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19. 七月、夏休み



 夏の宮崎県大会、普久高は三回戦で敗れた。

 二度も勝ったベスト16だから、近年の戦績を考えれば大健闘の部類であったが、それでも敗戦直後は悔し涙に暮れるのが高校野球の風物詩である。


 そしてすぐに、新チーム結成。

 三年が引退し、残った二年と一年の13名で、秋季大会を戦う。

 そしてその13名の中には、一ヵ月前から選手に復帰した道雪も、勘定に入っていた。


 とは言えども道雪の練習は、未だ別メニューであった。

 杖は取れ、軽いランニングやキャッチボールは出来るようになったが、全力疾走しようとすると脚がついて行けず、必ず転んでしまう。

 屈強な上半身と貧弱な下半身のバランスが、まだ全然取れていない。

 筋トレの効果が目に見えるようになるには三ヶ月掛かると言われており、九月末に始まる秋季大会に間に合うかどうか、という状態だった。




「ただいまぁ。あー、暑か暑かぁ」

 福島の自宅に灯りが点き、一緒に帰宅した亜蘭が、道雪の目の前で服をぱぱっと脱ぎ捨て、あっという間に下着姿になっている。

「ドーセツ、服脱いで寝っ転げて。マッサージすっから」

「ああ、頼む」


 今日の練習も、ランニングとキャッチボールをした後は、近くの市営プールで日が暮れるまで歩き、走り、泳いだ。

 お蔭で下半身はパンパンに張っていて、亜蘭にマッサージしてもらい筋肉をほぐすのが、ここ最近の日常になっていた。


「ドーセツはさ、異世界で勇者だったのよねえ」

 うつ伏せに寝っ転がった道雪に跨がり、筋肉の凝りをほぐしながら、亜蘭が呟いた。


「ああ」

 夏の真っ盛り。

 道雪はTシャツにパンツいっちょだし、亜蘭もキャミにパンツという軽装である。

 若い娘特有の、汗の甘い匂いが濃厚にしているし、道雪の尻の辺りで亜蘭の太腿がゆっさゆっさ揺れているが、毎度の事なので気にしない。


「ドーセツこないださ、まだ勇者の力が残ってるような気がするっち、言っとったけ?」

「ああ。多分残ってると思うど」

 弾むように押してくる、亜蘭の両手が気持ち良い。


「そしたらさ。なんで勇者の力使って、野球せんと? 勇者って、どんな力あると?」




「うーん――太か(大きな)剣を振れる」

「バット振る時には役に立ちそうねー。他には?」


「うーん……身体が頑丈」

「これ以上、頑丈になってどげんすっと……それだけ?」


「うーん、うーん……ひっ飛んだり、走ったりする」

「なんねそれぇー。ドーセツあんた、ほんとに勇者だったのけ?」

「ああ」

「そしたら、もっとなんか出来んの? カッコ良い技とか魔法とか、何かなかと?」


「勇者つーのは、結局闘いのプロだからな。仲間を護っせ、敵を殺す技しか、なか。野球にはそんな、役に立たん」

 ほんとうはさらに、雷を自在に操る力も持っていて、それが勇者最大最強の武器なのだが、亜蘭の前では口にしない。

 道雪が下半身不随になる事故からこの方、亜蘭にとって雷は強いトラウマになっていた。


「そっか――じゃあ地道な努力だね」

「ああ」

 マッサージが終わったのか、道雪の背中に亜蘭がどうと倒れ込む。

「こら亜蘭、暑苦しか」

「んー、良かでしょお……もちっと、こうさせてぇ……」


 道雪が歩けるようになってからも亜蘭の献身的なサポートは変わらず続いていた。

 今日だって市営プールでずっと付き添い、細々とした事に未だ不自由を感じる道雪にとって、それは非常に有難かった。

