推しに認識されたくない転生令嬢はいつの間にか攻略していた
おそらく前世と呼ばれる世界の記憶を得たのは、王子の婚約者選びを前提としたガーデンパーティであった。
十二歳の王子を中心に近しい年頃の令嬢が群がるその光景を見て、閃くように現状を認識した。
ここは前世でOLだった自分が大好きなゲームの世界であると。
恋愛シュミレーションゲーム「ときめきハッピーパラダイス」通称ハピパラ。
とある王国で平民として育った貴族令嬢であるヒロインと、王子を中心とした攻略対象たちの織りなす恋愛劇だ。断罪や死の恐れはなく、バッドエンドも友人として終わるだけの優しい仕様である。
盛り上がりに欠けるとあまり評判は良くなかったが、ハピエン厨の私は何度もプレイした。
一推しは今目の前にいるディクラス王子。記憶にある姿とは少々異なるが、幼さを持ってしても美しさは変わらない。金髪碧眼で優しい雰囲気を纏ったいかにもな王子様だ。目が幸せ!
突然のことにも関わらず、大好きな作品の世界で生きている現実を瞬時に受け止めていた。なにせ転生系もたくさん読んでいた。こういうのは瞬時の判断力が重要なのである。私オタクだったから詳しいんだ。
前世での死に覚えはないが、この世界で生きてきた十年の記憶はある。雄叫びを上げなかったのは令嬢として生まれ育った自制心のおかげだろう。
これはもう、楽しまなくては損だ。前世の私は刹那主義的な考えの持ち主でもあった。
「ルーネリア様、どうかされましたか?」
「殿下があまりに素敵な方でしたので少々見とれていただけですわ」
「ふふ。お気持ちは分かります」
すべて認識し終えるまでぼんやりしていたらしい自分に、横に立つ令嬢が気遣ってくれた。
こちらも見覚えのある姿より幼い彼女は、王子の婚約者の最有力候補だったはずだ。
三代侯爵家の一つであるアバンヘルフ家のマリーリカ様。のちに主人公のライバルとして登場する令嬢である。
私自身は作中に名前すら出てこないが、家格はマリーリカ様と同等。王子や攻略対象と接する機会があってもおかしくない身分だ。
前世の私はこだわりのあるオタクであった。
乙女ゲームのイベントへは参加するが、公式関係者や中の人、ファンアートの作者たちには存在を知られたくないという、いわゆる推しに認識されたくない系オタク。
そんな拗らせ属性を記憶と共に装備した齢十の侯爵令嬢は、推しを前にしたこの現状での行動の最適解を求めた。
王子は媚を売られるのが嫌いだ。
権力者がなにをと思うだろうが、まだ十二の少年だと思えば分からなくもない。身分ゆえに孤独を抱え、心を許せる者がいない中でヒロインと出会い恋に落ちるのだ。その王道シナリオ最高だった。
そうとなればこの場で自分がすべきことはただ一つ。
王子に群がる少女たちに混ざって全力で媚び、とにかく嫌がられるような令嬢を演じた。これで個としての認識はされないであろう。
あと五年もすれば学園で運命の相手に出会うはずだ。それまで頑張れ王子。
「今日の顔合わせは大成功だったわ」
「まぁ!上手くお話しできましたか?それはようございました」
「ええ、まったく印象に残っていないでしょうね!」
「はっ?」
ファーストコンタクトは大成功であると、意気揚々と馬車に乗り込む私の言葉に侍女が驚いているが、誰がなんと言おうが大成功である。
ふと、視線を感じて窓の外を見れば、一人の少年と目があった。優しそうな王子とは違い、随分と眼力の強いショタだ。
本日の会場にいた子ではない。身なりと見目の良い彼はどこかで見たような気もするが、茶髪に薄灰の瞳には王子やマリーリカ様のように閃くものはなかった。
作中にあんなキャラいたかなと思いながら馬車に揺られ帰宅した。
屋敷へ戻り、改めて現状を把握する。
前世一般家庭の長女だった私は現在、高位貴族の令嬢である。将来はそこそこ釣り合いの取れる相手へ嫁ぐのであろう。
だが同年代にまとまっている攻略対象者たちは避けたかった。
ゲームでは皆、婚約者はおらず、決まるのは学園卒業後。つまりヒロインと選ばれた者がハッピーエンドを迎えた後に他の攻略対象者たちも婚約者を得る仕様である。優しい。
一推しはディクラス王子だが、優しい世界観のゲームに出てくるキャラたちはみんな魅力的ないい子ばかりで箱推しなのだ。
おまけに私は夢女ではなかった。
王子と近しい年頃の自分に充てがわれるのは彼らの可能性がある。推しは遠くから眺めていたいだけなのに。
