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2章開始しました。面倒なので章は分けないでおきます。

「何故笑わない」

「何故、と言われましても」


 足元には皿が散らばり、一つも欠けることなく絨毯の上に落ちている。

 ツカサはいつだったか、自分がクロエに言われたことを復唱した。


「上手いと思います。でも笑うほど面白くはないです。すごいなーって感動はするんですけど」


 ジャグリング、逆立ち、皿回し。クロエが披露した芸はどれも見事で、思わず「クロエさんプロの大道芸人目指さないんですか」と尋ねてしまった程だ。技術は評価する。


「いつになったら笑うつもりだ」

「いつか笑うかもしれませんし、ずっと笑わないかもしれません」


 む、とクロエが微かに口を尖らせる。ツカサはそんなクロエを見つめ、『クロエさんもものまね見てる時こんな気分だったんだな』などと思いつつ、皿を拾うために立ち上がった。


 クロエとの一週間を過ごしたあの日、笑わせてやる発言を受けたツカサはこくりと頷いた。

 そして今現在、ツカサはクロエの専属芸人としてクロエを笑わせつつ、クロエもツカサを笑わせようとお互いに悪戦苦闘していた。

 クロエはあの日一度笑っただけでまた仏頂面に戻ってしまったし、ツカサは自分では意識していなかったものの気付かぬうちにクロエと同じ状態になっていた。前途多難である。


「無理に笑わせようとしなくて結構ですよ。自分はクロエさんに雇われてる身ですし、そこまで笑えないことを気にしてないので」

「無理はしていない。ただおまえの笑顔が見てみたいだけだ」

「はぁ、そうですか。それはまたどうして」

「同居人を気に掛けるのは当然だろう。それに俺はおまえの雇い主でもある。おまえが過ごしやすく笑顔でいられるよう心掛けるのも俺の務めだ」

「なるほど。それは気にかけて頂きありがとうございます」


 ツカサは拾い終えた皿をシンクに下ろし、じゃぶじゃぶと洗った。皿洗いと洗濯はツカサの役目だ。料理はクロエにお願いし、ツカサは調理の補佐をしている。


 のしのしとクロエが近付いて来たと思ったら、ぷくぷくと飛んでいるシャボン玉を指でつつき、ぱちんと割って遊び始めた。あまりに暇だとこういう小さな遊びがたまらなく楽しいのだ。ツカサはサッと手を拭くと、クロエに全部割られない内にシャボン玉をつついて割った数を競った。


「勝ちました」

「おまえはシャボン玉の大元から近い距離に居たのだから当然だろう」

「あ、ちょっと拗ねてます?ぷっぷくぷー」

「今晩のメインディッシュになりたくなければその口を慎むんだな」

「急に魔王感出してくるのやめてもらっていいですか」

「冗談だ。夕飯を作るぞ」


 シャボン玉が全て消えた厨房にツカサと入れ替わるようにしてクロエが立った。エプロンをして髪を後ろできゅっと束ねる仕草がそこはかとなく嫁っぽい。


「クロエさん」

「なんだ」

「お嫁さんに見えます」

「嫁いだ覚えはない」

「今日の献立はなんですか」

「お化けかぼちゃのシチューだ」

「庭のマンドラゴラの隣で走り回ってるやつですね」

「勝手に動き出さないよう押さえていてくれ」

「ガッテンです」


 いつものやり取りをしながら不思議な野菜や生き物達の調理を手伝う。この料理とも言えない作業をするのも慣れてきた頃だ。

 お化けかぼちゃが鍋に放り込まれ、クロエの目がツカサを捉える。


「危ないから離れていろ。焦げるぞ」

「はい」


 ツカサが魔王城に来てから人間界の感覚的には約1ヶ月が経ったらしいが、未だ元の世界に帰る方法は見付かっていない。

 元の世界のことを思い出しながら、ツカサはぼわっと広がる炎をぼんやりと見つめていた。クロエの手の中でゆらゆらと燃える炎。紛れもない異世界なのに、ここは存外居心地がいいのだ。


 クロエの手の炎がすっと消えた。


「出来た。食べるぞ」

「はい」


 甘いかぼちゃの匂いにつられて、ツカサの顔が上を向く。温かな食事は2人の腹を満たし、満腹後の穏やかな微睡みを与えた。



 ✧︎‧✦‧✧‧✦‧✧‧✦‧✧‧✦



 盤上の戦士達を見つめ、暫し思案する。次の一手でどう出るか、王を落とすにはどうするか。盤上にばかり気を取られていて気付けなかった。


「王手」

「…………」


 ぱちり、とクロエの手札に居た歩兵がツカサの王の目の前に颯爽と躍り出た。ツカサが王の首を守るべく布陣に敷いていた飛車が取られる。王を逃がそうと周りを見るが、あっちに行けば桂馬にやられる。しかしこちらに行けば角行に……。


