死者の恋
スクランブル交差点で、道ゆく人々が汗を流しながら歩いている。歩いている人から、漏れ聞こえた話によれば、今日は最高気温が38℃の猛暑日なのだそうだ。
そんな中で、他の人たちと同じように歩いている私は一滴の汗も出ていない。しかも、冬用の制服を着ているけれど、暑くないから長い髪も結ぼうとも思わない。
なぜなら、私は死んでいて暑さを感じないから。
もし、みんなに私が見えていれば、夏にブレザーを着て、タイツを履いている姿は浮いていただろうから、注目されてチラチラと見られていただろなと思う。その光景を想像すると、少しおかしくて声に出してクスクスと笑ってしまった。もちろん急に笑い出した私を見る者は、誰もいない。
幽霊になったばかりの頃は寂しくて悲しかったけど、今は人目を気にしないでいいという解放感がある。
そう思えるようになったのは、半年前くらいに死んで幽霊になってしまった私を励ましてくれた、坂宮拓さんという一歳年上の先輩幽霊のおかげだった。
私は今日、その坂宮さんと犬の銅像の前で会う約束をしている。ながらスマホをしているおじさんの歩行速度に合わせて歩いて、おじさんのスマホの画面をチラリと覗き見ると、約束の時間を過ぎていて焦った。
もう近くだから、走っても歩いてもそう変わらないだろうけれど、気持ちの問題だ。私は道ゆく人々をすり抜けながら走った。
「急いでいる時、幽霊は人にぶつからずに走れるから便利なんだ」
そう笑いながら教えてくれたのも坂宮さんだった。
やはり、坂宮さんはもう待ち合わせ場所に来ていた。手をジーパンのポケットに突っ込んで、空を見上げている。
幽霊は死んだ時と同じ服装をしているようで、私は下校途中の冬に死んだから冬服の制服の格好だけど、坂宮さんは夏に死んだので、白い半袖のTシャツを着ていて、今の季節にぴったりだった。
坂宮さんは私に気がつくと、ポケットから手を取り出し微笑みながら手を振ってきた。坂宮さんは笑うと、爽やか系のかっこいい顔が目が垂れて可愛い顔になる。だから、私は坂宮さんの笑っている顔を見ると思わず、頭を撫でたくなるのだが、幽霊同士でも触れ合うことはできないので、それができなくていつも残念に思ってる。
私は、坂宮さんのもとへ駆け寄って頭を下げた。
「坂宮さん、遅れてごめんなさい」
「大丈夫だよ。こういうの、デートって感じがするし。じゃあ、出発しようか」
私たちは、目的地である公園に向かって歩き出した。
私たちは、お付き合いしている。
けれど、付き合いだした時は、お互いに好感は持っていたけれど、恋愛感情は持っていなかった。それでも、付き合ったのは、成仏するという目的のためだった。
幽霊になる人とならない人の違いは、この世に未練があるかないかだ。私には、誰かに愛されてみたかったという未練があった。
両親は、まったく私を愛していなかったわけではないと思うけど、二人とも仕事が忙しくて話す時間すらあまりなかったから実感することはなかったし、小さい頃は私の世話を押し付けあっていた。
両親以外とも上手に付き合えていなかった。いじめられていたわけではないけど友達はいなかった。お昼休みには本を読んで、好きで一人でいることを装っていた。だから、いつも寂しくて、誰かに愛されてみたいと思っていた。
坂宮さんも同じだった。彼は家族と仲が良くなく、友達はいたけれどとても薄い関係で、誰かに愛されてみたかったと言っていた。
もし、成仏できず長い間この世に止まっていたら黒いモヤになって消えてしまうそうだ。黒いモヤは、恨みや悲しみ嘆いている、人に危害を加える悪霊の周りにある。なので、黒いモヤになって消えてしまうということは決していいことではないだろうと幽霊たちの間で言われていた。
私は、その話を聞いて怖くなった。だって、私の未練が解消されるわけはないと思ったから。
でも、坂宮さんは私を励ましてくれた。
「安直な考えかもしれないけど、愛って家族だったり恋人同士の間で生まれるイメージがあるんだ。お互い愛が未練なら、付き合ってみよう。それで、どっちが先に成仏しても恨みっこなしだよ。もちろん、1番いいのはお互いに愛を感じて一緒に成仏することだけどね」
私はその言葉に頷いた。同じ未練を持つ人がいて、心強かったし、付き合おうと言われて嬉しかった。
私たちは服装こそちぐはぐだけれど、似た者同士だった。私はそう思っていたーー
