8-2. 天性という人類の新しい文学が起きる予感?
8.天性学の大頭
8-2. 天性という人類の新しい文学が起きる予感?
天性学は「観測できず結果だけ残る学び・探求」と割り切り、途中経過と再現性はゴミ箱に投げ捨てる勇気が必要である。
天性という言葉を辞書で調べるとこう出てくる
天から授けられた性質。また、生まれつきそのようであること。副詞的にも用いる。天資。天質。「好奇心の強いのは天性だ」「天性明朗な人」
同じ文字の転生とは違う、「なろう天性」が流行ると私は期待してエッセイを残している。
生物学、科学、心理学、物理学、磁気学、哲学、学びには色々なジャンルがあるが、天性学が特異な性質を持つ。
「観測ができず、結果だけが残る」
この一言だ。超ひも理論に必要な6次元や、超ミクロの世界である量子力学寄りの話であるが、再現性がなく証明ができないのだ。
実験結果から生み出された「確立として表記し、調べたときに結果が見える」量子力学の次のステップだと思っている。霊魂に関する天性学を通じて、5次元以上、時空を超越した探求が進められる。
例えるならば「中身が見えない箱」だ。リンゴをある箱に入れると、リンゴジャムがポンと反対側から出てくる。中を覗くと、ベルトコンベアに乗って包丁で輪切りにしてミキサーで粒状にして瓶詰めを行う機械が見える。これが一般認知されている、物理や化学になる。
天性学(超常現象に関わる霊魂システム)は、箱にリンゴを入れるとバナナが出てくる。でも中身は見ることができない。でも、入れた者が変化している結果だけが残っている。この変化の確率は10万分の1であれば、だれがこの奇妙なものに投資して研究するだろうか。
私は、なろう天性の流行により「10万分の1でも起きた結果だけ見て解析しよう!」と商売人が重い腰を上げるきっかけになる。今は、大量データの収集とAI分析ができる時代だ。新しいタイプの研究方法の確立が急務だ。
1600年ごろは天動説がC教で当たり前となり、地動説を唱えた人々は異端としてひどい目に合ってきた。しかし、今のように俯瞰してみることができれば、当時の考え方は誤っていたように見える。しかし当時の人には、それが当たり前すぎて考えを切り替えることを拒むのだ。その権力や規模が大きいほど新しい概念に対して潰しにかかる。
私が考える「天性学」は、今の天動説に対する地動説だと思っている。100年後、霊魂の仕組みが究明された後は「100年前は霊魂の仕組みは否定され続けた」と教科書に載ることになる。私は天性学が認知されにくい一番の原因は「カントの呪い」だと思っている。カントによって神や幽霊を哲学から除外する事で、より絞った探求と発見で大きく人類は成長した。しかし、その絞った考えが当たり前すぎて「それがこの世界のすべての摂理」と思い違いをしているのだ。偉い人、利害関係を持つ人からすると、この霊魂を認めてはまずいことになる。例えば、過去の人類の誕生や過去の大事件の真実がバレると崩壊する組織が数多くあるからだ。
C教がある西欧やアメリカからは、まず崩すことはできないだろう。宗教に依存しないフラットな思考、機械や虫にも命があると尊重する世界観を持つ民族から生まれるべきだ。
天性学は「観測できず結果だけ残る学び・探求」と割り切り、途中経過と再現性はゴミ箱に投げ捨てる勇気が必要である。




