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魔王クロエ。本名、クロエ・フロズガーデ。
フロズガーデという中堅国の第一王子として生まれ育ったが、1人で王宮騎士1万人に匹敵するその類稀なる魔力の保有量と戦闘能力を買われ、父王から勇者として魔王を討伐するよう命を受ける。
その頃は王国を侵略しようと度々魔王が魔物を送り込んで来ていたらしい。魔界から人間界へと繋がる歪みはダンジョンとなり、時間が経つとダンジョンから魔物が出て来る。騎士や兵士を向かわせるが大本を絶たないと意味が無い。国の平和の為にどうしても魔王を倒す必要があったのだ。
そうしてクロエは勇者として魔界へと繋がるダンジョンに潜り込み、襲い来る魔物を次々と薙ぎ倒していった。クロエの活躍は新聞の記事でも大々的に報じられ、国民の人々は皆目を輝かせて勇者クロエについて語った。そうしてついに魔王城に辿り着き、魔王を倒したところまではよかったのだ。
気付けば、クロエが次の魔王となっていた。
魔界には魔王を倒した者が次の魔王となり、更にその魔王を倒した者が次の魔王となるというからくりがあった。つまりクロエが魔界から帰れば次の魔王が誕生し、その魔王の手によって魔物達が送り込まれてまた王国が危険に晒されてしまうという堂々巡り。
そうして現在、勇者クロエは祖国に帰ることもできず、魔王を討伐してから人間界で20年以上が経った今も魔界の王として君臨している。
たった独りで。
……とまあ、ここまでがクロエについて分かったことである。ツカサは今しがた己が纏めたネタ帳を見て「ふむ」と頷いた。
「世知辛すぎないかこれ」
クロエの弟について書かれたほんわか日記でも見付かるかと思ったのに、トンデモ事実が次々と発覚してしまった。
元王子。更に勇者ときた。あの金ピカの剣が勇者の剣だったとすると辻褄が合い、そりゃあのガサツなクロエも傷の有無を確認するはずだと納得する。
図らずも魔王となってしまい、半ば人柱のようになって魔界に留まざるをえなくなったクロエ。元は政略結婚の婚約者が居たようだが、その令嬢は正妃が産んだ第二王子の新たな婚約者となり国の未来を支えている。たまに訪れる人間との交流もあったようだが、その殆どが魔物の餌食になり、その人間の知性を得た魔物……魔人が捕食された人間の面影を纏って次代の魔王になろうとクロエの命を狙ってくる。そして人々は月日が経つにつれて勇者クロエの存在を徐々に忘れ、クロエへの感謝の心も忘れて平和な国でのうのうと暮らしているのだ。
そんなの笑える訳がないではないか。人生ハードモード過ぎやしないか。
「なんか可哀想すぎて目から汁が出て来た」
クロエは第一王子として生まれ、ずっと輝かしい未来を約束されていたのに婚約者も腹違いの弟に奪われ、誰からも忘れ去られてこの大きな城に独りで居る。
あのへんてこ動物達を倒せる強さを持たない人間は魔界に足を運ぶ事も出来ないし、たまにひょっこり迷い込んで来たとしてもちょっと油断した隙に魔物に食われて魔人となって襲って来る。あれだ、ゾンビ映画でよく見る知り合いがゾンビになって襲って来て殺す以外の道が無くて精神がゴリゴリ抉られていくやつだ。そんなの心が死ぬに決まっている。
「笑いたいと思うはずだ」
クロエはだだっ広い城の中にひとりぼっちだ。ツカサは1週間ここで暮らしたが、彼を訪ねてくる者はついぞ1人も居なかった。こんな所にずっと居て楽しいわけがない。だからツカサに俺を笑わせてみせろと言い放ったのだ。
どうせこの人間も魔物に食われて自分を襲って来るのだろうと、そう思いながら接していたのだろうか。今まで会って来た人や、ツカサに対しても。
「クロエさんから離れないようにしないと。……絶対に」
ツカサはネタ帳をぱたんと閉じるとそれをポケットに押し込み、クロエの元へと向かった。幸い弟との思い出っぽい情報も手に入った。これを元にクロエをうんとほっこりさせてやるのだ。
そう思ってぺたぺたと廊下を歩いていると、何やらタッタッタッと足音が近付いて来た。
「なんだろう、クロエさんがまた廊下で凧揚げしてるのかな」
くるりと振り向くと、人の顔をしているが明らかに人でないものに追い掛けられているクロエと目が合った。
ツカサはクラウチングスタートで走り出した。
「何してるんですかクロエさん」
「魔人に追い掛けられている」
「見たら分かりますよそんなの。どうして国民的神隠しアニメーション映画のギリギリ追い掛けっ子展開みたいになってるのか聞いてるんです」
「コロス……コロス……魔王コロス……!」
「クロエさんなんか言われてますよ」
「いつもの事だ」
クロエと並走しながら階段を駆け降りる。上は行き止まりなので下に逃げるしかない。
「人間を食ったナメクジだ。あいつに舐められると身体が麻痺して動けなくなり、じっくり捕食される」
