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10. 栗夕月奈の3人娘



 枯葉。

 フランス語の歌詞だと、降り積もった枯葉が、

 思い出と一緒にシャベルで取り去られていく、て内容なのね。


 降り積もった枯葉は風に吹き飛ばされ、

 人に踏まれて粉々になり、土に還っていく。

 跡には、何も残らない。


 人間の、少なくとも私の思い出は、もう少し強靱だと思っている。

 私の思い出は、簡単に取り去られたりしない。

 私の思い出は、枯葉などではない。


 得たものも奪われたものも大きかった私の今までだけど、

 それが幸せだったかどうか、振り返る暇なんて多分ない。

 私の歩むべき道は、ずっと遠くまで続いている。

 哀しんだり後悔するには、私はまだ人生を知らない。


 今は、楽しい。

 トクさんとのデュオは、楽しいな。

 ひとりよりふたりの方が、ずっと楽しい。

 そう、ふたり――


 どうしよう、突然『ありがとう』って叫びたく、なっちゃった。

 私はありがとうの叫びを、私の指に乗せる。

 『枯葉』に合うかは自信ないけど、自由なピアノソロで叫んでみよう。

 トクさん、ありがとう。志乃さん、ありがとう。

 お母さん、お父さん、お兄ちゃん、ナオちゃんセンセ、みんな、みんな……


 ――アラン。




 愛もトクさんも気分が高揚したのか、やがて『枯葉』のしっとりした曲調とは程遠い、明るく温かな音色の応酬となり、最後はこのセッションを惜しむかのように、ふたりとも激しいリズムの連打で、華々しく締めた。