 いつも元気な亜蘭だが、それでも疲れは溜まっていたのだろう。

 道雪の背中の上で、いつしか亜蘭はすうすうと寝息を立てていた。


「亜蘭。俺を布団にするんじゃなか」

 ひっそりと毒づいた道雪だったが、亜蘭の適度な重みは悪くない感触で、しばらくそのままにしておいた。




「やっぱり来て良かったねえ。まっこち気持ち良かぁ」

 夏休みに入った早朝、亜蘭が華やいだ声を上げる。

 練習オフの日は身体を休めれば良いのに、身体を動かし足りない道雪たちは、海水浴場に来た。


 串馬は海に面した街であるが、その海岸線は東半分と西半分で、大きく異なる。

 東側の都井岬はほぼ全面の断崖絶壁で、岸辺に降り立つどころか、近付く事さえ憚られる。

 その周囲も基本は外海で波が高く、わずかなビーチはサーファーや釣り客の聖地になっている。


 対して西側は、波の穏やかな志布志しぶし湾沿いに鉄道が走っていて、鹿児島との県境近く、高松に海水浴場があった。

 道雪と亜蘭は、宙太に亜蘭の女友達ふたり、計5人で朝一番の汽車に乗り、高松のビーチにやって来たのだった。


「ドーセツ、さひかぶいに島まで競争すっが」

 着替えの最中、フリチンの宙太が少々痛めのボディブローを食らわせながら、笑顔で挑発してくる。

 口より先に手が出る厄介な性格は昔っからだが、それでも服を脱ぐ時、手を貸してくれる気遣いが嬉しい。

「今の俺じゃあ、お前に負くっど」

 高松のビーチには数百メートル先に無人島があり、泳ぎに自信のある者はそこまで泳いでいくのが、ほぼ習慣になっていた。


「競争はせんけど、泳いでみようかね」

「おう、一緒に泳っが」

 全力でグータッチをしたので、ふたりとも拳が痛くてしばらく動けなかった。




「お待たせぇ」

 先に着替えてパラソルやシートを設営していた男どもの元へ、女子3人がスタスタッと駆け寄ってくる。

「おう、ふたりともえらしか(可愛い)ねぇ」

「なんねー、ドーセツお世辞言わんの」

 女友達との遣り取りに、宙太も反応した。

「うんにゃ、女子がおるとおらんで、海の楽しさまっぽし(ほんとに)違うからの……じゃっどん、亜蘭はなんでタオル巻いとっと?」

 宙太の指摘通り、亜蘭ひとりがバスタオルを身体に巻いて、少し照れ臭そうにニコニコしている。


「そいは、ねぇ……」

『じゃーん』

 掛け声とともに女友達がバスタオルを左右に引っ張ると、亜蘭の全身が顕れた。

 亜蘭は、極彩色の太い縞模様が入ったビキニを着ていた。

 首の後ろと、腰の両脇を紐で結ぶ、かなり大胆な代物である。




「ひでぶっ」

 殺傷能力充分の亜蘭のビキニ姿に宙太がひっくり返り、みんなで笑う。

「見ろっドーセツ。紐やっど、紐。こいはポロリあっど」

「チュウのあんぽんたん。思った事すぐ口に出すんじゃ、なか」

「やーねぇ、男子って」

 女友達たちは宙太をジト見しながら、笑いが止まらなかった。


「なんね亜蘭、そい着てきたと」

 下半身不随だった道雪を風呂に入れる時、亜蘭は当初スクール水着を着ていたが、昨年の夏、気分転換の意味だろう、このビキニを買ってきた。

 宙太が言った通りで度重なるポロリに慣れてしまったのか、亜蘭はやがて水着も脱いで一緒に風呂に入るようになったのだが――それは別の話だし、もう過ぎた事だ。


「うん。市営プールじゃこれ着ると、高校生がなんねってがられる(怒られる)し、それにこん水着ちいさくなって、もうすぐ着れなくなっから……」

 以前からスタイル抜群の亜蘭だったが、確かに胸が少し窮屈になり、尻も少しはみ出している。