幸い我が家には上にも下にも兄弟がいる上に両親は子供に甘い。
「後妻狙いが妥当かしら」
なにせ前世OLの私はアラサー独身、恋人いない歴=年齢である。その記憶がある今おじさんが相手でも構わない。自分自身が甘酸っぱい恋とか精神年齢的にしんどいし年上なら甘やかしてくれそうだし。
婚約者を選ばれる前にとお父様に伝えたら真っ青になってしまった。十歳の娘にそんなことを言われたらそうなるだろう。中身年齢でうっかりやらかしてしまった。
「後妻なんて……ルーネリア、今日のお茶会でなにかあったのかい……!?」
「いいえ、私の好みはうんと年上の方だと気づいたのです。お父様のような」
後者を強調してなんとかその場を切り抜けた。
◇
時は経ち、学園へ入学する歳になった。
十五から十八まで三年間通うこの王立学園へは、二学年上のディクラス王子と一学年上のマリーリカ様、そしてヒロインであるカーラはすでに通っている。交流もしているはずだ。
つまり私が彼らを眺められるのは王子が最終学年となったこの一年だけである。悔しいが年齢ばかりは仕方ない。
ワクワクと入学しいそいそと彼らを追った。もちろんこっそりと。この五年で隠密行動を身につけたオタク令嬢は強いのだ。
「はわ……桃源郷はここだったのね……」
近くで読書をするフリや友人連れで偶然を装い近づいてみたりと、淑女の行動として怪しまれないよう観察していれば、ヒロインのカーラを中心にやはり魅力的な攻略対象者が勢揃いしていた。
宰相候補と名高いクロラーゼ様に教師のホルスタフ先生、マリーリカ様のお兄様であるルフリート様に司祭子息のパロット様、騎士科のヴォルファン様にーーーーあら、一人足りない。
不思議なことに三ヶ月経っても残りの攻略対象者を見かけることはなかったが、目の前で繰り広げられるゲームそのものの世界に夢中になっていた私はさして重要視していなかった。時期ではないのかもしれないし。
そうして分かったのは、やはりディクラス王子のルートに入っているようだということ。
「最終学年のこの時期に重要な分岐点があるのよね」
甘酸っぱい展開を思い出して恍惚のため息が溢れる。
それは王子に一番近いとされるマリーリカ様の反応でも窺えた。
彼女はライバル令嬢といっても貴族社会のマナーをやんわりと言及するだけだ。重ね重ね優しい。
そうして王子がヒロインを選べばしっかりとした話し合いの場を設けて婚約者候補を辞退する。
天真爛漫なカーラも可愛いが、私はそんな淑女の鏡であるマリーリカ様が好みだ。内心で王子への恋心を抱きつつも凛と受け入れる様はなんといじらしく美しいことか。
「私が男だったらなぁ」
喜んでプロポーズしちゃう。
人気のない裏庭で一人、悲しそうに佇むマリーリカ様を見てそう思う。ファンの間でも全力で慰めたいと話題になったシーンだ。
でも王子とヒロインの組み合わせも好きだからな〜悩ましい。箱推しオタクのつらいところである。
見目麗しいキャラクターたちの華やかなやりとりを眺めている間に、もうすぐ夏季休暇に入ろうとしていた。
「そういえば、結局あと一人は見られなかったな」
今日も今日とて中庭の噴水付近で仲睦まじく話している王子とヒロインを観察していれば、楽しそうな二人に気づいた攻略対象者たちが一人、二人と集まってくる。
やはりあと一人が見当たらない。
残りの攻略対象者、オルビス・バーウィック様は特徴的な見た目をしている。
この国では珍しい黒髪にルビーの瞳。何度も繰り返したルートで見た彼は遠目でも絶対に分かる自信がある。
独特な雰囲気を纏う彼はキャラクターの中でも王子と争うほどの人気であり、過激なファンも多くグッズの入手困難度はナンバーワンだった。
彼のメインストーリーは私が入学する前とはいえ、その後や他のキャラのルートでも登場していた。
クールな侯爵家次男であるが、王家の影と呼ばれる一族だ。ちなみにこれは極秘事項。
外交官である長男と違い、国内の情報収集を担当していた。平和なゲームなのでお仕事中の直接的な描写はない。
「影の仕事が忙しい時期? そんな展開あったっけ……」
「なぜお前がそれを知っている」
突然降りかかった声と影に驚いて持っていた本を取り落とす。
中庭の噴水が見える教室で一人、読書をしていたはずだ。それなのに今目の前にいるのはこの世界で初めて見る、最後の攻略対象者。
「……なにをしている」
即座に取った行動は拾い上げた本で自分の顔を隠すことだった。
なんで? なんでオルビス様がここに!?