「愛ちゃん、ありがとう……」

「いえ、こちらこそありがとうございました……」

 見つめ合うふたりは、演奏の魔法から解けた虚脱感と、充実感でいっぱいだった。


 そこでトクさんも、ようやく我に返った。

「あ、お客さん、お待たせしてごめんね。ご注文は――」


「愛ちゃん、早くこっち来てっ! すごいのっ、すごいんだから!」

 トクさんの言葉を遮るように志乃さんの声が店内に響いた。




「いやいやぁ、びっくりしたさぁ。ピアノ弾いてたお姉さんがまさか年下で、しかも野球部の人とは思わなかったっしょ」

「でも近くで見ると年相応だし、めんこいねー」

 今度こそ『CLOSED』の表示に付け直した店内のど真ん中に、栗夕月奈の3人娘、愛、志乃さんがテーブルを囲み、談笑していた。


「いやいやこっちこそ、びっくりしたなんてもんじゃないっスよ。入って来たのがまさか、センバツ優勝校の人たちだなんて、夢にも思わなかったですよぉ」

 志乃さんはまだ興奮が覚めやらぬ様子である。


「それにしても愛ちゃん、ピアノなまら上手だねぇー」

「プロもたまげるんでないかい」

「愛ちゃんは、プロのピアニストだよ。ライブだってやってるんだから」

 カウンターからトクさんが、ニコニコしながら口を挟んだ。


『すっごぉーい』

「いえいえ、プロだなんて、そんな。ライブは一度やったきりですし」

「菫さんもギター弾けるんですよね」

「ここでその話、持ち出しちゃダメっ! レベチ過ぎるっしょ」




 愛は言葉少なに、3人娘をにこやかに見つめつつ、魂の色を観察していた。

 ひと言で言うと3人とも、大平原のような大らかさを持っている。

 ――だから初対面でも、こんな打ち解けた雰囲気になるんだな。

 土地が違うと人の魂の色が異なるのは異世界でも経験済であったが、広い土地に住むと心も違うんだなあ、と興味深く感じた。

 長野も広いし人は少ないが、北海道のそれはきっと、桁が違うんだろう。


 あれっ。

 カナさんを見つめた時、愛は多少の違和感を覚えた。

 ――少し魂がふわふわ浮いてて、不安定なような……

 ええと……そうか、女の子の魂に、少し男の子が混じっているんだ。

 それはいったい、どういう事を意味するんだろう。




 少し考え事をしていた愛は、菫さんから話し掛けられ、我に返った。

「――愛ちゃんは、キャッチャーやってるって話だけど」

「あっ、はい、始めてまだ二週間ですが」

「それってさぁ、やっぱりゆるくない――ええと、結構大変でないかい」

「あっ、あたしもそれ思いましたぁ。コンタクトプレーは多いし、女子は肩弱いから盗塁刺すのゆるくないっしょ」

「それ言ったら香奈ちゃんの外野手も相当特殊っしょや」

「あたしはほら、ピッチャーやってたから。投げるのそんな大儀じゃないです」


 ――やっぱり香奈さん、女の子だと思うんだけどな。

「まだキャッチャー見習いなので、良く分かんないです。ブルペンでボール受けてるだけの身の上なんで、本格的な練習には参加させてもらってないです」

『あー、そっかあ……』

 3人が一様に、残念そうな顔をする。

 女子の愛がキャッチャーとしてどんなプレーをするのか、興味津々なのは魂を読まなくても分かった。


「したっけ愛ちゃん、ボール投げるの得意かい?」

「嫌いじゃないです」

「ごめんね愛ちゃん、ちょっと腕見せて」

 菫さんが愛の右腕に触れた。


「あー、細いけど意外に筋肉あるね。手首がしっかりしてるなあ、ピアノ弾いてるせいかな――それにしても白いねずいぶん」

 菫さんの言葉にカナと奈月さんが反応する。

「あーっ、ほんとだぁ」

「愛ちゃん、肌きれーい。日焼け止め、どんなの使ってんのさ?」


「えーと、そんなに大した事は、してないんですが……」

 愛は思わず口籠もった。

 実の処、体力回復の治癒リキュアを掛ける際に、一緒に日焼けも治しているので、それだけは口が裂けても言えない。

 愛は紫外線に当たると火傷のようになってしまうので、致し方のない処置ではあった。




 ちょっとお手洗い借りまあす、と席を立った奈月さんが、ニコニコしながら戻って来た。

「菫、オッケー。佐内センセの許可もらった」

「よしっ、奈っちゃん、でかしたっ」

 何故かふたりでガッツポーズをし、ハイタッチを交わす。

 カナさんもニコニコしながら見ているので、事情は察しているようだ。

 彼女たちの魂からは、好意と、可愛らしい『悪だくみ』の色しか見えない。


「奈っちゃん、言ってよぉ」

「いやいやここは菫っしょ」

「じゃあ言い出しっぺの、香奈ちゃんで」

「いやいやそれはないんでないかい」

 しばらく3人で、ごにょごにょ突っつき合っている。

 どうやら誰が『悪だくみ』とやらを切り出すか、揉めているようだ。


「コホン」

 可愛らしく咳払いをした菫さんが、その役目を担う事になったらしい。

「愛ちゃんは、古諸ではまだ、本格的な練習は出来てない、て言ってたよね」

「はい。体力作りと、キャッチングの練習が主です」

 退屈で地味な内容の繰り返しであったが、そうした練習で愛がを上げないかどうか、決心の程を確かめているように感じていた。


「で、志乃ちゃん愛ちゃんは、あたしたちの試合、観に来たんだよね」

「はい」

「そうです」

 甲子園優勝チームでレギュラーを張っている女子選手――つまり菫さん、カナさん――がどんなプレーをするか、しっかり勉強するのが松本への小旅行の目的だった。




「そしたらさ、明日朝七時、ホテルにおいでよ。一緒に練習しよ」

『えっ』

 志乃さんと愛が、思わずハモった。




「愛ちゃんがあたしたち観たいのと同じでさ、あたしたちも愛ちゃんに興味あるのよー。男子の硬式野球部で女子のキャッチャーなんて前代未聞だもん、どんなプレーすんのか見てみたいっしょ」

「そそ、それだったら一緒に練習するのが、いちばんさぁ」

『ねー』

 菫さんとカナさんが同時に肯きながら、顔を見合わせる。


「――でも私、ほんとの初心者ですよ? ご迷惑にならないかと……」

「なんもなんも。今じゃうちも強くなってるけど、3年前までは初心者どころか、いつもはフットサルやってる人に公式戦出てもらってたんだから。迷惑どころか監督の佐内センセ、全然問題ないって言ってたよ」

「それにねー。うちはピッチャー3人居るけど、キャッチャーはふたりしか居ないのよ。愛ちゃんがキャッチャーやってくれると助かるなー、て打算もあるんだよね」


「愛ちゃん、せっかくだからお邪魔しちゃいなよ」

 志乃さんが愛に向かって、身を乗り出してくる。

「実は愛ちゃんですね、今日、おニューのマスクにグラブ、ミット、スパイクまで買い揃えたんです。だからユニフォームさえあれば、練習参加出来るんです」

「おおー」

「願ったり叶ったりでないかい」

 とうとう愛を除く4人が、両の拳を上に突き上げる、派手なガッツポーズをした。


「じゃあ、決まりだねー。ユニフォームはあたしの貸したげるから、明日七時、ここの裏のホテルロビーに、ふたりとも来てね」

 菫さんが帰り支度をしながら、志乃さんと愛に目配せをして立ち上がった。

「はいー。よろしくお願いしますっ」

「よろしく、お願いします」

 ここまで来たら愛も、覚悟は決まった。

 日本一になったチームに胸を借りるつもりで、しっかり練習しようと、心に誓ったのだった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 本話での話ではありませんが、甲子園では在籍年次の都合で会えなかったカナとの出会いの演出として招待試合を見学することで合わせるは。 [気になる点] 聖女って魂の種類まで見れるんですねぇー。…
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