16. ふたりの『巣』で
後半、完全にR15です。
またやっちまった……
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一ヵ月行方不明だった道雪の生還、そして下半身機能の完全回復という、まったく説明の付かないふたつの奇跡は、串馬の人々を驚かせた。
現在のネット社会では、こうしたニュースは世界中を駆け巡ってもおかしくないが、そうならなかったのにはいくつか理由があった。
まずは串馬という街の地理的な特徴がある。
宮崎と鹿児島を結ぶ最短ルートは、昔は日豊本線に沿った鉄道、現在では内陸のえびのを経由する高速道路で、いずれも宮崎第二の都市である都城を通って、霧島の山々を越えていく。
もうひとつ、宮崎から海沿いを南下していくルートがあるが、それも日南から山に入って都城へ向かう道がメインである。
県最南端の串馬は、いずれのメインルートからも大きく外れ、宮崎に行くにも都城に行くにも2時間は掛かるという陸の孤島であったために、情報が広がりにくかった。
行方不明の期間中どこに居たのか、何があったのかを、警察を含め何度も何度も訊かれたが、道雪は知らぬ存ぜぬを貫き通した。
異世界に10年間行ってたと言っても誰にも信じてもらえないだろうし、現し世で何があったのか、道雪もまったく知らなかったからである。
お蔭で真相がほとんど何も分からないまま、この件は終わってしまった。
さらに道雪と亜蘭には、あまり大っぴらに出来ない公然の秘密があった。
このふたり高校一年にして、実質的に『同棲』していたのである。
同い年の赤ん坊を抱えた道雪の父親と亜蘭の母親は、やはり同い年の幼馴染で、結婚目前の恋仲だったと聞いている。
離婚して、都井で細々と民宿を営んでいる実家に戻って来た亜蘭の母親、そこに出入りしていた漁師の父親。妻とは死別し、互いにコブ付きの独り者同士だった。
ふたりの子どもが物心付く前に、漁に行った道雪の父親が船ごと戻って来なかった。
残された道雪は亜蘭の民宿に引き取られ、それから一緒に暮らしていた。
ふたりが串馬の市街地である福島地区に移り住んだのは、中学に入ってしばらくしてからである。
小学校は串馬の各地区に数校あるが、中学校は市内にひとつきり。
ふたりの住む都井から福島にある中学校までは、徒歩とバスで1時間以上掛かる。
道雪は野球部に、亜蘭はテニス部に入り、練習時間の確保を目的に、ふたりは亜蘭の亡くなった曾祖母が嘗て住んでいた福島の家に引っ越した。
しばらくは母も一緒に住んでいたが、民宿の仕事もあったので、ふたりが充分に生活出来ている事を確かめた後に実家に戻り、福島の家には週に何度か立ち寄る程度になった。
そして中二の夏休みに、道雪の人生を左右する事故が起こった。
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中学で部活の練習を終え、道雪と亜蘭は最寄りのバス停を降り、そこから徒歩で30分以上掛かる都井の実家まで、ふたりで歩いている時だった。
突然雲行きが怪しくなり、すぐに大粒の雨が降り始め、やがて雷まで鳴り始めた。
予報にもなかった突然のゲリラ雷雨だった。
周囲には人家もなく、隠れる場所すらない海沿いの一本道を、ふたりは急いで駆けて行った。
その時、すぐ近くで轟音がしたかと思うと、沿道の巨木がミシミシと音を立てて、走っていた亜蘭に向かって倒れてきた。
「あらーーんっ!!」
気付いた亜蘭の目前には半分燃えた巨木が襲いかかっていて、亜蘭は身を竦め眼を閉じて――そして凄い勢いで身体がひっ飛ばされた。
道路に投げ出され、したたかに腰を打ち付けた亜蘭が見たのは、身を投げ出して亜蘭を突き飛ばした道雪が、巨木の下敷きになって気を失っている姿だった。
一命を取り留めた道雪であったが、この事故によって下半身の機能を失い、車椅子生活が始まった。
亜蘭の曾祖母は晩年、車椅子で過ごしていたので、福島の家には旧式ながらバリアフリーになっていて、道雪はそのまま福島の家に住み、そこから引き続き中学に通い、卒業まで頑張った。