「こんな状況下でも丁寧なご説明ありがとうございます。クロエさん魔法使えるんでしょう、早くあれ消し炭にしてくださいよ」
「あいつの身体は水を纏った粘液に覆われていて火を通さなかった。相性が悪過ぎる」
「最悪じゃないですか。うわっ胸にも人の顔付いてる……キモ過ぎて夢に出そう」
「人間を2人も食ったんだろう。あいつの3番目の顔になりたくなければ頑張って走れ」
「言われなくてもそうします。こう見えても自分学生時代は運動部だったんで体力面はご心配なく」
「頼もしいな」
手すりを滑り降り、飛び降り飛び跳ね階段を抜ける。王の間に辿り着くと、遊んだ後で放置していたおもちゃ達が散らばっていた。その中にお風呂に浮かべるアヒルちゃんの姿を見付け、ツカサはあっと声を上げた。
「鳥はかたつむりも食べるって聞いた事がある……。もしかしたらナメクジも……」
「おい、何をしている」
「ものまねします」
「は」
「怪鳥の鳴き真似!ギャッギャッギャッ!!!」
ギャッギャッギャッという鳥の声を聞き、人面ナメクジの動きがぴたりと止まった。どうやら鳥が天敵で間違いなかったらしい。ツカサは他にもナメクジに強いと思われる動物の鳴き真似を続けた。
「パーッパーッ!!!」
「七面鳥か……頭部が7つある鳥で……」
「エーオッエーオッ」
「セキレイだな、背中の模様が美しく……」
「クロエさん呑気に解説してないで厨房から塩持ってきてください。こいつにぶっかけます!」
「分かった」
「う、ウゥ……」
人面ナメクジは明らかに鳥の鳴き声に怯んでいる。その隙にツカサはおもちゃ箱を抱え、人面ナメクジに向かって独楽を投げ付けた。独楽は回転しながら真っ直ぐ飛ぶと、人面部分の顎にクリーンヒットした。
「がっ……!」
「おお、当たった……。じゃあお次はけん玉拳法いきます。オラァ!」
「ぐっ……」
ダルマ落としで飛ばした胴体を目に命中させ、残りの目もお手玉やら輪投げの輪を投げ付けて視界を奪う。ヨロヨロしている間にヨーヨーとあやとりと凧を組み合わせた紐でぐるぐる巻きにし、動けなくなったところを羽子板で徹底的にボコボコに殴りつける。
「魔王殺しテわたシが魔王に……!ガッ、アッ」
「うるさいしキモいししつこい……!クロエさん塩まだですか」
「持って来たぞ」
「早くぶっ掛けて下さい!」
塩を袋ごとバサァッと掛けられ、「ギィイヤァァーーッ」という耳障りな断末魔の叫びが響く。やがて塩の山は徐々に小さくなってゆき、最後には塩の塊のみが残った。
ツカサはポンと耳から耳栓を抜いた。
「おまえのものまねのおかげで助かった。礼を言う」
「いえ、どういたしまして。塩掛けましたけどちゃんと死んだでしょうか」
「さあな」
「クロエさんはいつもこんなのに命を狙われながら過ごしてたんですね」
「ああ」
そう言って玄関ホールに向かい、帰ってきたクロエの手にはあの金ぴかの剣が握られていた。クロエはそれをずぷりと塩の塊に突き刺した。剣が刺した塩は僅かな膨らみすらも失い、サラサラと崩れていった。後には塩が床に散らばるのみだ。
「また人間を失った。2人もだ」
「クロエさん」
「守れなかった」
「…………」
「何が勇者だ。……結局は何も守れやしない」
クロエは元は人間界の王子だった。クロエは人間達を守るために孤独を抱え、魔王となった今も人間の死に心を痛めている。
勇者の剣を見つめたままそれを仕舞うこともせず、ただ口を引き結んでいるクロエの横顔に、ツカサは「まあそれは」と顎に手をあてた。
「勝手に迷い込んで来るんだから仕方ないんじゃないですかね」
「……なに?」
「自業自得ですよ。事故だと思えばいいんです。それで結局魔物に食べられて魔物に知性を与えてクロエさんを襲いに来るんですから寧ろちょっと迷惑ですよね。害虫と同じですよ」
ぱしぱしと羽子板をハエたたきのようにして握り直す。クロエの繊細な絵が描かれたそれは存外握りやすく、ぶんと振ると空気を切るいい音がした。
「普通に人間界で生きてたって事故が起きない保証なんてないんです。魔界は人間界より危険が多いんだから事故が多いのは当然のこと。魔界での死人ゼロなんて夢のまた夢です。魔物が外に出るよりはよっぽど死人の数を抑えられてますよ」
「事故、か……なるほどな」
「はい、事故です。だから」
「クロエさんが責任を感じる必要なんかないんじゃないですかね」と剣を握るクロエの手を持ち上げる。金ぴかに磨かれたそれは人の命を奪う魔王ではなく、人の命を救う勇者のために造られたものだ。
「クロエさん、これはあなたの剣です。魔王の槍なんかじゃない。勇者の剣です。クロエさんはちゃんと国の人達のことを守れてると思いますよ」
クロエがぱちりと目を瞬かせる。クロエはそれを受け取ると、じっとツカサを見つめた。
「おまえ……」
