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「うーん、やっぱりどうもおかしいんですよね」
ファイアピッグのソーセージをつつきながら、ツカサは首を傾げた。
カリッとジューシーに焼かれたそれは元は身体に炎を纏った豚だったのだが、それを消火して殺してまた焼き上げている。それって道徳的にどうなの?という疑問は置いといて、だ。
「何がおかしい。おまえの頭か」
「いえそうではなく。クロエさんのご飯は美味しくていくらでも食べられるんですけど、何故かここに来てから『お腹が空いたよー!』……ってなったことがないんですよね」
「俺のとっておきの戸棚からおまえがたまに菓子をつまみ食いしているのを俺が知らないとでも思ったか」
「あ、勿論それもあるしお菓子は美味しいんですけどそうじゃなくてですね」
ツカサが魔界に来てから4日が経った。てっきり豚の餌のような物を食べさせられるのかと思いきや、逆に豚肉などを食べさせてもらっている。そしてそれらの料理は全てクロエの手作りだ。よく分からないが普通にもてなされている。それ自体はとても有り難いとは思うのだが、しかしだ。
「つんつんとつついているばかりで食が進まないようだな。俺のソーセージが食えないと言うのか」
「おうおう食ってやりましょうかそのご立派さんも」
「ご立派さん?」
「あれ、これ自分が悪いんですか?今の絶対下ネタだと思ったのに」
そんな話をしながらも腹は空かない。クロエを前に抱腹絶倒ギャグを披露している時も、クロエとカード遊びに興じていた時も、クロエと昔懐かし日本の玩具を作っていた時でさえも腹は空かなかった。
「どうしてお腹が空かないんでしょうか」
「教えてやろうか」
「お願いします」
「魔界は人間界とは違い、時間という概念が無いからだ」
「ほぇ〜」
時間。時間が無い、とはどういう事だろう。ツカサが今こうして呑気にソーセージをつついている間も1日2日3日と時は流れ、刻一刻と首ちょんぱへのカウントダウンは迫っていると言うのに。
「時間がないってどういう事ですか」
「言葉の意味通りだ。魔界は人間界とは違い、朝も昼も夜もない。俺は人間界から時計を持って来ているから時間が分かるが、人間はここでは歳を取らないし腹も減らない。本来ならば食事を摂る必要さえもない」
「あー、髪切ったらそのまま伸びて来ないんだ。だからクロエさんはロン毛なんですね」
「新しく生えることもなければ抜け落ちる事もない。大切にしなくてはな」
それって細胞とかどうなってるんだろう。生物学的に気になるところではあるが、ここは魔王や魔物が居るファンタジーな世界だ。そういうものなのだろう。ツカサは顎先で切り揃えた黒髪をひと撫でし、「なるほど」とこくり、頷いた。大切にしなくては。
「そして昨日おまえに見せた魔物達についてだが」
「ああ、あのおっかないふれあい動物達ですね」
「魔物は月日の経過ではなく、食った魔物の数や質によって成長する」
「ほう」
「魔物は番うことをせず単体で増え」
「ふんふん」
「親は子を、または子が親を食い、それがまた兄弟や多種の魔物を食って更に強く巨大になる」
「ほえ〜」
怖っ。なんだその弱肉強食の世界は。共食いは当たり前、更に親子でも捕食し合うとはおっかないにも程がある。
「ウルトラスーパーデンジャラスですね」
「更に一部の魔物は食べた物を体に取り込んで変異する。例えばウッドスパイダーがホーンベアの頭を食べれば熊の頭に、人間の頭を食べれば人の頭になる」
「は」
「昔ここを訪れた人間が魔物の森で俺からはぐれ、瘴気に飲まれ自我を失った挙句魔物に四肢をもがれていた。その後その人間は発狂して死に、後日俺は人間の手足が生えた魔物と遭遇した」
「すみません、ちょっと吐いていいですか」
「俺のウィンナーを吐くと言うのか」
「吐きます」
胃の中を空っぽにした後、ツカサはふぅと息を吐いた。
「ちょっとヘビー過ぎやしませんか……」
「まあそうだろうな」
こともなげに涼しい顔で言ってのけるクロエ。ツカサは「そういえば」とうがいした水をぺっとバケツに吐き出した。
「クロエさんにはどうして魔物が襲いに来なかったんですか」
「魔物は魔王には逆らわない。そういう本能があるのだろうな」
「なるほど、便利ですね」
「魔王以外は容赦なく襲うがな」
「あ、やっぱりですか」
「俺の手が届く範囲に居なければ骨も残らないだろう」
「ふむ。つまりクロエさんの背中にしがみついてたら無敵ってことですね」
「理論上はそういう事になるな」
「まあ人間を食って知性をつけた魔物は俺にも容赦なく襲って来るが」とクロエはウィンナーを平らげ、怪鳥の卵で作った目玉焼きにフォークを突き刺した。フォークを刺した箇所からどろりと黄身が流れ落ちる。黄身と言いつつ赤に近い色をしたそれは、まるで白い肌から血が流れているようだ。
「駄目じゃないですか」
「駄目ではない。俺の火魔法で焼き尽くせば全てが消し炭になる。何が来ようと変わらない。ずっとそうして今日まで生きて来たから問題ない」
「あ、クロエさんって強いんですね」
「俺の炎は目玉焼きとウィンナーを焼くためだけにあるんじゃないんだぞ」
「火加減最高です。美味しい」
「そうか」
となると、魔物の森のほぼ目の前に建っているこの城から単独でお出掛けするのは不可能ではないだろうか。ツカサは付け合わせのサラダをフォークで突き刺し、むしゃむしゃしながら考える。
「クロエさん」
「なんだ」
「この後暇つぶしに魔物の森の向こうも見てみたいと思ってたんですけど、クロエさん付いて来てくれます?」