先程まで思い浮かべていた人物が突然目の前に現れ、赤い瞳がこちらへ向けられている。推しに認識されたこの現状が耐えられない。
いやだー! 私を見ないで!!
「おい、質問に答えろ」
「申し訳ございませんが後ろを向いていただけないでしょうか」
「は?」
「私とても醜い顔をしておりますの。殿方にお見せできるようなものではございません」
「ルーネリア・ダラム侯爵令嬢。その整った顔に傷一つないことなど知っている」
容姿を褒められてわーいなどと喜ぶ心は持ち合わせていない。身元までしっかり把握されていた。消えたい。
「恥ずかしがり屋なんです。見逃してください」
「俺はお前のことをずっと監視していた。見えすいた嘘はやめろ」
入学してからこちら、一人だけ見かけないと思っていたら監視されていたのか。我が家の騎士に頼み込んで(半ば脅して)尾行の仕方とか教えてもらったのに。
「プロには勝てない……っ」
諦めて本を下ろしはしたが俯いたまま零したため、怪訝そうな顔を拝むことはなかった。
「それで……なにか御用でしょうか?」
諦めて尋ねれば、先程の問いに答えろと繰り返された。
先程とはどれだ。思い返して青ざめる。独り言とはいえ国家機密をポロリしてしまった。
「聞き間違いでは……」
尚も言い逃れしようとする私に圧をかけるように彼の腕が視界に入る。
下を向き机を凝視する私と覆い被さるように囲って逃げ道を塞ぐオルビス様。なにこれ机ドン? わー新しい。ときめきがなければただの包囲網である。
「こ、答えなければ連行されて罪に問われますか?」
「……いや」
よかった!
王家に敵意がないことは私が記憶を得たあのお茶会から続く調査で判断されたそうだ、彼を含む複数の監視によって。
ええ、そんなに監視されてたの? なんで? 別に国家転覆とか企んでませんが!
あの日、王子の興味は引かなかったが、一応候補の侯爵令嬢として調べるうちに彼自身が私に興味を持ったのだという。
そんな奇抜な行動してませんけど。淑女教育をしっかりと受けてましたけど。
「隠れて体力をつけたり騎士に教えを乞う令嬢などいない」
してた。というかどこまで見てるんだプライバシーの侵害では?
だが疑わしい今の私は文句など言える立場ではない。
「オルビス様のご事情は……知っていたとしか申せません」
嘘ではない。うっかり聞いたなどと言ってしまえば、存在しないとはいえ自分以外の誰かに罪をなすりつけることになってしまう。
いや待てよ、陛下に近いお父様は知っている可能性が高い。娘に漏らしたと誤解されてはたまらないがいい言い訳も浮かばない。困った!
「いつから?」
「……五年ほど前から」
知っていても監視に気づかない無害な令嬢だと見逃してほしい。ついでに存在を忘れてください。
そう願っていれば、分かったという返事と共に間近にあった腕が離れていく。やっと解放されたが気は抜けない。
「けして口外いたしませんし、お望みであれば念書も残します。ですので私のことは忘れていただければ」
どうせ王子の婚約者候補への素性調査はもう必要ないだろう。最近ではお父様がお見合いの話を振ってくるぐらいだ(後妻はやはり抵抗があるのか少し年上の未婚男性ばかりだが)、候補から完全に外されたと考えていい。
「その必要はない。お前の婚約者は俺になるからな」
「!?」
思わず顔を上げてしまい、ルビーのような瞳に射抜かれて心臓がばくんと音を立てた。
どこまでも推しの顔。とてもじゃないが至近距離で眺めるものではない。慌ててまた俯こうとすれば、顎を掴まれて固定された。顎グイならぬ顎ガッだ。
えっこんな動作ゲームでありませんでしたけど……? こちとら一応侯爵令嬢ですけど……?