甲斐甲斐しい亜蘭の介護があった事は、言うまでもない。
「ドーセツあんたは、立花道雪の生まれ変わりなんだからね」
事ある毎に亜蘭が口にするだけでなく、周囲の人は道雪にそう言った。
戦国時代の名将、立花道雪。
毛利や龍造寺、憎い侵略者の島津と闘い、絶望的な防衛戦の中で、一歩も引けを取らなかった。
道雪と同様に、雷が原因で脚が不自由になった立花道雪であったが、人格武勇ともに申し分なく、主の大友宗麟を度々諫めて育て補佐し、噂に聞いた遠くは甲斐の武田信玄が是非会いたい、と書状を送ったほどの人物だった。
亜蘭の苗字は、橘。
婿養子になれば道雪は『たちばなどうせつ』と読める事になる。
亜蘭の真意は、道雪と一生一緒に居る、生涯介護を続ける、という決意の顕れだったのだろう。
夕陽の道端で、車椅子の道雪を背後から抱きしめている亜蘭の姿を、串馬の人々は何度も目撃していたが、事情を知っていたみんなは、誰も何も言わなかった。
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「ただいまぁ」
誰も居ない福島の家に、亜蘭の元気な声が谺する。
その後ろに居るのは、道雪。
車椅子ではなく、両手に杖を突いて、ふらふらとであるが歩いている。
「ドーセツご苦労さん。見つかって10日でこんだけ歩けるなんて、さすがやねえ」
振り返った亜蘭が、玄関に入った道雪を正面から受け止め、抱きしめた。
長時間の歩行に疲れ切っていた道雪は、少し躊躇いながらも、誘いのままに亜蘭になんかかった。
「重かろうに、まっこちすまんな」
「いっちゃが、いっちゃがぁ。ドーセツの重いの、あたし好いとる」
うっとりと道雪の背中を撫でさする亜蘭からは野性的な、しかし甘い匂いがする。
15歳にしてはスタイルの良い亜蘭は、卑猥な言い方になるが、制服よりも私服の方が、しかも薄着の方が魅力的だ。
亜蘭もそれを知ってか、キャミソールにホットパンツという恰好で密着していて、道雪は亜蘭の身体を直に感じていた。
「あけんひから学校来るからね」
いよいよ明日、高校復帰である。
「うん。野球部も来る? ドーセツ」
「おお。歩けんの見せて、たまがらすっど」
「あはは、あたしだって、てげたまがったもん」
ふたりが通っている普久島高校で、道雪は野球部に所属していた。
車椅子でのスポーツも考えたが、中学で一緒に野球をしていたチームメイトたちの力になれたらと思い、マネージャーを買って出たのだった。
「――野球、また始めっと?」
「ああ」
即答した道雪に、亜蘭が今日いちばんの笑顔を見せた。
「良か、良か……ドーセツ野球上手かったから、すぐ出来っようになるでしょ」
「うんにゃ、まだ走れもせんから……まずは地道にリハビリ続くっど」
「リハビリちゅーたら――そろそろお風呂、沸いたかねえ」
「おっ、おい亜蘭……」
「ちょっ見て来るねぇ」
呼び止める道雪を意に介さず風呂場に行った亜蘭がドタドタと戻って来た時には、亜蘭は全部脱いですっぽんぽんになっていた。
「ああ、またじゃっど……」
「ドーセツぅ、お風呂入っがぁ」
頭を抱える道雪に、亜蘭は裸を隠す素振りをまったく見せず、道雪の身体を抱き起こした。
車椅子時代、道雪は亜蘭の介護で入浴をしていた。
亜蘭に抱きかかえてもらって、風呂場に備えた姿勢保持用の椅子に腰掛け、自分で動かせない部位を主に、亜蘭に洗ってもらっていた。
初めのうちは水着を着て風呂の介護をしていた亜蘭だったが、やがて面倒臭くなったのか全裸で一緒に風呂に入るようになった。
その頃の事については、亜蘭にもいろいろ面倒を掛けたし、とやかく言うつもりはない。
だが今は、違う。
「なあ亜蘭、俺もう脚動くっから、そこまでせんくて良かとよ」
「ない言っちょっけ、ひとりで湯舟にも入れんくせに。湯舟でリハビリせんと、いかんでしょ」
そう。亜蘭の言い分では、医者に勧められた通り、温めた状態で脚の運動を行うために、一緒に風呂に入るという事であった。
