25-23. 50代以上は友情! 努力! 勝利! の夢を見るか? 現代なろうから努力と選択を考える
25-23. 50代以上は友情! 努力! 勝利! の夢を見るか? 現代なろうから努力と選択を考える
現代なろうは一言で言うなら、俺スゲースナックである。
一部例外はあるが、1話の終わり以降で最底辺の苦しみや葛藤や努力というシーンは少なくなる。それ以降は、読者がストレスがなく、楽しめるように良い展開が続くようになっている。
いや、良い展開にしないと読んでもらえない=評価貰えない=伸びないことから、意図してその層に向けて特化したストーリーとなっている。その成功例のなろうを読んで育った10代は、それをベースにより特化した、差別化したなろうを書く。
結果、より快適に読めるスナック小説が増えていくようになる。
これは目に見えてわかるだろう。それ自体は悪ではない。需要に対して供給を正しく競っているのだから。
では、40代以降の思想はどうなっていたか考えよう。自分は36歳なので中間くらいだッと持っている。ちょうどアイアンリーガー、スラムダンク、仮面ライダーブラックRX、スレイヤーズくらいの世代である。ニャッキ、ウゴウゴルーガ、忍たま乱太郎を見ていた記憶がある。
それらの頃は、ジョジョ何部であっただろうかはおぼえていない。だが、友情! 努力! 勝利! というテンプレが多かった記憶がある。
努力し、ライバルに負けたとしても修行して仲間と協力して勝つ。このパターンが多かった。
現代のように、1話目で奴隷美女が懐いたり、イケメン国王がいきなり妾にするとか、3コマ目から前世を完全に知って異世界も理解したうえで動くということはしない。
団塊以上の世代では、自己責任で行動し、責任を取り、勝利を掴む。自由+選択+努力という前提が多かったが、現代はヒナのように神=親鳥が餌を与えてくれて、口を開けているだけで美味しい餌を食べる事ができる。これがスナック感覚というものだ。
そのほうが、苦労せずにハーレムや無双ができ、短時間で気持ちよく共感できる。それは良い。
だがそれに慣れすぎると、現実のバイト、コロナ、孤独、対立、喧嘩、憎悪もろもろの現代にたいして現実逃避的な欲求になってしまう。
自分たち30代が読んできたマンガやアニメは、生きる上で勇気をくれた。キメツのような努力と苦労をすれば報われるという成功例を読んでいれば、実際のリアルに対しても困難が来ても火の柱?の名台詞を思い出して頑張れたりする。
要は、生きて選択する時のバイブル(聖書)となるようなマンガと出会えると人生が変わる。
だが、今のなろう小説とアニメを摂取しすぎて、努力系のアニメ漫画を避けるようになるとどうなるか?
それは、いつかは美女が来て慕ってくれる。チートスキルを手に入れてこの世でも無双できるという願望が強くなり、自分で選択、行動、努力、不屈の精神が相対的に減ってしまう。
これは最初に自分が気づいた時、一種のアヘンだと思った。
イギリスと清のアヘン戦争のきっかけは、お茶を大量輸入して銅が急減したので植民地でケシの実からアヘンを作って輸出して大稼ぎした。清国内でアヘン中毒者が急増して、民間や政府まで腐敗と堕落が蔓延した。アヘンを止めるように対策したが、儲かっているイギリスは裏で流通させていたちごっこ。ブチ切れた清は戦争をすることになる。
なろう小説やアニメ自体は悪ではない。青春時代において、アニメや小説や映画は人生に大きな影響を与える。なろうによる「幸せは勝手に降ってくる」「果報は寝て待て」の精神で育ってしまうと、苦難の時に乗り切る事を諦めてしまうことが増えてしまう。
なお、年配者にうそだったことわざNo1を聞いたら大半は「果報は寝て待て」であった。
寝てても良いことは降ってこない。自分で行動しないと成功しないということだ。当たり前すぎることだが、なろう小説に100%染まりきってしまうと、大人になっても鳥のヒナのように口を開けることだけを望むようになってしまう。自分でエサを探し、飛ぶ練習をするというプロセスが、なろう蔓延によって増えてしまうと自分は危惧している。
前回まで、50代以上のガチなろう転生が増えるとジャンルが増えて読者層も増えると予言した。
20代が「おじいちゃん妄想」で爺無双転生小説を書くのではなく、
ちゃんと時代を経験した高齢者と、なろう小説が書ける若者がタッグを組んだ小説が読みたい。
当然、50代以上はバブル時代と崩壊をどちらも体験している。友情! 努力! 勝利! で育ってきた世代であるため、これは推測であるが、高齢者が今のなろう小説を読んだら、上に書いた違和感を覚えるかもしれない。
自分で判断し、直感を信じて行動し、失敗してもめげない。何度も試行することが大事で、後になって勇気だして失敗したことが糧となって成功する。
その成功体験を繰り返して、自分から身を乗り出して行動するようになる。
そのようななろう小説が増えてほしい。現にそういった苦労と這い上がり系の小説は多々ある。
だが、読者層=なろう純粋世代に響かない=ストレスであるためランキングで伸びず消えてしまう。
自分は最近、なろうっぽくない小説を毎日読んで評価する日課をやってみた。
普段なら3日坊主になってしまうのだが、自分が色々読んで評価することができないなら、誰かから評価だってされないだろう。そう思って、自分が良いと思った小説を見つけたら、迷わず評価するようになった。
だがまだ、コメントはちょっと怖いのでまだやっていない…。
ともかく、なろうっぽくないなろう小説=純文学[文芸]を探して応援したいと思う。
まとめ
①スナックすぎるなろう小説が漫画アニメで蔓延すると、口を開けるヒナが増えてしまう
②団塊世代50以上は友情努力勝利の文化で育ち、彼らの思想のなろうが新ジャンルとして流行ってほしい
③最近、なろうっぽくない小説を探して毎日評価を入れるようにした。自分が評価せずに、誰から評価されるのかと




