13-4. 宗教に染まらず天地の経験を受け入れたこと① なろうの新流行ジャンルは宗教移民!?
13-4. 宗教に染まらず天地の経験を受け入れたこと① なろうの新流行ジャンルは宗教移民!?
日本は無宗教が9割である。本当だろうか?
神教と呼ばれる、仏教から派生した死生観と考えると一種の「日本教」と考えても良い。
そもそも、宗教とは何か?から始めるが、自分は「人を束ねる武器」として見ている。
噂や仮定ができる人間以外では群れ150匹までが限界と言われている。それ以上になると、ボスの行動を直接見る事ができず、分離・独立してしまうのだ。宗教は、その人を束ねる見えない武器であり、人類の最大の発明と言える。
もし〇〇教に入らないと、死んだら地獄に行く。手を握って祈るだけで救われる。貧しい人でも死んだら天国に行って幸せになれる。
そんな仮説と釣られた餌にとびつく人は多い、今のように全員が義務教育で知識があって識字できる時代ではなかった。そんな時代では、救われる仮説にすがり、その共同体で生きる事にメリットが多くあったのだ。宗教に入信する人も、それを束ねる人(教祖)もメリットがある。
その地域を守るために命を懸けて戦う。一家の血族が滅ぼされるから守るために命を懸ける。自分や家族を幸せにしてくれる宗教を守るために命を懸ける。そのように、戦争が多い西欧では、封建制度(国王が領主に土地を与えて忠誠を得る)と合わせて、宗教による結束が大事であった。
違う言語、違う部族、でも大陸つながりで戦争が絶えない。そんな地域では宗教による結束と集団化を使い、他の部族、他の宗教を敵視して生存を計った。
いつの時代でも、平和であると内部に不満がでて崩壊する。そうさせないために、外部の仮想敵を作って国民を煽り、ガス抜きするのがお約束なのだ。
なろう小説ではこのあたりが弱いと思っている。当たり前だが、日本国民にはその宗教観や異民族、異文化、異言語が一切ないのだ。
このあたりのジャンルに特化したなろう小説は少し流行ると思う(読者に共感は得られないが、特異性と独創性で評価はされる)。
海外から見た、日本の自然死生観の独自性と似ているかもしれない。お互いに経験してきた文化が違うのだ。
宗教に染まらなかったということは、「人を束ねる武器としての制約」を受けなかったことになる。イスラム教なら豚は神聖で食べてはいけない。キリスト教では輪廻転生は無く、地動説を説くものは異端として処罰した。
彼らにとって、その制約は赤子の時からすりこまれた文化であり、何の疑いもない。森羅万象の中で、宗教という理念によって一部がズームアップされ、一部が黒で塗られて見えなくなるのだ。
黒く塗りつぶした部分は、生きてから死ぬまで無意識に黒だと思うことはない。他の宗教はまた別の所が黒くなっている。他宗教から「そこは黒にだね」と言われて、初めて黒の存在に気づく。
日本では、察して文化や麺類をススる文化、部下の前であえて叱る文化、表情に出さなすぎ触れなすぎ文化あたりだろうか。
アメリカのオーバーなリアクションにドン引きし、「月がキレイですね」が告白になる奥深さは、世界全体で見たらイレギュラーなのである。
今はその日本流の無表情おれやっちゃった?文化が海外で独自性として受け入れられているから、いつかは「日本流もアリ!」になるだろう。