「あ、すみません。クロエさんの部屋覗きました。場所教えて貰ったので」
「……そうか」
「全部知ったんだな」というクロエに頷き、「てへぺろ」と舌を出す。怒られるかと思いきやクロエは何も言わなかった。何も言われないならいいかとツカサは口を開いた。
「クロエさんの過去とか色々知りはしましたけど、正直自分はクロエさんが王子でも勇者でも魔王でも、なんだっていいんです。自分にとっては、クロエさんはただの手先が器用なおもちゃ好きの普通の人なんで。一緒に遊んでると楽しいし、いい人だと思ってます」
「…………」
「あと、自分のものまね芸のお客さんです。残念ながら今日でお別れになりそうですけど。あなたを最後まで笑わせる事が出来なくて残念です」
そう言うと、クロエは何か考え込むように口元に手をやった。それは将棋でツカサが王手と言った時と同じ表情だった。
「どうかしましたか」
「俺は」
「はい」
「俺は、笑えない」
「そうですね」
「笑いたいとは思っている。だがどうしても笑えない」
「はい、知ってます」
今更何を、という言葉はクロエに遮られた。クロエの言葉が、感情が、まるで堰を切ったように溢れ出したからだ。
「芸人だというおまえがやって来たが、笑えるわけがないと思った。今までも金目当てにはるばる冒険者を雇って訪れる芸人は居たが、人間性はつまらない者ばかりだった。おまえが来た時もそいつらと同じでつまらない人間なら解雇し、適当に金目の物を渡して人間界へ送り返すつもりだった。だがおまえは」
「おまえは、面白かった」と言ったクロエの口角は僅かに上がり、紅の瞳には光が灯っていた。普段の仏頂面からすると微々たる変化ではあるが、クロエは確かに笑っていた。
「俺の正体を知った後でも顔色ひとつ変えない上に、俺が何者であろうと構わないという。おまえと一緒ならきっといつかは笑えるはずだ。首は切らない。これからも俺の専属芸人としてこの城に留まってはくれないか」
「勿論、三食昼寝付きで」と言った爛々とした瞳は新しいおもちゃを手に入れた子どものものと同じようで、豪華なシャンデリアの光を受けてきらきらと宝石のように輝いている。ツカサはその赤い瞳を見つめ、薄い唇を開いた。
「クロエさん今」
「なんだ」
「今、笑ってます」
クロエの口が驚きに開く。次いで、己の頬の筋肉を触り確かめるように手で撫でた。その瞬間、クロエの背がぶるりと衝撃に打ち震え、ツカサの眼前に美しいかんばせがぐいと迫った。
「俺は今、笑っているか」
「笑ってます、笑ってます。でもちょっと顔が近過ぎると思うんで離れて下さい」
「そうか、……そうか」
クロエはツカサの声など聞こえていないように「そうか」を繰り返し、大きなハンバーグを食べる時のようにゆっくりとその事実を飲み込んだ。そして笑った。
「俺は、また笑えるようになったのだな。ははは……!」
少し困ったように下がった眉。くしゃりと目の端に皺が寄り、頬には微かにえくぼが出来ている。想像とあまりに違いすぎるクロエの笑い方に、ツカサは雷に打たれたような衝撃を受けた。
「どうした。固まっているように見えるが」
「クロエさんってそんなふうに笑うんですね」
「ああ、俺はどんな風に笑っている?暫く笑っていないから恐らく以前の笑い方とは違うはずだ。鏡を見ないと分からない」
「はぁそうですか、あの、なんて言いますか」
「クロエさん笑った顔可愛いですね」というツカサにクロエはぱちりと目を瞬かせ、「かわいい」と呟いた。
「俺の笑った顔は可愛いのか」
「ええ、まあ。クロエさんの笑顔が見られてよかったです」
「おまえの笑った顔も可愛いだろうか」
突然自分に話が飛んで来てツカサは僅かに狼狽えた。思い返せば口の端をニヒルに釣り上げることはあれど、喜びに笑った記憶がない。最後に大声で笑ったのはいったいいつだっただろうか。
「いや、自分もクロエさんと同じで何年も笑ってなくて。笑い方も変わってるかもしれないですね」
「そうか。ならば」
クロエの赤い瞳がツカサを捕らえる。がっしりと掴まれた肩からクロエの熱を感じ、ツカサの目が驚きに見開かれる。
クロエは笑っていた。
「いつかはおまえの笑った顔も見てみたい。今度は俺がおまえを笑わせる番だ」
「え、自分は別に……」
「笑え。俺はおまえの心からの笑顔が見たい。そうだな、それでは」
「1週間以内におまえを笑わせてやる」というどこかで聞いたような宣言。
ツカサはふっと息を吐き、こくりと頷いた。僅かに口角を上げて。
「期待しています」
ツカサ「えっ、首を切るってそっち(解雇)のこと???」
ここまでお読みいただきありがとうございました。
番外編などの更新も考えているのでその間ただ今連載中、完結済の作品を是非お読みいただけるとありがたいです(^ ^)
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