 要するに少女から、大人の女性の体型に近付いているのだった。


「だよねぇ。なんねこの、谷間と下乳は」

「まっこち高校生のくせに、けしからん身体しとるよねー」

 そう言いながら女友達が、両脇から亜蘭の胸をつんつん突き始める。

「なーん、ないすっとよぉ」

 胸を揺らしながら身を捩らせる亜蘭が、誤解を怖れず言えばかなり色っぽい。


 その光景に一瞬目を奪われてしまった道雪だが、気付くと宙太がそれ以上だった。

「チュウっ、よだれ拭かんかっ、よだれっ」

「いやぁ……生きとって、良かったがぁ……」

 至福の表情をまったく隠そうともしない宙太であった。




 しばらくは波打ち際でバシャバシャやっていた5人であったが、宙太の血がすぐに騒ぎ始めた。

「ドーセツ、島まで泳っが」

「ああ」

 そう言うが早いか、見事なストロークで宙太が、続いて道雪が島に向かって泳ぎだす。


「なーん、ちょっ待たんね」

 女子たちは慌てて岸に戻り、3人並んで抱えられる大きな浮き袋を持って、泳ぐふたりに付いて行った。

 この浮き袋は、道雪たちに万が一があった時の、救命の意味も持っている。

「まっこち、ドーセツとチュウのふたりが揃うと、どげんもこげんもなかねぇ」

 島に向かってバタ足をしながら、亜蘭が愚痴っている。


「ひとりでおったら、どっちもまともなのにねー」

「うんにゃうんにゃ、チュウはてげてげ(いい加減)やもん。ドーセツはそ言うたら行方不明になって、てげ(とても)変わったよね」

「え、そーお?」

「亜蘭は毎日一緒におるから、分からんのよ。なんつーか、落ち着きが出ちょる、つーか」

だよ(そうだよ)ー、てげ大人になった雰囲気だよねぇ」


「ふーん、みんなはドーセツの事、そう思ってるんだぁ」

「だよ。行方不明の間、なんも覚えとらんて話だけど、どっかで人生経験積んだのかねえ」

 亜蘭は実の処を知っている。

 道雪は異世界で10年もの間、魔王討伐の旅で筆舌に尽くしがたい経験をしてきたのだ。

 つまり見かけはもうすぐ16歳の高校生だが、道雪は亜蘭より10年長く生きてきた計算になる。

 その分、道雪は大人になったのかな――そんな事を考えていた。




 島に着いてみると、道雪が脚を攣らせて、砂浜に横たわったまま動けないでいた。

 どうやら宙太の泳ぎに張り合おうとして、無理をしたらしい。

「ドーセツのあんぽんたんが、ないしちょっとよっ。チュウどいてっ」

「お、おお……」

 亜蘭が血相を変えて駆け付け、介抱をしていた宙太を押し退けて、両手で道雪の足を押し始める。


「あっ、痛たたたた……亜蘭、すまんな……」

「ドーセツの馬鹿、馬鹿ッ。こん身体で、ないで無理しよっとっ」

 道雪の攣りが治まるや、今度は裏返して両脚のマッサージを始めた。

「もう良か、もう良か、のさんから」

「のさんはこっちやて。ちんがら言わんと黙っときっ」


「あー。ドーセツが大人っち言ったこと……」

「――取り消したほうが、良かね」

 呆れ気味にその光景を見つめる、女友達ふたりだった。


宮崎の方言ですが、宮崎延岡、日南、都城、さらに有名な小林弁と、

下手すれば市町村ごとに違っているので、難しいです。

当方鹿児島弁はほぼネイティブですが『あけんひ』は何の事か、マジで分からなかったです。


串間弁ではなく串『馬』弁、という事で、ご愛敬を。

もちろん赤ペン入れてくれる方が居らしたら、是非よろしくお願いします。

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