11-3. 霊魂能力を現実的に考えると?
11-3. 霊魂能力を現実的に考えると?
等価交換とか質量保存の法則とか学校の理科、物理で学んだようなことだけでも「無から有は作れない」ことはよくわかるだろう。
ファイアーの魔法を疑似的に使うには、その演出に必要なエネルギー以上の仕込みを行い、発動トリガーを用意する必要がある。
現実のステータスオープン(履歴書)には、資格試験や身体測定等の人類が用意した尺度で測ることで保障された価値を自分や他人に教えることができる。
前の章で色々語った霊魂に関する能力については、現実的にどう考えるべきだろうか?
筋トレをすれば、上腕二頭筋が分厚くなり持ち上げる力が上がる。
頭をより多く使うことで、電気信号が増え脳のしわと容量が多くなる。アインシュタインが人並外れた脳のしわと容量を持っていたことは有名である。
臨死体験をする前の脳の容量が1200グラムあり、戻った時に過去の情報を見て覚えてきたために1200.1グラムに増えていたとしよう。
知識が前よりも増えた事で、脳容量が減ったり変わらないというのはおかしいだろう。記憶が増えた事で、脳もその情報分増えるはずである。
しかし、無から有ができるのは物理法則に反している。考えることで血液のエネルギーを消費して脳のしわが増えるならば成り立つ。しかし、脳死状態では名前の通り死んでいて消費活動は行われていない。死んでいる脳に代謝も成長もないのだ。
今の技術を使えば、記憶という行為をしたときの脳波やMRIを駆使して、ニューロンによる脳の伝達とシナプスの形成が物理的に行われて記憶定着している事はすぐにわかるだろう。
それらの記憶成長プロセスを経由せずに、脳死で活動停止状態で全く別の所から記憶を持ってくるのだ。脳容量が変わる事がないのに、記憶が増える。
こんな非現実的なことが可能だろうか?
ヒトの記憶は脳みそだけでない、別の外付けハードディスクがあると考えるのが妥当である。
「なんでこんなくだらないものを私は読んでいるのだろう?」とか「そろそろお腹減ったから何か食べよう」といった感情は、脳の記憶や胃袋の警告からくるものではなく、別で来ているのだ。
以前の仮説である、「両親から継いだ遺伝子が車で、2つの魂が運転している」を使う。
遺伝子で作られた体や脳は使って消費することで膨張し記憶や筋力が増加する。記憶の引き出しはそれが100%ではなく、結びついた霊魂からくる感覚や記憶は別の重量として流れ込んでいることになる。
例えるなら、容量2テラのパソコンで残り20ギガしかないが、外付けHDD2テラを常時つないでおけばそっちに「キオク」を増やせばよいのだ。
それならば、脳容量の増加による矛盾を避けることができる。人類が観測できる記憶と成長は1部であり、感覚や他の何かは他から来ているのかもしれない。