブが面白いように、狙ったコースにビシッと決まった。
五回を終わって、与えたヒットはわずか2本、四死球なし。
初回にエラーふたつを計上して敬の足を引っ張った守備陣も、落ち着きを取り戻たようで、五回表にはサードのファールフライをフェンスに当たりながらも好捕するファインプレーまで飛び出し、チームを盛り立てた。
五回裏終了時点で0対0。
この投手戦の立役者は、間違いなく敬である。
敬が投げている間ずっと、愛の隣で清水さんが、相手バッターが何を考えているか、それに対応して依田さんがどんなリードをし、味方の守備体系に連携させて打ち捕る算段を立てているのか、ほぼ一球ごとに解説を加えてくれた。
「こんだけ狙ったとこにボールが来ると依田、リードしてて相当楽しいだろうな。敬は元々コントロール良い方だったけど、今日の出来は、正直驚きだよ」
感心したように清水さんが腕組みする。
「ただ、な――茜、敬は何球投げてる?」
「五回で79球。そのくらい自分で数えなさいよ」
さすが宮沢さん、即答である。
「球数、多くなってきたな」
敬が絶好調と見るや上田南は、際どいコースはファールで逃れて、球数を稼ぐ作戦に切り替えてきた。
こうして敬のスタミナ切れを待つつもりなのだろう。
六回表、上田南の攻撃は1番からの好打順。
「んー、まだ粘ってくるかあ」
追い込んだのは良いが、そこからファールみっつでなかなか打ち捕れない。
「愛、バッターが何狙ってるか、分かるか?」
「2ストライクまでは低めを捨てて失投待ち、追い込まれてからは全コースに対応しつつ、基本はストレート待ち、カーブとチェンジアップはカット――で、良いですか」
「100点だ」
100点も何も、さっき清水さんが解説してくれた事そのまんまである。
「で、ここから。ファールで粘られてる左打者相手に、愛ならどうリードする?」
「えーと……さっきは外のストレートをファールされたから、次はカーブ……内角のボールからストライクになる、バックドアのコースで仰け反らせます」
「多分見逃してくんねえぞ、あのバッター、一打席めでそのボール見てっから。カーブは正解だろうな。俺ならストライクからボールになる大きい変化で、空振りを狙う」
2ボール2ストライクからの八球めは果たして、真ん中高めから大きく外に逸れて落ちていくスローカーブだった。
「な、だろ」
「はい」
タイミングを完全に外されたバッティングは、ボテボテのサードゴロとなる。
俊足の1番打者との競争になったが、何とかぎりぎりアウト。
「おー、危ねえ危ねえ。この回になると敵さんも眼が慣れてきて、なかなか空振り獲れねえな――敬の持ち球が少ねえから、球種絞りやすいんだよ……速い変化球がもう1、2種あれば、打ち捕りやすいんだが」
「お兄ちゃん今、シンカー覚えてる途中です」
「おお、そりゃ良いな」
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「ナイスピッチ。最後のボール、良かったぞ」
「ありがとうございます」
依田さんに出迎えられ、グータッチを交わす敬。
六回表、1番と2番のふたりに17球費やし、3番と4番の田本さんに連続ヒットを浴び、2アウト一三塁と今試合最大のピンチを迎えた敬だが、落ち着いたピッチングで強打の5番をライトフライに抑え、この回も無失点。
しかしこの回で投球数は、ついに100球を越えた。
裏の攻撃はラストバッターの敬から。
休む間もなく打席に向かう敬の背後で、チームメイトたちが円陣を組んでいる。
「敬があれだけ投げてんだっ、俺たちが援護するぞっ!」
何とも頼もしい声が飛んできた。
上田南の先発は背番号10の平岡さん、右のオーバースロー。
ストレートとスライダーだけのピッチャーだが、180cm近い長身から振り下ろされるボールは球質が重く、古諸打線はここまで1安打1四球と完全に沈黙していた。
小柄な敬に対しても、ほぼど真ん中のストレート、スライダーと攻めてきて、あっという間に追い込まれてしまう。
バットを出すには出したが、ボールが前に飛んでくれない。
相手のバッテリーにとって、敬はおそらく安全牌。
高校初スタメン、小柄で非力そうな一年生と来れば、そう思われても仕方がない。
きっと三球勝負、コースよりも勢いを重視したボールが来るだろう。
決め球はスライダー、外から真ん中寄りに食い込んでくるコースだった。
短くバットを持っていた敬はそれでも振り遅れたが、ボールを押し出すようにして、しっかり振り抜く事が出来た。
カキーン。
手応えのあった打球はショートの頭を越え、レフト前に転がっていった。
古諸、この試合初めてのノーアウトでの出塁だ。
