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「何か困っている事はないか」
「特にないですね」
「そうか」
「…………」
「何か欲しい物はないか」
「特にないです」
「そうか」
「…………」
ツカサは折り紙を折っていた手を止め、顔を上げた。
「クロエさん、なんかありました?」
クロエも顔を上げた。
「いや、なにもない」
「そうですか」
ツカサはまた折り紙を折る作業に戻った。
「…………」
最近、クロエの様子がおかしい。
2日程前から突然何か不便はないかと問い掛け、何かあったら言うのだぞと言い聞かせ、しまいには肩を揉んでやろうかと言い始めた。こんなに分かりやすくツカサの周りをうろうろしておいて何もないという事はないだろう。
肩揉みは結構気持ち良かったが、ここまで頻りに同じ質問を繰り返されるといい加減うざったい。どうして急に心配してくるようになったのか。今となっては以前の丁度いい無関心さが有難かった。
「何か俺にして欲しいことはないか」
「クロエさん」
「なんだ」
「そろそろうざいです。折り紙完成するまででいいんで黙ってて貰ってもいいですか」
「……分かった。黙ろう」
ツカサはふぅと溜め息を吐き、黙々と手を動かした。
「おお……ついに完成した……」
暫くして紙から手足の生えた鶴を錬成し、ツカサは目を輝かせた。これぞ人類の叡智の結晶。ツカサが顔を上げるタイミングを見計らっていたクロエは、ツカサの手から生まれたそれを見て眉間に皺を寄せた。
「なんだその気持ちの悪い生き物は。……もしやツルか?」
「お見事。正解です」
「しかし俺の知っているツルとは違うようだな。ツルには腕が生えていただろうか」
「生えてませんね」
ツカサが折った鶴は背中から翼を生やし、更に生えた腕を組んで体育座りをしている。蛇足、ならぬ鶴腕である。
「腕があった方が面白いと思って」
「まるで人間のようだな」
「そうでしょう。普通の鶴の折り紙は手も脚も生えてないのが普通なんですけど、それじゃ普通すぎて面白くないなと思って。両方生やしちゃいました」
「軽率にキメラを生み出すな」
「すみません。でも背中に翼は生えてるんで一応この子も飛べるはずですよ」
「ツルとは飛べるものだっただろうか」
「えっ飛べないんですか」
「俺の知っているツルは鳥のくせにニワトリと同じく二足歩行で移動する。魔物の森の先にある湿地帯に棲んでいるためによく足を滑らせて転んでいるな」
「ツルがツルッと……」
揃いも揃っておやじもびっくりのダジャレみたいな名前と生態をしている。魔界のヘンテコ動物達のギャグセンスには脱帽するばかりだ。
「魔物にもおっちょこちょいなやつが居るんですね」
「ああ。バルトの孫のセシルに似ているな。あいつもおっちょこちょいだ。ツルより転けている」
「それは本当におっちょこちょいですね」
「最近産まれた弟が可愛くてずっと腕に抱いて離さないらしい。正義感の強いかわいい子だ」
「弟思いなんですね」
「今度バルトが孫2人を連れて魔界に遊びに来るらしいから会えるだろうな」
「おちびちゃんがやって来るんですね。自分子ども好きなんで嬉しいです」
「可愛がってやってくれ」
「はい」
魔界に子連れで来て大丈夫なのかという疑問は置いておいて、ツカサはクロエ以外で魔界に人がやって来ると聞いて内心浮き足立った。それに散々会話の中には出て来たものの実際には会った事のなかったクロエの弟のバルトに会えるとは。
「2人で部屋の飾り付けします?歓迎会みたいな」
「紙吹雪を作ろう」
「自分は紙で輪っか作って繋げます」
「任せた」
時間ならいくらでもあるのだ。事務室から紙束を持って来てひたすら短冊を制作する。紙吹雪を作るクロエと背中を合わせて黙々と作業を続け、一段落着いた頃にツカサはふぅと息を吐いた。
「そろそろ飽きてきました」
「そうか。ウェルカムボードを作ってはどうだ」
「そうします」
ツカサは城の裏口から薪を作る時に出た廃材を取ってくると、ぺたぺたと色を塗っていった。当然塗料を使えば身体が汚れる。ツカサはウェルカムボードを作り終えると、後ろで何やらトンカンしていたクロエに声を掛けた。
「クロエさん、お風呂行ってきます」
「熱々ではないが良いか」
「今日はぬるめのお風呂にゆっくり浸かります。半身浴です」
「そうか。分かった」
「ちなみにクロエさんは何作ってるんですか」
「ベビーベッドだ。もうすぐ完成する」
「凄い気合いの入りようですね」
「赤ん坊が来るのだからベビーベッドは必要に決まっているだろう」
「ふむ」
確かに誰かがずっと赤ん坊を抱えているわけにもいかないし、赤ん坊を寝かせる場所は絶対に必要だ。ベビーベッドの必要性が頭から抜け落ちていたかもしれない。
「赤ちゃんを迎える準備って大変なんですね」
「昔バルトの息子達の為に作ったものに壊れないよう手を加えているだけだ。そうでもない」
「頑張って下さい」
「ああ」
トンカントンカンと軽快な金槌の音を背に、ツカサはこきこきと肩を鳴らしながら風呂に向かった。
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ツカサが風呂から上がると、城の中に甘い菓子の匂いが充満していた。どうやら長風呂をしすぎてしまったらしい。よもや風呂に入っている間にベビーベッドも完成し、焼き菓子が焼き上がってしまうとは。
「クッキーかな、マドレーヌかな」
なんでもいい。クロエが作る物は全部総じて美味いのだ。
