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「思ったんだが」

「なんですか」

「おまえは男なのか、それとも女なのか」


 もっちゃもっちゃと口の中で餅を遊ばせる。ツカサは苺と餡子の絶妙なハーモニーに意識を持って行かれそうになり――、クロエの咎めるような視線に気付き、ごくんと飲み込んだ。


「えっ、今更聞きます?」

「今まで聞く必要が特に無かったからな」

「それがまたどうして急に聞く気になったんですか」

「突然気になり始めたからだ」

「なるほど。今まで気にならなかった事が急に気になることってたまにありますよね」


 ツカサはそれだけ言うと、またもちゃもちゃといちご大福を味わい出した。クロエが弟に定期便で送って貰っているといういちご大福。この世界でも和菓子が食べられるとは思いもよらなかったが、どうやらクロエの弟の子どもが大商人になっていて、そこから流して貰っているらしい。


「そういえばクロエさんの仲のいい弟さん……バルトさんでしたっけ?」

「ああ。バルトがどうかしたか」

「バルトさんのお子さんって何人兄弟なんですか。自分も急に気になりだしました」

「バルトの子供は三人兄弟なのだが、長男が次男に家督を押し付け、そのまた次男が三男に家督を押し付けて国外に逃亡した。今は残された三男が家を継いでいる」

「三男不憫ですね」

「三男のオリブといったか、そいつも元々侯爵家の当主などという面倒な立場になる気はなかったそうだが、今は可愛い嫁に褒められるために遮二無二(しゃにむに)働いているらしい」

「三男チョロいですね」

「俺の身内はみんなかわいい」


「次男は大商人、長男は更なるスリルを求めて冒険者として活動している。立派な子達だ」というクロエ。しかし当主で末っ子の三男にも2人目の子どもが産まれたとか言ってたし、確実に全員かわいい()と呼べる年齢は過ぎている。幾つになっても子ども扱いされるのは流石に可哀想ではないだろうか。


「皆歳を取りますし、二十歳過ぎで子ども扱いはそろそろ怒られたりしませんか」

「そんなことはない。みんな俺によく懐いてくれるからこちらも遠慮なく可愛がっている」

「そういうものなんですね」

「子どもは尊く、皆等しくかわいいものだ。幾つになってもそれは変わらない」


 目の前のクロエはそう言いながらもむもむと口を動かし、美しい口元を粉まみれにしている。物凄く立派なことを言っているのに大福のせいで台無しになっているなぁ、とは思ったが口には出さないことにした。大福に罪は無いのだ。


「それはそうと、質問に答えろ」

「ん?すみませんなんでしたっけ」

「おまえの性別の話だ」

「そういえばそんな話もしてましたね」

「とぼけるな」

「いちご大福が美味しくてすっかり忘れてました。自分、苺の入ったスイーツにめっぽう弱くて。このいちご大福めっちゃ美味しいですね」

「ああ。地平線の遥か彼方に浮かぶ島国で人気の菓子だ。このダイレクトに胃を圧迫してくる重さと甘ったるさが堪らない」

「へぇ、地平線の遥か彼方に浮かぶ島国で、和菓子があるところねぇ……。そこってもしかして……」

大月紅帝国(だいげっこうていこく)だが」

「あ、全然知らないとこだった」


 どうやらこの世界にはツカサの元いた国に限りなく似た異国があるらしい。まあ帝国を名乗っているあたり案外明治大正時代、それか戦前の祖国に近いような気もするが。


「明治時代かー……じいちゃんはよく行ってたんだろうなー……坂本龍馬とか小泉八雲とマブダチとか言ってたし……」


 思い馳せるはツカサがこの世界に来るきっかけとなったあの妙な機械を発明した祖父の姿だ。ツカサは両親を喪ってからは祖父の元で育った。

 祖父が寿命でぽっくり逝ってしまってからは孫の自分が家を相続する事になり、売れない芸人が持ち家に住んでいるという謎の状態になってしまったわけだけども。


 まさか物置の中にその祖父が作ったという時空転送装置があるだなんて思わないではないか。明治時代でペリーにコーラ缶ぶつけた話とか、完全に何もかもがテキトーな祖父が作った御伽噺だと思っていたのに。そして発明してから数十年が経過していてもまだ動くというところに技術力の高さを感じる。