「ついでに観光案内もしてやろう」
「見た目の割にフットワークが軽くて助かります」
食事を終えて暫く休憩した後、例の如くクロエの背中にしがみついて森を抜ける。クロエは「着いたぞ」と下を見下ろした。
「魔王城前名物、心臓破りの崖だ。登ると結構きつい」
「嫌な名物スポットですね」
「背中から降りて下を覗いてみろ。高いぞ」
「後ろから背中押したりしないで下さいね」
「それはフリか?」
「なんでそういうとこだけ通じるんですか?」
押すなよ押すなよとわちゃわちゃしながら崖から下を見下ろし、なるほど落ちたら即死だなと納得してその場を後にする。滞在時間の割に下を見たのは一瞬だった。
「この先にあるのはなんですか」
「人喰い沼だ。沼に棲むヒキガエルが通行人を沼に引きずり込む」
「へぇ、じゃあ向こう側行ってたら何があったんですか」
「死海がある」
「えっ、魔界にも海があるんですか。なんでそっち行かなかったんですか」
「あの水に触れると肌が爛れるからあまりおすすめはしない」
「猛毒じゃないですか」
海と沼。美しさという点においては月とすっぽんだが、冗談じゃなく本当の死の海で皮膚ずる剥けの海水浴をするよりは沼でビッチャビチャのヒキガエルをクロエの背中にしがみついて観察する方がまだ有意義な時間を過ごせるだろう。
「ついでにヒキガエルの鳴き声も聞いてみたいものですね。ものまねのレパートリーが増えそう」
「あれを真似るのか。喉が潰れないといいが」
「どんな声してるんだろう」
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「クロエさん」
「なんだ」
帰宅後。長い黒髪を後ろで纏めてエプロンを後ろで結びながら厨房に立つクロエを頭からつま先までじっくりじろじろと眺め回し、ツカサはこくりと頷いた。
「お嫁さんに見えます」
「俺は嫁いだ覚えはない」
「今晩の献立はなんですか」
「昼に食べたファイアピッグの余りを使ったハンバーグと庭でとれたマンドラゴラを入れて今朝のサラダをアレンジしたものだ」
「余り物を上手に使い切る良い嫁ですね」
「嫁いだ覚えはない」
「家庭菜園もばっちり」
「暇だからな」
「自分も手伝いましょうか」
「それなら手を洗ってきてハンバーグを捏ねてくれ」
「ガッテンです」
両手でもっちゃもっちゃとタネを捏ね、タネを丸ごとフライパンに放り込む。クロエの炎待ちをしていると「何だそれは」と赤い目が微かに見開かれた。
「随分とでかいハンバーグを作るようだな」
「どデカいハンバーグをケーキのようにして切って食べるのって結構良いんですよ」
「たしかに悪くない発想だな」
「出来たらケチャップで落書きしましょう。面積が広いので沢山書けますよ」
「楽しみだ」
ストトトトン、とクロエの手によってマンドラゴラが短冊切りにされる。クロエはマンドラゴラに噛ましていた猿轡代わりの紐をぺいっとゴミ箱に投げ捨てた。
「そういえばマンドラゴラって抜く時に叫び声を上げるんでしたっけ」
「そうだ」
「たしかマンドラゴラの叫び声を聞いたら……」
「死ぬ」
「今日から耳栓持ち歩くことにします」
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「ふぅ」
一息吐き、ツカサは自分のお腹を撫でた。いつもは薄い腹が見事にぽっこりと膨れている。
「ヒッヒッフー……ヒッヒッフー……」
「肉ダルマでも産むつもりか」
「食い過ぎだ」と言われてげっぷをひとつ。ツカサは満腹で鈍る身体をのっそりと動かした。
「さすがに量が多かったですね」
「中々に旨かったな」
「クロエさんがハンバーグに描いたファイアピッグの絵も上手かったですよ」
「爪楊枝まで使って細部まで拘ったからな」
「すっごいリアルで化けて出そうな出来でした」
「手先は器用な方だからな。弟には劣るが」
クロエはたまに弟の話をする。クロエは弟と仲が良く、弟もよくクロエのために緑茶や流行りの本などを送って来てくれるのだという。
「弟さんはお元気なんですか」
「ああ、最近2人目の孫が産まれたらしい」
「それはおめでたいですね」
「そのうち連れて来るそうだ」というクロエの声は何処か浮き足立っていて、ツカサは「よかったですね」と口の端を持ち上げた。
「あれ、弟にお孫さんが居るってことは……クロエさんってお幾つなんですか?」
「ここでは歳を取らないのであまり普段気にはしていないが40は超えているはずだな」
「おっさんじゃないですか」
「おっさんではない」
「見た目20歳前後なのに」
「魔界では時間という概念がないからな」
「なるほど。それで」
「あなたが人間界から魔界に来た時から見た目が変わらないんですね」と緑茶を啜る。ツカサの言葉に独楽を回していたクロエが僅かに顔を上げた。
「何か見たのか」
「いえ、これは普通に気付いてただけです」
「そうか」
独楽が回る。丁寧に色付けもしたそれは珍しく手元が狂ったのか、暫く回ってからバランスを崩して部屋の隅まで転がっていった。
「クロエさん」
「……なんだ」
「あなたはどうして魔王なんてものをやっているんですか」
「人間のあなたが」というツカサに、クロエは何も答えない。少しは狼狽えるかと思ったのに、クロエは少し睫毛を伏せただけだった。
「さあな。ただの成り行きだ」
「……そうですか」
クロエが独楽を拾いに行く。ツカサは立ち上がり、自分で作った独楽を投げた。独楽はくるくるとよく回ったが、やがてころりと転がって動かなくなった。