12. 招待試合2 (栗夕月奈vs松本商、長野大日)
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第一試合、松本商業戦。
試合前の礼が済み、先攻の栗夕月奈、不動の1番打者だったカナさんが、バッターボックスに向かう。
そして愛は『夕張』と胸に大きく書かれたユニフォームを着て、ベンチ内に居た。
志乃さんもベンチ入りしていて、これまた『YUUBARI』と大書された菫さんのジャージを着ている。
「いやあ、奈月さんの人使いが、なかなか荒くって」
奈月さんには聴かれないよう、志乃さんがそっと愛に耳打ちしてきた。
「お疲れさまです」
そしてふたりがじゃれ合っている間に、試合が始まった。
「こうして見ると香奈ちゃん、ほんと小っちゃいねえ」
打席に入ったカナさんを見て志乃さんが呟く。
カナさんは公称身長146cm、野球選手としては規格外の体格だ。
これだけちいさいとストライクゾーンも狭くなるから、相手ピッチャーはストライク取るのも大変だろうなと思っていたが、さすが優勝校のエース、ポンポンとゾーン内に投げ込み、2ストライクと追い込んでいく。
しかしここからが、カナさんの真骨頂だった。
ファールで二球粘ってフルカウントまで持ち込んだ八球め、カナさんの膝がスッと沈む。
「うそっ」
セーフティバントの構えを素早く取ったカナさんに、志乃さんが驚愕の声を上げた。
コンッッ。
勢いを殺したボールが、ピッチャーとサードの間に転がる。
すっかり虚を衝かれた格好の松商守備陣は、ファーストに投げる事さえ出来なかった。
「うわぁ、驚いたなあ」
「カナさん、バント上手いですねえ」
「いやいや、驚くのはそこだけど、そこじゃないんだってっ」
志乃さんが興奮気味に、わけの分からない事を言う。
「なるほど、バントがファールになっても2ストライクだと三振になるんですね」
「愛ちゃん初心者にも程があるわ、そういう基本的な事は、知っておかなくちゃダメだよ――とにかく2ストライクからセーフティなんて、度胸あり過ぎでしょ……」
そこにぬっと顔を出したのが、ネクストに向かう処だったフクローさんだ。
「そだねー、カナなりの裏付けがあるんでないかな。カナ腕短いし、バットも軽いから、セーフティでも送りバントに近いフォーム作れるんだよねー」
フクローさんは近くで見るとなかなかの美形で、志乃さんがやや呆けたように頬を染めながら見つめている。
「ふわわあ……い」
「そうなんですね」
そう言えばカナさんも菫さんも、男子と違って木製バットを使っている。
「カナさん、盗塁するつもりなのかな」
一塁ランナーのカナさんがリードを大きく取っている。
魂の色は遠目だと良く分からないが、やる気に漲っていて、次の塁を完全に狙っている雰囲気だ。
しかし志乃さんは軽く首を振った。
「んー。あれだけ大きくリード取ってると、バッテリーは当然警戒するだろうけど……きっと牽制球投げさせるのが、いちばんの狙いかな、と思うよ」
「牽制球、ですか……」
「うん。そうやって相手ピッチャーの癖を引き出していくのも、1番打者の仕事だからね」
そしてカナさんは走らず、松商のピッチャーは牽制を立て続けに二度投げてきて、志乃さんが言った通りの展開になった。
「覚える事、たくさんあるんですね――」
「愛ちゃんは頭良さそうだし、ピアノあれだけ弾けるんだから、本気になりゃあすぐ覚えるよ」
志乃さんは愛の肩を抱き寄せながら、微笑んだ。
一回表、2アウトから4番ルイさんにタイムリーが飛び出してカナさんがホームを踏み、栗夕月奈は1点を先制した。
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一回裏、栗夕月奈の人々が守備に就く。
第一試合の先発ピッチャー、エースのカナンさんがマウンドに上がった。
低いフォームから投げられるストレートはべらぼうに速く、投球練習の段階で既にどよめきと歓声が上がっている。
ブルペンでは万が一に備えて、栗川一年の北くんが、堅田さんを相手に肩を作っていたが、ピッチャーとしては兄の方が上だろうと思われた。
愛の出番は、四回表から。
八回裏から登板するカバちゃんさんのパートナーとして、ブルペンで球を受ける予定になっている。
カナンさんのピッチングは控えめに見ても凄かった。
ストレートで振り遅れさせ、それと同じくらいの球速のスライダーで、空振りを奪う。