 そりゃ遺産があんだけあったはずである。こんな世界に飛ばされてさえいなければ、ツカサは祖父の遺産で一生うだつの上がらないものまね芸人のままでもとうぶん遊んで暮らせていた。


「行きたいのか」

「行きませんよ、馴染めるか不安なので」

「…………」


 表情は変わらないが空気で分かった。突然魔王城にやって来てからものの数十分で「緑茶あります?」とか言い出した奴が何を、の顔だ。

 ツカサはまた聞いた。


「緑茶あります?」

「口の中が甘くなったようだな」

「ええ、それはもう甘ったるくて。美味しいんですけどね」

「緑茶はあいにく切らしている。おまえがガバガバ飲んでいるせいでな」

「へへ。すみません美味しくて」

「緑茶の代わりに温かい昆布茶ならあるが」

「最高じゃないですか」

「話を戻すぞ」


「おまえは男か、女なのか」と問い掛けるクロエに、ツカサはむっと微かに眉を寄せた。

 毎度毎度途中まではツカサの会話に乗ってくれるのに、いつも完全には誤魔化されてくれないのだ。侯爵家の当主をしているという三男坊のようにチョロければ良かったのだが。


「そもそもクロエさんは今まで自分のことをどう認識してたんですか」

「無論、訳の分からない異世界人だ。性別など今まで気にした事もなく犬猫と同様に捉えていた」

「細かい事を気にしないところがクロエさんの良いところだと思うのでそれでいいと思いますよ。自分も自分の性別には特に頓着していませんので、犬や猫とでも思ってお好きなように接して下さい」

「よくはない。俺は一度何かが気になると止まらなくなってしまう性分だからな」

「面倒臭い人ですね」

「おまえは気にならないのか。俺が男か女か分からない風貌だったとしたら好奇心がそそられるだろう」

「自分はクロエさんが男性でも女性でも全く気にしないんで」


 今までは全く気にする素振りさえなかったのに、突然謎の好奇心を出してくるのは如何なものか。クロエは普通にツカサの目の前で「暑い」と言って脱いでいたし、ツカサも普通にクロエの下着を洗濯していた。

 そもそもツカサはクロエのパンツを見ようがクロエが全裸になろうが全く気にしないのである。ふとした拍子にクロエの下着の中を見てしまった時も、ウィンナーというよりは太巻きだなぁという感想しか出て来なかったし、ツカサにとってはその程度のことなのだ。因みにその日の夕飯は太巻きを作って食べた。美味しかった。


「そういうものなのか」

「自分、男らしくとか女らしくっていうのを人に求めたり求められたりするの嫌いなんです。性別のらしさって、その人の性質とか、個性を押さえ付けたりすることの方が多いじゃないですか。……以前、それでちょっと嫌な目に遭った事があるんで」


 そう言ったツカサの表情は、クロエには何かを思い出してその記憶をかき消そうとしているように見えた。


 短い黒髪に、男にも女にも見える白く華奢な身体。少し濃いめの眉は凛々しいが、長い睫毛が黒曜石のような瞳に影を落としている。

 恐らく男みたいだとか女みたいだとか、ツカサの本来の性別とは違うことを言われてからかわれたのだろう。

 クロエはそれには触れず、「そうか」とだけ相槌を打った。


「服だってメンズとかレディースもやめてジェンダーフリー表記でいいと思ってます」

「ジェンダーフリーというのはよく分からないが、おまえがいつも着ているそのパーカーという衣類のことか」

「そうですね。自分がゆるい服装が好きってのもあるんですけど、体型隠すために着てるところもあるんで」

「気にするような体型をしているようには見えないが」

「自分はもっと筋肉を付けて引き締まった身体になりたいと思ってるんですけど、生憎体質のせいか食べても肉が付かなくて。貧相で薄っぺらいの気にしてるんであんまりつっこまないで下さい」


 クロエはじっとツカサを見つめ観察した。

 ゆったりとしたサイズのパーカーという帽子付きの不思議な服の袖から、ツカサの細く白い手が伸びている。ツカサはパーカーの中に着ているシャツは毎日替えているが、ほぼほぼ上からパーカーを着て過ごしている。

 パーカーを洗濯している時は明らかにサイズの合っていないクロエの服を着ているし、それも裾や袖を引き摺るので捲りあげて着用しているのだ。相当自分の体型を気にしているらしい。


