17. 道雪のいろいろな決意
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「こん、浮気もん、浮気もん、浮気もんがあぁぁぁぁぁっ!!!」
異世界での顛末を打ち明けた道雪に待っていたのは、強烈な亜蘭の往復ビンタと、それに続いて降り注ぐ家具や小物の数々だった。
「落ち着け、落ち着かんか、亜蘭」
元勇者の道雪が、亜蘭の投げ付ける小物をあまりにも見事に、ひょいひょいとキャッチするので、亜蘭は悔しくなり、さらに雨あられと投げてくる。
「こん、馬鹿あぁーーーーーっ!」
最後に飛んで来たのは、何と包丁だった。
眉間を目掛けて迫り来る包丁を道雪は、右手の人差し指と中指の二本でピッ、と挟んで受け止める。
刃先は顔面の寸前で止まり、やっと我に返った亜蘭が、今度は顔が真っ青になった。
「ドーセツっ、大丈夫かっ!」
「良かコントロールしとるわ、刺さってたら即死ぞ」
道雪は胡座をかいたまま、挟んでいた包丁をコロンと脇に払った。
投げられた小物は、しめて37個、被害はゼロ。
まずまずの戦果である。
「はあ……よかったぁ……」
気が抜けたようにストン、と亜蘭はその場にへたへたと座り込んだ。
「亜蘭、気ぃ済んだか?」
「うん、ごめん……」
もう少しで殺される処だったが、悄然と肩を落として俯く亜蘭を見ると、責める気にもならなかった。
「いきなり異世界っち言われても、良く分からんかったよな? も一度順を追って、話そか」
「うんにゃ、話さんで良かよ。異世界とか魔王とか、ほんとにあったとね。ドーセツがプロポーズしたっつのは悔しかけど、浮気とかそんなじゃなか事も、頭じゃ分かっちょるよ……」
一転して静かな口調で、亜蘭は話し始めた。
「――ドーセツがおらん間、あたしがどげんだったか、想像出来っと? あんたはけしんだっちみんな言っとったけど、あたしは信じなかった、うんにゃ、信じようとせんかった。暇さえあったら都井に来て岬中を捜し回ったし、無理言って船も出してもらって、崖の近くにも来た……」
道雪は腕組みをしながら、ほとんど身動きする事もなく、口をへの字に結んで亜蘭を見つめていた。
「一週間が過ぎ、二週間が過ぎ、ああ、あんたはけしんだんだ、もうこの世には居ないんだ、そう思うとてげ泣けてきて、あたしは毎日泣いちょった。福島の家に戻るのが、のさんかった。どこにおっても何をしてても、ドーセツがそこにおるような気がしたから。ひとりで寝っ時なんか寂しくて寂しくて、あたしは、どげんかなりそうだった……」
「…………」
「学校に来てもあたしは抜け殻で、やる事もしたい事も、なんもなかった――笑っちゃうよね。あたし、ずっとドーセツの世話してるつもりで、実はあたしがドーセツに依存してたとよ。ドーセツの気持ち確かめもせずに、勝手にあたしたちの未来思い描いてて、あたし、どげんもならん馬鹿だよ……」
顔を上げた亜蘭の目から、涙がツッと零れた。
「そんであたしが、どんだけあんたを好いとったか、分かってしまった……」
「…………」
*
「亜蘭」
ここで道雪が、初めて口を開いた。
「俺も亜蘭が、好いじゃっど」
道雪はこんな声だったかなと思うほど、深く張りのある声だった。
「あたしも、ドーセツ、好いとる」
少ししゃくり上げるようにして、亜蘭も言った。
「でも、そんシーナって子、どげんするの? プロポーズ受けたんよね、その子」
「ああ。多分そん記憶、残っちょるな。俺もそいじゃから」
無意識だろうが道雪は唇を指でなぞっている。
「俺の肚は決まっちょる。草ん根分けてもシーナ探し出して、逢うど」
「え……ドーセツ、シーナと結婚すると?」
「うんにゃ。シーナとは、結婚せん」
道雪はきっぱりと言い切った。
「異世界で俺とシーナは、確かに恋人同士じゃった。だからっちゅーて、現し世で亜蘭に面倒掛けた事、亜蘭と積み重ねた日々は、どげんこげんしても無碍にしちゃいけん、そう思うちょる」