「そんなに俺の顔を見たくないか」
いや自分の顔を見せたくないのですが。
なぜそんな辛そうな表情なんだ。ヒロインへの気持ちを隠すのが耐えられなくなった時のそれだ。生神スチルごちそうさまです。
「それともあの中に好きなやつでもいるのか」
そう言って示されたのは中庭で談笑するヒロインと攻略対象者たちだ。
「いえ、あの方々が相手でも同じ態度を取ると言いますか、速やかに視界から消えると思います」
これまで監視していたのならば絶対に認識されない距離を保っていた私の行動もご存知であろう。なぜそんなことを聞く。
まだ納得がいかないのか、質問が寄越される。
「ならば俺の家業が問題か?」
なんの?
「オルビス様のご事情については誰にでもできることではないご立派なことだと存じますが……」
国のための汚れ仕事だ。恩恵を受けているこちらに意見などあるはずもない。
返事をすれば、なぜか驚いたような顔をされた。この永遠にも感じる僅かな時間にスチルも立ち絵もコンプリートしてしまう勢いだ。
「では問題ないな。話は以前から通していたが、近いうちに正式に申し込む」
お父様? こちとら聞いておりませんが?
「我が家と縁をもちましてもバーウィック家にはなんの得もないかと……」
「俺がルーネリア嬢を好ましいと思っているから申し込んでいる」
はぁ!?
そういえば彼のルートではヒロインへ告白する際に家業のことも伝えるはずだ。諦めるつもりで告白した彼を、その事情ごと受け入れることでハッピーエンドになるという王道展開。王道大好き。
いや待ってよ、私別に受け入れてないし。チョロすぎない? 攻略対象者がみんなチョロいところも大好きだったけれども。
なにより私は推しに認識されたくないんだってば。いい加減顎を解放してくれ!
「お断りしたらどうなりますか」
恐る恐る訪ねる。
「機密の漏洩を防ぐために屋敷に連れ帰って納得するまで説得する」
監禁では?
一気に血の気が引いた。
「私! 優しそうなおじ様の後妻に収まるのが夢なので!」
「そうか。諦めろ」
たしかにゲームのオルビス様は強引なところはあった。だがヒロインの気持ちを第一に考えていたはずだ。こんなにグイグイ来るところなど見たことがない。私がヒロインじゃないから? ま?
甘いだけのゲームが好きだった私には、近寄りすぎて知る側面など対応しきれない。推しとはいい距離感を保っていたいのだ。なのに。
「頷けば監視は解ける。早々に受け入れた方が身のためだぞ」
少々歪められた笑顔で、まるで悪役のようなセリフだ。ゲームではそのような描写はなかった。つまりこれは新規スチル……。はわ……。
おまけにここで彼の手を取れば、卒業後も攻略対象者たちを眺められる距離を望めるかもしれない。ハッピーエンド後のアフターストーリーが見放題だ。
推しにこちらは見ないでいただきたい。だが推しの新たな一面は見たい。
「よろしくお願いいたします」
導き出した答えに満足そうな顔をされた。ちょろいのは自分もだった。
その笑顔、二次創作まで人気が出るのも分かります。
余談だが、あの日お茶会帰りに見かけた眼力つよつよのショタはオルビス様だった。
裏のお仕事中の変装の一環だそうで、ゲームには出てこない姿だったため気がつかなかった。
王子の婚約者に選ばれないだろうと喜び、学園に入ってからはマリーリカ様へ邪な目を向ける私をそちらの趣味かと疑いつつも惹かれていったらしい。
本人からそう聞かされた日影のオタクはただただ居た堪れない気持ちになった。
いつの間にか攻略していたらしい彼は少々ヤンデレ気味ではあるが、愛情を受けて幸せな日々を送るのはそう遠くない未来。
なにせここはハッピーエンドが約束された優しい世界なので。
とはいえ、
「あ、こっち見ないでもらえますか」
「またか」
前世から背負った業はなかなか消えることはない。