公園でのデートは楽しかった。生前見たこの映画が好きだったとか、こういう失敗をしたことがあるだとか色々と話をした。
勘違いかもしれないけど、私は、坂宮さんに愛されていると感じることがあった。そして、私も坂宮さんに惹かれているのを感じていた。だから、二人で成仏できる日は近いのではないかと思っている。
夜になり、私たちはまた明日同じ時間、同じ場所で待ち合わせすることを約束して別れた。私たちは、幽霊になってからも自分の家に帰って寝ている。
坂宮さんは、まだ自分の部屋が残っているらしい。でも、私の部屋は片付けられてしまった。だから、自宅のリビングにあるソファーで寝ている。
幽霊は、夢を見ることはないけど、不思議なことに眠れる。でも、あまり寝るのは好きではない。なぜかわからないけれど、生きていた頃と違って起きたときすっきりとせず、むしろモヤモヤした気持ちになるからだ。
「ねぇ、ちょっと待って。彼、嘘ついてるよ」
私が家に向かっていると、急に声をかけられた。声がした方向を見てみると、白いロングワンピースを着た、女性が立っていた。街灯のせいもあり顔がよく見える。その人は、赤い口紅がよく目立つ綺麗な女性だった。
私が見えるということは、彼女も幽霊なのだろう。
そして、彼女が言っていた彼と聞いて思い当たるのは坂宮さんしかいない。
「私、マリアっていいいます。あなたが死ぬ前から拓くんと付き合いのある友人なの。でね、彼の未練だけど、貴方には誰かに愛されたかったことって言ったんだよね?それ、嘘だよ」
彼女がにこやかに淡々と述べている内容に、私は驚き固まってしまった。
「彼は、貴方に愛されても成仏できない」
「なんで、坂宮さんがそんな嘘つく必要があるんですか?」
私の声は震えていた。はじめて会った彼女の話なんて信じられるわけがない。でも、彼女はとても堂々としていて嘘を言っているようにみえなかった。
「きっと、拓くんは帰っている途中ね。今から追いかけて、私が話したことを聞いてみて。きっと彼は動揺するはずよ」
答えになっていない答えを聞いて、私の体は不安に突き動かされて勝手に動き出していた。マリアさんの言う通り、そう時間は経っていないから坂宮さんは家に着いてないはずだ。坂宮さんの口から、マリアさんから聞いたことを否定してほしかった。
私は坂宮さん後ろ姿を見つけると、大声で彼の名前を呼んだ。すると、坂宮さんは立ち止まって振り返った。そして、坂宮さんは目を大きく見開き、私のそばまで小走りでやってきた。
「どうしたの?」
「私に、嘘ついてるってほんと?坂宮さんの未練って誰かに愛されたかったことじゃないの?」
私が唐突に質問すると、彼は明らかに動揺していた。目が泳ぎ、何か言おうと口を開いたり、けど何も言えなくて閉じたりを繰り返していた。
だから、私は坂宮さんがマリアさんの言う通り嘘をついていたと確信した。
「な、なんで嘘ついたの?もしかして、私のことからかってた?」
幽霊になってから、眠って目が覚めた時に感じるモヤモヤと同じ感じが私の中で広がった。今、なんでモヤモヤするかわかった。目が覚めても、何も進んでないからだ。明日が来ても、幽霊の私は歳を取らないし、未来に向かって何かをするでもない。ただ、漂ってただけ。
今も同じだ。成仏しようと二人で進んでいたつもりだった。でも、実際は違ったのだ。何も進んでなかった。だって、嘘だったのだから。
そう思った途端、私の周りに黒いモヤが溢れ出した。悪霊の周りに現れるものと同じものが現れてしまっている。
でも、そんなことを深く今は考えていられない。私の目から涙が溢れ出す。
「違う!そうじゃない。だから、落ち着いて」
宮坂さんが私の肩を掴もうとして、すり抜ける。宮坂さんは、一度は体制を崩したがすぐに体勢を立て直した。そして、下を向き、小さく息を吸って吐くと、顔を上げ真っ直ぐ私を見つめた。
「落ち着くのは俺の方だね。君のモヤを消すには、本当のことを話すしかないみたいだ。俺は成仏してしまうけど、俺がいなくても君ならきっといい人を見つけて成仏できる。だから、緊張するけど、俺の未練について話すね。俺の未練は......君に伝えられなかったことがあったことなんだ。」
宮坂さんの言っていることが理解できない。だって、私たちは死んでから出会った。なのに、未練が私に関することなんておかしい。