微かに心を躍らせながら厨房に入ったツカサの目に入ったのは、苺が沢山乗った生クリームのショートケーキだった。
「ああ、上がったか。歓迎会の時に出すケーキの試作をしていた。皿に分けたから少し味見を……」
「嫌」
ツカサは後退った。
「嫌です」
クロエの瞳が微かに見開かれ、フォークを差し出していた腕が落ちる。クロエの瞳に映るツカサは手で顔を覆い、カタカタと小さく震えていた。
「何故だ。おまえは苺が好きだと言っていただろう。おまえが喜ぶと思って、おまえが好きな苺を沢山乗せた。中にも入れた。苺のスイーツがとても好きだと言って……」
「ケーキは……!」
ツカサは首を振った。顔を上げたツカサの表情を見て、クロエは言葉を失った。
「ケーキは、駄目なんです……!いや。いやだ。ごめんなさい、ごめんなさい……っ!」
ぼろぼろと大粒の涙が流れて、いつもは光のひとつすら浮かべないツカサの瞳を潤す。ぐしゃぐしゃと髪を掻き混ぜ、頭を抱え、ぶんぶんと首を振る。明らかに錯乱した状態だ。
クロエはフォークを置くとツカサの細い身体を掻き抱いた。
「すまない。おまえの喜ぶ顔が見たかっただけなんだ。泣かせてしまうなんて思わなかった。泣き止んでくれ、悪かった」
「ぐっ……うう、うっ……!」
服で誤魔化していた細い身体を痛いほど抱き締め、あまり手入れはされていないサラサラとした短い髪を撫でた。風呂上がりのシャンプーの香りがして、ぎゅっと腕に力を込める。クロエの腕の中に収まったツカサは想像よりも細く、小さく、脆かった。
「泣かないでくれ。頼む。おまえの色んな表情は見たいが、泣いている顔は見たくない」
「泣かないでくれ」と耳に寄せられた焦りと悲しみと罪悪感がないまぜになった声に、ツカサはゆっくりと顔を上げた。クロエの眉は悲しげに顰められ、ツカサを見つめる瞳には何処か縋るような色が滲んでいた。
クロエが唇をもたげた。しかし何かを言いかけようとして閉じられた。ツカサはそれをじっと見ていた。涙は止まりそうになかった。
「……すみません、急に泣いちゃって。気にしないで下さい。すみません」
「何故おまえが謝る。ケーキを作った俺の責任だ」
「クロエさんは悪くない。悪いのは、自分なんです。全部全部、自分が」
「自分が悪いんです」と言ったツカサの目から一層溢れ出た涙に、クロエは眉を下げた。そして考えた。
ツカサが取り乱し、泣き出すほどの過去とはいったい何なのだろう、と。
「聞いてもいいか。おまえの涙の理由を」
薄い両肩を掴み顔を覗き込むと、ツカサは悲しみに表情を歪めはしたものの、目を逸らしはしなかった。
「……後で、話します」
「そうか」
「…………」
ツカサの瞳は一瞬苺のショートケーキを映したが、ぱっと逸らすと軽い足音を立てて走り去ってしまった。厨房にひとり残されたクロエはケーキを見つめる。ケーキの表面を埋め尽くすように載せられた瑞々しい苺達がキラキラと輝いていた。
「こんなもの……」
クロエはフォークを掴み、それに振りかざしかけて……やめた。
「…………」
美しいケーキはクロエの手によって冷蔵庫の中に入れられ、何も語らぬまま沈黙した。
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クロエが厨房から出ると、ツカサはクッションを抱いてソファに横になっていた。手には古びた懐中時計が握られており、くぐもった嗚咽が聞こえて来る。
クロエはソファの空いている隙間に腰を下ろすと、ぽんぽんと子どもをあやすようにフードを被った頭を撫でた。
「落ち着いたか」
布の塊がもぞりと動いた。
「……まだです」
「そうか」
「……クロエさんは」
「?」
「クロエさんは、どうして自分を、急に気に掛けてくれるようになったんですか」
ずびずびと鼻声で問い掛けられ、クロエは頭を撫でる手を止めた。そしてちらりとツカサの手に握られた懐中時計を見る。
「……俺は」
「…………」
「俺は、自分のことばかり考えていた」
「………?」
ツカサはムクリと起き上がり、ソファの上で正座した。そしてクロエの顔をまじまじと見つめた。
「風呂上がりにアイスを用意してくれる気配り上手が何言ってんですか」
驚きのあまり涙も引っ込んでしまった。
おはようからおやすみまで至れり尽くせりで、物理的にも精神的にもおんぶにだっこして貰っているツカサの首はどんどん傾くばかりである。
「俺はおまえがここに来てくれたことを喜んでいる」
「そうですか。それはありがとうございます」
「だが、俺はおまえの故郷に帰りたいという気持ちをずっと知らずにいた。ずっとおまえが俺の傍に居るものだと信じて、それを疑うことさえしなかった。おまえにも元の世界での生活があるにも関わらずだ」
「…………」
「今更になってそんな当たり前のことに気付き、せめて罪滅ぼしに俺に何かできることはないかと思った」
「すまなかった」と頭を下げられ、ツカサは首を振った。
「故郷には、特に思い入れはありません」
「そんなことはないだろう。きっと家族や友人がおまえを捜している」
「家族は、居ません。死にました。両親も、この時計をくれた祖父も」
古びた懐中時計を握り締め、ツカサは目を伏せた。
「クロエさん、聞いてくれますか。楽しい話ではありません。自分がまだ普通に笑えていた頃の、遠い昔の話です」
「構わない」
「聞かせてくれ」というクロエの瞳は決意のこもった熱でいっそう赤く見える。
静まり返った部屋に、古びた時計が時を刻む音だけが流れていた。