三回をパーフェクト、ほとんど前にボールが飛んで来なかった。
「――これが甲子園の優勝投手……」
プルペンに行く準備をしながら、愛が呟く。
間近で見るカナンさんのボールは、ちょっとしたカルチャーショックだった。
「したっけ愛ちゃん、頼むわぁ」
「はい」
試合中とは思えないほどのんびりした雰囲気で、カバちゃんさんが肩慣らしを始める。
まずは立ち上がったまま、キャッチボール。
カバちゃんさんは投球フォームを確かめるように、ゆったりと愛の胸元にボールを投げ込んでいく。
数分ほどして、カバちゃんさんが愛を座らせ、まずはストレートを投げた。
やっぱり独特の回転で、不規則な変化をするクセ球だった。
「やっぱり愛ちゃん、ミットの構え方が、良いね。投げやすいさぁ」
「ありがとうございます」
――この二週間、清水さんにキャッチングをみっちり指導してもらったお蔭かな。
古諸に戻ったら褒められた事、報告しよう。
松商のエースは六回を2失点と好投したが、カナンさんの出来がそれ以上だった。
予定の七回を投げ、2安打無四球7三振、強打の松商打線に二塁さえ踏ませなかった。
七回表、フクローさんがブルペンにやって来る。
「愛ちゃん、お疲れ。カバのボール受けたいから代わってくれるかい?」
「はい」
これでこの試合、愛はお役御免となった。
「えー、フクローかよぉ。俺、愛ちゃんの方が良いなあ」
「馬鹿ヤロ、寝言は寝て言ってみれ」
カバちゃんさんとふと眼が合うと、愛に向かって感謝のウィンクをしてくれた。
八回裏から、カバちゃんさんが予定のリリーフ登板。
カナンさんとはストレートの最速が20km/hほど違うが、良いコースにクセ球が決まり、二回を1安打1四球の無失点でまとめた。
第一試合は3対0、栗夕月奈の完封勝利。
「カバちゃんさん、ナイスピッチングです」
「いやいやなんもなんも。愛ちゃんのお蔭で何とかなったさ」
ベンチに戻って来たカバちゃんさんを、ハイタッチで出迎える愛だった。
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昼食休憩を挟み、第二試合は長野大日戦。
先発はサウスポーの町谷さん、キョロちゃんさんとバッテリーを組む。
この試合もカバちゃんさんは八回からリリーフで登板するので、第一試合と同じく、愛は四回表からブルペン入りする。
愛がプルペンに行くと、ノボくんがフクローさん相手に投げ込みをしていた。
「ノボ、今のストレートは良かったぞ。その感覚で、も一度投げてみれ」
「はい」
愛が見る限り、ノボくんはストレート以外のボールはほとんど投げていないし、それさえもコントロールが定まっていない。
聞けば一ヵ月前からピッチャーを始めたという話であった。
「あー、今の全然ダメ。さっきとは指先の掛かり、違ってたの分かるか?」
「あ、はい……何となく……」
「何となくで良いんだぁ。感覚で覚えていけよぉ」
どうやらフクローさん、試合を利用してノボくんにピッチング指導をしているようだった。
愛に気付いたフクローさんが立ち上がると、マスクを外し微笑んだ。
イケメンなので笑った瞬間、キラリーンと音がする。
「ワリいな愛ちゃん。他のピッチャーの球も受けささってあげたいけど、カナンはもうノースローだし、ノボは見ての通りだから。カバだけで我慢してくれ」
「いえいえ我慢だなんて、そんな。勉強させてもらってます」
「そーだそーだ、俺に失礼っしょやあ」
例によってのんびりとカバちゃんさんが抗議した。
親善試合という、ある程度の気軽さに加えて、栗夕月奈というワンチームでの、久々の試合。
誰もが伸び伸びと、幸せそうに野球をやっていた。
マッチーさんもさすがのピッチングで、七回を1失点に抑える好投。
しばらくは0対1のビハインドで試合が進んでいたが、六回表にカナさんが内野安打、そしてすかさず盗塁。
それが起爆剤となったのか、沈黙していた打線が爆発し、この回5得点。
5対1でカバちゃんさんの登板となった。
「愛ちゃん、今日はありがとなぁ。いつもはキャッチャー足んなくてさ、ここまで念入りに肩、作れねえのさ。ほんと助かったよ」
カバちゃんさんがのんびり微笑みながら、リリーフのマウンドへ向かう。
「こちらこそありがとうございました」
愛は深々と頭を下げながら、カバちゃんさんの背中を見送るのだった。