「俺は君が死ぬ前から、一方的に君のことを知っていたんだ」
私は驚いて、目を見開いた。この半年間、そんな話は一度も聞いたことがない。
「君は知らないだろうけど、俺はよく君と同じ車両に乗っていたんだ。あの車両は、改札からは遠くなるけど比較的に空いてるからいいよね」
さっきがまでの重苦しい雰囲気とは違い、宮坂さんは、いつも話しているような穏やかな口調で話しはじめた。
「最初に君の存在に気がついたのは、顔を真っ赤にしながらおじいさんに席を譲ってるとき。その時、君を見てかわいいと思ったんだ。それから、同じ車両に乗っている君のことが気になりはじめた。俺が死んだ日曜日は、休み明けに声をかけてみようと決心した日だったんだ。だけど、俺は死んじゃった。だから、俺の未練っていうのは君に告白できなかったりことなんだ」
私の涙は驚きのあまり止まっていた。そして、かわいいと言われて私の顔は熱くなっていた。きっと、話しはじめてからだんだん赤くなった坂宮さんと同じく真っ赤な顔なのだ思う。
「恥ずかしくて顔を真っ赤にしながらも、おじいさんのために声をかけてる姿に一目惚れしました。よかったら付き合ってください。これが、生きている時に君に言いたかった俺の未練だよ」
そう言った瞬間、宮坂さんは黄色い光に包まれた。そして、足元から黄色い粒になってだんだんと消えていく。
私は言われた内容や目の前の光景にただただ放心することしかできなくて、最初はぼんやりと宮坂が足元から消えていくを見つめてしまった。
でも、腰くらいまで消えてしまってからようやく事態が少しずつ飲み込めてきて私は宮坂さんに手を伸ばした。すると、宮坂さんも私に向かって手を伸ばし、お互いの手に近づけた。でも、やはりすり抜けてしまうけれど、今まではすり抜けても何も感触がなかったけれど、今は不思議と温かさを感じた。
宮坂さんの口が動いているけれど、何も聞こえない。光の粒になって消えているせいだろうか?
「宮坂さんの声が聞こえない......」
私がそう呟くと、彼は微笑んで、ゆっくりと口を動かした。
またね、そう動いていたような気がする。そして彼は、最後まで微笑みながら私をじっと見つめて消えてしまった。
あまりに突然の出来事に、私はその場に崩れ落ちて、地面を見つめ呆然とするしかなかった。すると、コツコツと足音が聞こえた。そして、私の目の前に赤いパンプスが現れ、その足音の主は立ち止まった。
赤いパンプスを辿って見上げると、赤い口紅が見えた。足音の正体は、私に宮坂さんが嘘をついていると言ったマリアさんだった。
「彼はね、貴方を成仏させたかったの。彼に告白されて、貴方が愛されているって感じるなら容易いことだったんだけど、そんなに人の心って簡単じゃないでしょ?だから、時間をかけて貴方に愛を注いで、貴方が成仏するの待ってたの」
「でも、それだと、告白する前に私が成仏されちゃう。そしたら、宮坂さん、成仏できない」
私が、声を絞り出して言うと、マリアさんは頷いた。
「その通り。よっぽど、貴方が黒いモヤになって消えてしまうのが嫌だったのね、例え自分が黒いモヤになっても」
止まっていた涙が再び溢れ出した。私は......私はこんなにも坂宮さんに愛されていた。そう思った瞬間、黒いモヤが消え、体が急に暖かい何かに包まれた。
「よかった。貴方が、愛されてるって実感できたみたいで」
私、成仏するんだ。そう、なんとなく直感した。そう思うと、坂宮さんに会いたいと願わずにはいられない。けれど、会えるのだろうか?
私はきっと不安な顔をしいて、その不安が何かマリアさんは察してくれたのだろう。優しく微笑まれた。
「拓くんから聞いてるかもしれないけど、成仏した後って誰もどうなるか知らないの。天国か地獄に行くのかもしれないし、もしかしたら生まれ変わるのかもしれない。どちらも違って、魂が消えてなくなってしまうのかもしれない。でも、死後の世界で貴方たちの願いが叶ったように、また次の世界で、会いたいっていう貴方と拓くんの願いはきっと叶うよ。少なくとも、私はそう信じてる」
マリアさんの言葉に、勇気づけられた。きっと大丈夫。私は彼に会える。そう思いながら、私は新しい世界へ向かった。
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