「…………」


 いつの間にか四面楚歌になっていたようだ。ツカサは「参りました」と頭を下げた。


「今回は中々危なかった」

「あと2ターンあれば王の首が取れたんですけどねぇ」

「残念だったな」


 クロエは将棋が強い。ツカサも祖父とよく将棋をしていてそこそこ強いはずなのだが、国の王子として戦術も勉強しているクロエにはさすがに敵わない。ルールも何も知らなかったクロエに1から説明して返ってきたのは「なるほど、チェスのようなものか」だった。

 ツカサはチェスなんておしゃれなものをしたことがないから分からない。なので、「多分そんな感じだと思います」と答えた。ツカサは適当を言った。


 再度元の位置に駒を並べようとするクロエを横目に、ツカサはパーカーのポケットから懐中時計を取り出した。短針は10を指している。


「クロエさん、将棋始めてからもう4時間経ってます」

「もうそんなになるのか」

「はい。まだやりますか」

「いや、よそう。そろそろ飽きてきた頃だ」


 そりゃさすがに飽きるだろうと思う。今日もツカサはクロエに勝てず、連戦連敗しているのだから。

 手応えが無い相手と対決してもきっとつまらないだろう。ツカサは「金転がしなら勝てるのに」と言いつつ懐中時計の蓋をぱたんと閉めた。


「運はさすがに俺も左右出来ないからな」

「次やる時は金転がしにしましょう。負けませんよ」

「望むところだ」


 ザザッと将棋の駒をかごに流し入れ、立ち上がる。クロエは微かに目を細めたまま沈黙した。クロエがこのポーズを取っている時はだいたい暇過ぎて次は何をして暇を潰そうかと考えている時だ。ツカサはおもちゃ箱の中をごそごそと漁った。


「クロエさん」

「なんだ」

「お風呂入って来たらどうですか」


 お風呂に浮かべるアヒルちゃんを手にし、ぷきゅぷきゅと鳴らす。クロエは「そうだな」とアヒルを受け取り立ち上がった。


「おまえは風呂に入らないのか」

「一緒に入るつもりですか?クロエさんのえっちー」

「えっちではない。ただ入るのかどうか聞いただけだ」

「クロエさんの後に入るつもりなのでお湯熱々にしておいて貰えるとありがたいです。自分江戸っ子なんで」

「分かった。行ってくる」


 クロエが去った後の王の間で、ツカサはごろんと地べたに大の字に寝転がった。


 ごそごそとポケットの中を探り、懐中時計を握り締める。年季が入り、ごつごつとしてあまり若者向けではない見た目をしたそれは祖父の形見だ。


「…………」


 懐中時計を握り締め、横を向いて目蓋を閉じる。

 ツカサの手の中で、時計がチクタクと時を刻む音だけが広い王の間の静寂に流れていた。



 ✧︎‧✦‧✧‧✦‧✧‧✦‧✧‧✦



 クロエは考えていた。いったいどうすればツカサを笑わせられるのかを。


「よもや人を笑わせるのがこんなに難しいとは」


 ある日突然目の前に現れたツカサに、1週間で自分を笑わせてみせろと言い放ったのはまだ記憶に新しい。ツカサはものまねや故郷の遊び道具などを使って一緒に暇を潰しつつ、1週間で見事クロエを笑わせてみせた。それは残念ながらツカサの芸に対しての笑顔というわけではなかったが、あの歯に衣着せぬ物言いといい、面の皮の厚さや遠慮のなさにクロエの心が溶かされていったのは事実だ。


 ツカサは魔王だと言っても顔色ひとつ変えず、対等に接しつつ寧ろ軽口を叩き、身分を知った後も媚びへつらうというわけでもなければ「えっ、別に自分の居た世界とは無関係だし身分とかどうでも良くないですか」と言いながら煎餅を齧っていた。

 そんな型破りな異世界人……ツカサだったからこそクロエも笑うことができたのだろう。金も権力も欲しない、ただの遊び相手としてそこに存在したツカサは、クロエにとって弟以外で唯一無条件で気の許せる存在となった。


 だがどうだ、ツカサはクロエを笑わせてみせたのに自分は約束の1週間が過ぎてもにこりともさせられない。ツカサはクロエの永遠とも言える孤独の世界にいとも容易くお邪魔できたのに、クロエはツカサの世界には入ることが出来ないのだ。