「ありがと、ドーセツ――でもそしたら、シーナに逢う必要あると?」
「あっが。絶対にシーナに逢って、土下座でも何でもして、プロポーズを解消してもろて、俺と亜蘭の仲を認めてもらう。そいが筋ちゅーもんだと思う」
「――ドーセツは、それで良かと?」
「そりゃシーナは10年も一緒におった、大切な大切な人やった。じゃっどん、ここは現し世。現し世で目の前におる亜蘭をないがしろにしたら、俺は人じゃなくなっとよ」
亜蘭は洟をすすりながら、道雪の脇に散乱している、自分が投げた小物を片付け始めた。
「プロポーズした以上、そんで返事をもろた以上、期待持たせたままほっとくちゅーのも、シーナに失礼やち俺は思う。知らん顔なんか出来ん、絶対に逢わなならん。直接逢って首ん差し出して、何言われようが殺されようが、許してもらうまで詫び続けなならん。こいが、せめてもの俺の誠意やっど」
*
「ドーセツぅ」
道雪が話し終えるや否や、甘えた口調で亜蘭が飛び掛かって抱きついてきた。
何の事はない、こうするための後片付けであった。
「うわっ」
亜蘭を両腕で受け止めた道雪だったが、下半身の粘りが利かず、そのままどうと畳の上に倒れてしまう。
「あ痛ったたたた……このあんぽんたん。俺の腰から下は、まだ赤ん坊ぞ、踏ん張れん」
「ドーセツ、ドーセツぅ。やっぱりあんたは、あたしが見込んだ通りの漢だよぉ」
道雪の言葉を聞く様子もなく、亜蘭が道雪の胸の上で全身を擦りつけてくる。
互いに風呂上がりで、亜蘭からは良い匂いがしていた。
「ねえ、ドーセツ」
「なんね」
「シーナって子、綺麗だったんでしょ? 顔に書いとった」
亜蘭は道雪の胸に顔を埋めて、指で身体をなぞっていた。
「――ああ」
道雪はそう言ったきり、口をつぐんだ。
「ドーセツさぁ」
「だからなんね」
「こっちの世界でシーナ、どこにおると? 逢うのは怖かけど、気にはなる」
「俺たちと同じ高一じゃっち。あとは――山におる」
「山? どこの山け?」
「――知らん」
亜蘭がガバッと顔を上げて、道雪を覗き込む。
「どこの県に住んでるかも、知らんの? 他に情報は?」
「兄貴がおって、野球やっとる」
「――そんだけ……?」
「ちょっ待たんか、思い出してみる」
それきり道雪は、黙り込んでしまった。
「なんね、それえ。山に住んでる高一なんて、日本にどんだけおるち思っとっと。そんだけでどーやって、シーナ探すつもりよ」
「だから、草ん根分けても探し出して……」
「草ん根っこに、シーナはおらんっ」
心底呆れた声で、亜蘭は道雪の言葉をぶった切った。
「――野球を、頑張る」
「はあああっ?! 野球とシーナの、どこに関係あるっちゅーのよ」
「『甲子園で待つ』っち、俺はシーナに言った。野球頑張って甲子園に行けば、シーナの兄貴絡みでどげんかなりそうな気が、俺にはする」
「そんなんで、見つかるかなあ……」
寝っ転がった道雪の上に、亜蘭がまたバタン、と顔を埋めた。
下半身は全然だが上半身はしっかり鍛えてあって、筋肉の弾力が気持ち良い。
道雪の話ではこの身体、一ヵ月寝たきりだったらしいが、筋肉が落ちている感じはまったくなく、回復した下半身同様に不思議な力が働いていたとしか、思えなかった。
「甲子園、かあ。一応、話は繋がっちょるけどね」
「じゃっど」
「じゃっどじゃなかが……」
亜蘭は半分呆れつつ、ため息混じりに声を吐き出した。
こうして道雪の上に乗っかっていると、道雪がすべてを打ち明け、しかも亜蘭を選ぶと断言してくれた事に、どうしようもない嬉しさが込み上げてくる。
シーナを探す道雪の論理はどこからどう考えても無茶だと思うが、どげんかなりそうな気に自分もなってしまうのは、不思議だった。
――こんだけ立て続けに奇跡を起こしてきた、道雪なんだから。
きっと大丈夫だよね。
「ドーセツ」
「なんね」
「野球、頑張れ」
「ああ」
「あけんひから、だよね」
「ああ」
「頑張れ」
「頑張るわ」
短い会話を交わしながら、ふたりは互いの体温を確かめ合っていた。