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足元がまだ覚束ないがほぼ自分で身体を洗い、亜蘭の補助で湯舟に入る。
揃いも揃ってあつがんの橘ん家の人々だったが、道雪がゆっくりリハビリ出来るように、少しぬるめにしてくれているのも嬉しかった。
湯舟の中で両脚を曲げ伸ばししながら、道雪はシャワーを浴びている亜蘭を見ていた。
道雪の視線に気付いたのか、チラと流し目をくれた亜蘭は、少し見せ付けるように胸の辺りを念入りに洗い始めた。
「ふんふふーん♪」
超ご機嫌の様子で、亜蘭がチャポンと湯舟に入ってきた。
「どんげね、リハビリの具合は」
そう言って湯舟の中で立ったまま、道雪の身体を覗き込んでくる。
全部見えてるのが分かっている筈なのに、わざとこうして接近してくるから、道雪としては気が気ではない。
「どげんもこげんも、肉付けんと話にならん――なあ亜蘭。俺もこうして動けるし、風呂は別々に入らんか」
亜蘭がようやく身を沈めて、湯船に浸かった。
――こんだけ胸あると、おっぱいが湯に浮くのな。
道雪が視線を亜蘭の顔に戻すと、亜蘭は挑戦的な眼で見つめていた。
「いっちゃが、いっちゃが。こげんえらしか子にここまでさせちょって、有難いち思わんなあ」
自分で可愛いとか言うな、とも思ったが、実際可愛い顔をしているし、この屈託のなさは亜蘭の魅力だった。
「――俺は亜蘭の顔より、中身の方が好いじゃっど」
「中身って……なーん、ドーセツのえっちぃ」
何を勘違いしたのか、亜蘭が今さらのように胸を隠して股を閉じ、恥じらう素振りを見せた。
「いやそっちの中身じゃねえし……あんたが良くても俺がいかんのよ――こい見んか」
そう言って道雪が、自分の股間を指差した。
今まで下半身麻痺でうんともすんとも反応しなかったナニが、てげみっともない事になっているが、全裸で向かい合っている体勢では、堂々と見せる以外の術はなかった。
車椅子時代はおむつで生活していたので、自分で出来ないおむつの取り替えや、糞尿の世話まで亜蘭にやらせていた、そんな負い目はある。
異世界に居た頃は、多少の据え膳はあるにはあったが、周囲が驚くほど身持ちの堅いアランであった。
――記憶にはなかったが、亜蘭を心の奥底が覚えていて、自制が働いていたのかな、とも思う。
『アラン』と名付けられたのも、亜蘭の存在があったこそであろう。
しかし10年という歳月が少しずつではあるが、アランを変えていったのは事実だった。
道雪の股間をガン見していた亜蘭が悪戯っぽく笑いながら、ぐっと身を寄せて、道雪の首に両腕を回してくる。
「馬鹿がッ、亜蘭ないすっか……」
「知っとるよ――ドーセツ、どうしてあたしを襲わんと?」
いくら何でも15の小娘を襲う趣味は、アランを含め道雪にはない。
「年考えろ、年ッ」
「あんただってあたしと同い年じゃなかか」
道雪の脳裏に浮かんだのは、記憶が戻る前とはいえプロポーズしてしまった、シーナの事だった。
10年来の相棒であり、恋人。
なのにどうして手を出さないのか、リトとアーレンにからかわれ続けた。
明日をも知れない闘いが何年も続き、生きた証が欲しいと泣かれた夜もあった。
そして魔の領域に入る目前、これが最後の、屋根の下で寝る夜になるだろうと思われた、その日――
道雪の肚は既に決まっていたし、すべてを亜蘭に話す決心も着いていた。
――よし、今夜話そう。
俺の考えも含めて、包み隠さず、全部。
亜蘭の体温を直に感じながら、道雪は秘かに決心した。
祝・スワローズ日本一。
石川投手の1勝があっただけで幸せなのに、
日シリ優勝までしてくれて……幸せです。
前回の日本一だった2001年、僕はスワローズファンにも関わらず、
近鉄バファローズの方を応援していました。
浮き沈みが激しいチームの性質上、このチャンスを逃したら、
今度はいつ日本一になれるのか分からない、と思ったからです。
そして3年後、近鉄は球団ごと消滅し、予感は本物になってしまいました……




