13. カナさんの秘密、愛の秘密
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予定の親善試合が終わり、愛には心地良い疲労感が残っていた。
身体的にはそれほど動いてなかった筈なのだが、やはり朝からずっと緊張しっぱなしだったようで、そこからの疲労と虚脱感が大きい。
カナンさん、マッチーさん、カバちゃんさん。
三者三様のピッチャーも観ていてかなり刺激を受けたが、何よりも勉強になったのは、フクローさんとキョロちゃんさん、ふたりのキャッチャーだった。
ベンチでは、フクローさんは憎まれ役になるのも厭わず、言いにくい事もズバズバ直言する人で、キョロちゃんさんは場を和ませて雰囲気を盛り上げていた。
そしてグラウンドでは、フクローさんは大柄な体格を活かした積極的なプレーで、カナンさんと一緒に高め合っていく雰囲気。
方やキョロちゃんさんは、ピッチャーに寄り添う感じの堅実なプレーが印象的で、マッチーさんカバちゃんさんの良い処を最大限に引き出そうと腐心していた。
ふたりともまったく異なるタイプのキャッチャーで、親分肌だがどこか抜けている清水さんとも違っていて、しかしチームの司令塔であるという自覚は、共通して強く持っていた。
そして相手方の、松商のふたりのキャッチャー、ひとりは一年生。長野大日の大黒柱だったキャッチャー。
彼らの姿も、愛の印象に強く残った。
これが、キャッチャーなんだ……
兄のボールを受けたい、という動機だけで始めたキャッチャーだったが、それだけでは済まされない何かを、愛は感じ取った。
用意された女子更衣室に、シャワーはひとつ。
菫さん、カナさん、愛の3人で壮絶な譲り合いが繰り広げられた末に、まずは上級生の菫さんからシャワーを浴びる事になった。
「愛ちゃん、お疲れさまでした。カバちゃん喜んでたよ、愛ちゃんのお蔭で思い通りのピッチングが出来たってさ」
カナさんが愛くるしさ爆発の笑顔で、愛に話し掛ける。
この可愛らしさは愛のツボに入ってしまって、抱きしめたくなる衝動を抑えるのに必死だった。
「いえいえ、そんなそんな。私、キャッチングしか出来る事、なかったですし」
「なんもなんも。愛ちゃんセンスある動きしてっからさ、良い選手になるよ、きっと」
シャワー室の向こうでは、菫さんが歌を唄い始めた。
「あー、歌唄うと、ちっと長くなるんだよねー菫さんは」
カナさんが苦笑混じりに小首を傾げる、そんな動作さえ愛くるしい。
ひとしきり世間話をした後、カナさんが上目遣いに話を切り出した。
「あのさ、愛ちゃん。ひとつ訊いていいかい」
「はい、何でしょう」
「んーとね、ちょっと失礼なら謝るんだけど……野球部入るまで愛ちゃん、野球ほとんど興味なかったんでないかい?」
「別に失礼じゃないですよ、仰る通りです。兄の応援に、たまに行く程度でした」
「あー、やっぱりぃ」
カナさんは我が意を得たりという風に肯いた。
「野球始めた理由は、やっぱあれかい、好きな人のせい?」
「あ――はい……」
「そだねー。好きな人に引っ張られて野球始めた人、意外に多いよお」
案の定だったがカナさんは男女の恋バナにほとんど興味がないらしく、そのまま話を終わらせてしまいそうだったので、慌てて話題を繋いでいった。
「香奈さん。私も香奈さんに訊きたい事がひとつあるんですが」
「いいよぉ。なーに?」
「その……こちらこそ失礼でしたら申し訳ないんですが」
「なんもなんもぉ。なーんでもおねーさんにきっきなさぁい」
ああっ、カナさん可愛い。
可愛いったら、可愛い。
「あの、以前ですね、香奈さんが加南さんで、加南さんが香奈さんだった事って、なかったですか? えっと、つまり、香奈さんと加南さんが入れ替わっ――」
愛の言葉は、そこで途切れた。
大きく眼を見開いたカナさんが、ガバッと愛の両手を掴んできたからだ。
*
「ど、どうして、それを……カナンとあたしと、美香お姉ちゃんしか知らない事なのに……愛ちゃんもしかして、ばくりっこ――入れ替わりの仕組み、なんか知ってるのかい?」
カナさんが顔をグッと近付け、声を落として訊いた。
「いいえ、残念ながら。香奈さんの中に加南さんの、加南さんの中に香奈さんの魂が、ほんの少しですが混ざっている事に、気付いたんです。それって魂の入れ替わりがあった名残ではないかと、考えました」
「魂が……そんなの分かんの? 愛ちゃんて超能力とか、あるのかい?」
香奈さんの秘密を暴いてしまった以上、愛としても隠し立てをするつもりはなかった。
「実は私、異世界に一度行って、戻ってきた人間なんです。その力がまだ残っているので、香奈さんの魂が見えるんです」
「ふーん、ばくりっこしてるあたしが言うのも何だけど、そりゃ大儀だったっしょ」
「香奈さんの中に残ってる加南さんの魂は、香奈さんをずっと励ましていますよ」
「うん、確かにそんな感覚があるのさ、ビビりのあたしを、前に進めって背中を押しささってくれるよな――あたしの魂は、カナンの中で何してるかい?」
「見守っている感じでしたね。でもくじけそうな時に励まそう、という姿勢に変わりはありません」
「ふうん……」
「でさ、愛ちゃん」
「はい」
「香奈だったあいつの魂は、カナンの身体の中であずましくない――つらい思いは、してないかい? カナンてば、いつも景気良いこと言ってっけど、あいつ昔っからやせ我慢ばっかしてたから」
「いいえ、まったく。それどころか水を得た魚のように、伸び伸びと行き渡ってました」
「そう、良かったさぁ……」
ああっ、香奈さん。
自分の事より、相手の、加南さんの事。
可愛いのは外見だけじゃなく、魂はもっと可愛い。
「香奈さんの魂も以前のそれに比べて、ずっと大きく成長してると思うんですけど」
「何となくだけど、そんな自覚はあるなぁ……そしたらさ、あたしの魂は収まるべきとこに収まってる、そんな解釈で良いのかな?」
「私もそうだと思います」
「そっか、良かった……」
カナさんの瞳が大きく潤んでいた。
簡単に泣かないのは、元男子だったせいかも知れない。
「あたしさぁ、この身体でやってく決心はとっくの昔に付いてんだけど、時々不安になるんだよね、あたしほんとはカナンで、ふたりして間違った選択をしてるんじゃないか、って……」
「香奈さん……」
「そしたら、あたしが本来は香奈で、しばらくカナンと入れ替わって戻った、そーいう事で、良いんだよね?」
「いいと思います」
「愛ちゃん、ありがとう……」
とうとう香奈さんの頬に一筋の涙が伝い、ちいさな手がそれをごしごし擦った。
「いいえ」
事実はどうあれ、今の遣り取りがカナさんの救いになったなら、何よりである。
愛は言葉少なに、しかし優しく微笑んだ。
「そしたら美香お姉ちゃんが言ってた事、正しかったんだよ、きっと」
「お姉さん、何か見てたんですか」
「うん。ふたつ上のお姉ちゃんが居るんだけどさ、あたしが3歳になる少し前……」
こうして鼻歌まじりの菫さんがシャワーを浴び終えるまで、カナさんと愛の密談は続いた。
カナンとカナは、ひとまずここで退場。
さっさと本編に戻りたいと思います(汗