送りバントで二塁に進んだ敬だったが、しかし後が続けず残塁、無得点。
0対0のまま七回表のマウンドへ向かう。
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七回表もランナーを二塁まで進められるが9番打者を打ち捕り無失点、裏の攻撃はあっさり終わり、だんだんと攻守の時間に差がついてきた。
迎えた八回表、上田南の攻撃は1番から、四巡めに入る。
「ふう……」
投球練習をしながら、敬はマウンドで左肩をぐるぐる回した。
疲れてないかと言えば、嘘になる。
長い守備と短い攻撃、さらにヒットを打ったせいでランナーにもなり、肩を休める時間がほとんどなかった。
だが、まだ投げたい気持ちの方が優っていた――出来れば最後まで、マウンドに居たい。
敬は依田さんが出したカーブのサインに肯くと、残った気力を振り絞って、本日130球めのボールを投げた。
「あ――セーフティ」
「敵さん、ようやく仕掛けてきたな」
初球、先頭打者がバントを三塁側に転がすのを、愛はスタンドから見ていた。
打球処理は、ピッチャーの敬。
しかし捕球したはいいが、一塁への送球がワンテンポ遅れてしまう。
「捕球ん時の足が、逆だ……練習じゃ出来てたから、やっぱ疲れてんのかな」
隣で清水さんが、悔しそうに右の拳を左手で叩いた。
一塁セーフ。
内野安打で、とうとうノーアウトのランナーを許してしまった。
1点勝負と判断したのか、続く2番打者は送りバント。
敬ではなくファーストが捕り、1アウト二塁。
そして3番打者に対する初球だった。
「あっ、馬鹿ッ、投げ急ぐな――」
清水さんが叫ぶ間もなく、2塁ランナーがスタートを切る。
無警戒だったのか、カーブでストライクは取ったが、完全にモーションを盗まれた形になり、三塁は余裕でセーフ。
1アウト三塁と、一気に失点のピンチとなる。
「敬はサウスポーだからさ、二塁ランナーのリードは背中側んなって、あんま見えねえんだ。ひと息入れて依田が落ち着かせてやりゃあ、良かったんだが……」
マウンドに集まった野手陣に対しても清水さんは、タイムを取るタイミングが遅い、と手厳しかった。
「お兄ちゃん、頑張って……」
愛は両拳を膝の上で、ぎゅっと握りしめる。
祈るわけにはいかなかった。
元聖女の愛が祈ってしまうと、かなりの確率で祝福が発動し、祈りの気持ちが強ければ強いほど、試合の行方に影響を及ぼしてしまうだろう。
マウンドには野手の先輩方が集まり、敬を励ましてくれた。
――交代かな。
ヒットにしてしまったバント処理、そしてみすみす許した三盗。
記録に表れない敬のミスが、ふたつ続いて招いたピンチである。
敬は覚悟していたが、伝令に来た先輩からは、この回は敬に任せる、頑張れと声を掛けられ、歯を食いしばって強く肯いた。
「スクイズ、あるぞ。一球――いや、二球外して様子を見よう」
「はい」
プレー再開。
ふたつ続けて大きく外れるストレ-トを投げたが、相手に動きはない。
四球め、右打者の内角に曲がるカーブを、相手は振り抜いた。
カキーン。
流し打った強いライナーがファーストを襲い、ジャンプ一番、キャッチ。
ファーストのファインプレーで、2アウト、あとひとり。
「やったっ」
「あざっす」
「ナイス、ファーストッ!」
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依田さんは4番田本さんとの勝負を選び、敬もそれに肯いた。
田本さんを敬遠したとしても、5番打者との勝負になり、古諸のレベルではどっちにしろ怖いバッターに変わりはない。
――集中だ。
敬は、髪の毛一本のコントロールミスも許さないつもりだった。
右バッターの田本さんに対し、まずは内角膝元に落ちるカーブで、ボール。
さすがに四巡めになると、このカーブは振ってくれない。
いずれにしろ、今のは見せ球である。
――次のボールで、ストライクを取りたいなあ。
そんな敬の考えを推し量ってくれたのか、依田さんのサインは外角いっぱいのストレート。
敬も肯いて、サインに応える。
それなりに走ったストレートだったし、コースもアウトローの狙った場所に、寸分違わず行ってくれた。
しかしそれを田本さんは、踏み込んで掬い上げるように、フルスイングした。
カキーン。
頭上を遥か越えてセンターに伸びて行く白球を、敬は振り返って見送る。
深めに守っていたセンターがじわり、じわりと後退していくが、やがて背中を向けて両腕を下げるのも、敬は見届けた。
その直後、フェンスを大きく越えた打球がバックスクリーンに突き刺さり、田本さんの特大ホームランを、敬は無言で見つめ、ちいさくしかし長く息を吐いた。