 しかしツカサは自分を貧相な身体だと言っているが、クロエの居た王国ではツカサのような細く華奢な体型の方が男女共通で好まれるのである。パーカーから伸びたツカサの白く細い首を見つめ、クロエは「俺は綺麗だと思うが」と顎に手を当てた。


「綺麗……ですか」

「美醜の感覚など人それぞれだが、俺は白く細い身体を美しいと思う。そこまで気にする必要はないと思うが、おまえの好きなように振る舞えばいい。ここでは誰もおまえを否定する者は居ない」

「…………」


 綺麗。可愛いでもかっこいいでもなく、綺麗。クロエはツカサが男か女かという問題には触れず、ただ美しいという個人的な感想を選んだ。ツカサのことを素直に褒めると同時に細やかな気遣いが感じられ、ツカサの胸の奥がじんとした。


「そ……んなの、初めて言われました。綺麗とか美しいとか……」

「…………」

「あの、恥ずかしいんで、もう次からそういうこと言わないで下さい」

「……おまえ、もしや照れて……」

「うるさいですよクロエさん」

「……すまない」


 微かに心拍数が上がり、かっと顔に熱が集中するような感覚に陥り、ツカサはぷいとそっぽを向いた。


「…………」


 クロエはそんなツカサの様子を見つめ、僅かにぐっと拳を握り締めた。



 ✧︎‧✦‧✧‧✦‧✧‧✦‧✧‧✦



 灯りを落とした客間の中、ベッドの中でこちらに背中を向けた細い肩が安らかな寝息に合わせて上下する。そっと客間に忍び込んだクロエはその背中を見つめ、今からその眠りを妨げてしまう事に僅かに心を痛めた。

 音を立てぬようベッドに忍び寄り、ぐっと身体を伸ばして寝顔を覗く。想像よりあどけないその寝顔は普段より幾分か幼く見える。


「……どんな声を上げるだろうか」


 クロエはぎしりとベッドを軋ませてツカサの身体に覆いかぶさった。



 ✧︎‧✦‧✧‧✦‧✧‧✦‧✧‧✦



 刻は少し遡る。ツカサの照れた顔を見たクロエは衝撃を受け、笑顔だけではなく他の顔も見てみたいと思い立った。

 そして思いついた。


「寝起きドッキリでびっくりさせてやろう」


 クロエの弟はよく父の顔に水を被せて寝起きドッキリを仕掛けていた。クロエは弟を止めるためにその場に同伴していたものの、その時の父の驚いた顔は実に傑作だった。水魔法を使う弟とは違い、クロエの使える魔法は火なので少し危ない。魔法を使わず普通に驚かすだけなら害はないだろう。


「どんな顔をするだろう」


 クロエはむふーっと息を吐いた。

 クロエが初めて笑った瞬間ツカサは物凄い勢いで驚いていたのだが、残念なことにクロエ本人は笑えたことに対する喜びに夢中で気付いていなかった。


 そんなわけでツカサのびっくりどっきりした顔も見てみたいという目的で寝室に忍び込んでみたが、あどけない寝顔が見られたのもまた収穫である。もはやクロエはツカサのいつもの無表情が崩れるのならなんでも良くなっていた。完全に末期である。


「さて、次は……」


 ツカサに覆いかぶさってみたはいいが、クロエはこの後のことを考えていなかった。耳元でわっと大声を出してみるのもいいし、擽ってみるのもいいかもしれない。鼻をつまんでみるのもよし、火事だと叫んでみるもよし。弟はいつもこんな気持ちだったのかと内心わくわくしつつ、クロエはツカサの耳元に口を寄せ、すっと息を吸い込んだ。


「じいちゃん……」

「…………」


 そっと布団を捲ってみると、ツカサの手には金色の懐中時計が握られていた。ツカサの雰囲気とはあまりに不釣り合いなそれは祖父から貰った物らしい。

 視線を戻すと、ツカサの目から涙が流れていた。クロエは身体を起こすと、そっとその涙を指で拭った。


「…………」


 捲り上げた布団を元に戻し、ツカサが風邪を引かないよう布団との隙間を無くす。クロエはツカサの寝顔を暫く見つめた後、音を立てないようそっと寝室を後にした。




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