 何が勇者だ、何が一国の王子だ。自分から言い出した約束も守れず、たったひとりの人間も笑顔にできないのであれば、やはりクロエは王太子の器ではなかったのだろう。


「…………」


 湯船から目だけを出し、ぶくぶくと小さく息を吐く。気泡に押し流され、黄色いアヒルが湯船の隅まで流れていった。


「……分からん」


 クロエはアヒルをむんずと掴むとざばっと勢いよく立ち上がり、「エドッコ」だというツカサのために風呂釜の下を目掛けてぶんと手から火球を放った。



 ✧︎‧✦‧✧‧✦‧✧‧✦‧✧‧✦



「すっごいいい湯でした」

「そうか」


 クロエの火加減はいつも最高だ。料理の時といい、風呂の温度といいこれ以上とないくらい最適な温度でツカサの身体も心も温めてくれる。

 ツカサは真っ赤になった顔に濡れ布巾を被せつつ、「ふぃーっ」とおっさんのような息を吐いた。


「のぼせているように見えるが」

「熱々のお湯にどれだけ長く浸かっていられるか、自分との我慢比べをするのが江戸っ子の性なもんでして」

「ふむ、そういうものなのか」


 クロエはツカサがここに来るまでは温かい湯船に浸かった事がなかったらしい。お風呂という文化が今まで無かったらしいから納得だ。おかげで今はすっかりお風呂にハマってしまい、ツカサが現代から持って来ていたアヒルちゃんと一緒に長いこと湯船をちゃぷちゃぷさせて遊んでいる。


「おまえがそれでいいのなら俺は構わない。やけどには十分気を付けろ」

「ありがとうございます」


 クロエを笑わせてから、ツカサは思っていることがある。クロエは表情が豊かではないのと生まれ育った環境により威圧感を与えるような風貌と立ち居振る舞いをしているが、中身は穏やかで温厚な上、気配りもできる非常に心優しい人物だ。クロエ本人も言っていたように少しおちゃめな面もあるが、決してツカサが危険な目に遭うことのないよう加減をした上でのおちゃめである。つまりめっちゃいい人なのである。


「うーん、でも今日はちょっと長風呂しすぎたかもしれません。頭がくらくらします」

「そう言うと思いおまえが風呂に入っている間にアイスを作った。食べるか」

「食べます」


 風呂上がりにデザートまで用意してくれるこの優しさ。何故自分はこんなに優しいクロエが物理的に首ちょんぱをすると思っていたのか。今となっては心の底から謎である。


「クロエさんはいいお嫁さんになると思います」

「40過ぎの男に対して言う台詞ではないな」

「褒め言葉です」

「おまえはいつも俺の事を嫁と呼ぶが、別に嫁である必要はないのではないか。炊事をするのは嫁の役目だという考え方は少し古いだろう。夫も家事を嫁任せにせず、己の家庭に目を向けるべきだ」

「ごもっともなご意見ありがとうございます。でも自分の住んでいた国ではネット界隈を中心に、男性に対しても嫁という表現を使う人が増えているみたいですよ」

「そうなのか」

「クロエさんいいお嫁さんになると思います」

「文化の違いもあるのだろう、褒め言葉として受け取っておく」


 本当に、どうしてこんないい人が誰とも結婚できず広い城で1人寂しく孤独に生きているのだろうか。家庭に理解もある穏やかで優しい顔のいい男なんて世の女性達が放っておかないだろうに。

 それもこれも全てクロエが魔王となってしまったが故の孤独なのだろうと思うと目頭が熱くなる。可哀想すぎる。


「相手さえ居ればいいんですけどねぇ……」


 魔物を素手でぶち殺せるくらいの屈強な身体をした女性がクロエの元に嫁ぎに来れたら良かったのだろうが、曰くクロエの居た王国はほっそりとした華奢な女性程魅力的だと言われているらしく。好き好んで自らいかつい筋肉を備え付けるような貴族女性はほぼほぼ居なかったらしい。

 ダンジョンが出現しやすい国境付近の土地を守っている辺境伯家の女性ならドラゴンを倒せる程の実力を持っていたそうだが、生憎その家は代々女性が当主を勤める少し変わった風習のある家で、名家の跡取り娘を魔界に連れ去る訳にもいかず二の足を踏んでいたそうだ。


「確かアリアさんでしたっけ?辺境伯家のご令嬢」

「よく笑いよく喋る赤髪の娘だな。最近騎士学校時代の後輩と結婚したらしい」

「で、元婚約者は?」

「シャルロットだ。今は弟との子宝に恵まれて幸せそうに暮らしている」


 世知辛い。もういっそ平民が相手でもいいんじゃないだろうか。爵位はなくとも女騎士ならきっと……。


「昔平民出身の女性騎士が突然押し掛けて来たが、俺に見とれているうちに魔物に食われて魔人化した。戦いの知識が人よりある分かなり手こずって俺も死にかけたな」

「もう駄目じゃないですか」

「ああ、駄目だな」


 まるでツカサの心の内を呼んだかのような返答。今回ばかりはクロエも駄目ではないと言わなかった。完全にお手上げのようだ。

 戦闘知識がある分逆に脅威になりうるというまさかのリスク。押しかけ女房すらも駄目なんてそりゃあんまりじゃないだろうか。


「いっそこの際男を対象に入れることも検討している」

「戦闘知識が無くて、クロエさんに見とれず、クロエさんの傍から絶対に離れない人か……。どこかに居るといいですね」

「そうだな」


 アイスを食べ終えた後の銀のスプーンはその条件に当てはまる人物の姿を映していたが、それに気付かれないままその人物にじゃぶじゃぶと洗われてしまった。




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