7-5. なろう風味の味付けから、個々の自伝へ
7-5. なろう風味の味付けから、個々の自伝へ
今のなろうは売れる(読まれる)テンプレというのがあり、そのお約束を守らないと良作品でも評価されないようになっている。実力ある著者だけでなく、色々な人が投稿できるようになったため、数多くの作品から抜き出る方法を取らないと埋もれてしまうからだ。
例えば、1話目に急展開とかわいい女の子を先に出して、次を読ませるための展開を無理やり持ってくる等だ。リアリティある手の込んだ深い作品でも、10話辺りから面白くなるように書くとその前に脱落して評価されなくなってしまうのだ。それとは別に、組織票や共同で組んで評価しあって上位ランクに持っていく手法は、今でも健在だ。
今のなろうは「まず読んでもらえる」要素を織り込んで作られる
本来作者が書きたかった内容では伸びないので、最初の急変やテンプレを前面に押し出し、後続もハラハラドキドキさせるようなものをしっかりと書けてスタートラインとなる。一度売れてしまえば、多少自分の書きたいことを表現しても評価してもらえるようになるが、無名であるほどそのハードルは高い。
以前書いた「直感の赴くままに作品として残す」やり方では今のなろうでは評価されない。なろうテンプレの不純物を混ぜることで評価につながる、これは本来の直感の作品とは離れてしまう。直感で書いたものが全て素晴らしくて、読みやすく加工したものがダメと言っているのではない。
作品を文学として残す場合は、主にその人が体験した実体験をベースに、他の小説やネットで調べたことを加味して作品は作られる。ゆえに、実体験とかけ離れすぎた事をリアリティを考えて書くと大体破綻するのだ。農業で50年暮らした人が、サラリーマン物語を書こうとしても中々正確に書けるものではない。逆もしかりだ。本来あるべきは、その人の赴くままの直感で描いた作品であるので、いつかなろう小説系が、テンプレ以外でも評価されるような土台ができたのであれば、著者のありのままの体験とそこから生まれる文学・発想で生まれた作品が、より多くの人に見られる時代が来るかもしれない。結果、それは本人実体験から作られた自伝本につながる。
テンプレに依存しないなろう小説の時代が来る。




