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25-19.  今後60以上の実体験なろう作家が増える説 増える読者層は、拘束への解放と自由を求めている

25-19.  今後60以上の実体験なろう作家が増える説 増える読者層は、拘束への解放と自由を求めている


 人が寿命で死ぬとき、後悔している事は何かと聞くと1位はこれだ。



 あの時ああすりゃよかった。



 若くて行動出来るときに、やりたかったことをやっていればよかったと。やらずに保身に走り、仕事や家事育児を続けた結果、そのまま年を取って死ぬことになった。

 いくら時間やお金が老後に増えたとしても、その体ではその当時やっていたことと同じことはできない。

 だから、その時大損していてでも「やりたいことに挑戦して後悔する」これをしなかったことの後悔が多いのだ。




 要は、安定して金持ちになれたけどやりたいことがやれなかった vs 貧乏だけど勇気だして挑戦して失敗して成し遂げた、だ。


 自分は36歳だが、当然20代のような無茶な事(徹夜数日、超キツイ仕事など)はもう肉体的にも精神的にもできない。


 年を取るほど、やれることは減っていく。やれることが増えることは、お金や時間や名誉によるチャンス、経験と知識による新しい発見や行動はある。だが、それよりも若さゆえの活力と行動力の方が大きい。




 50代以上の 団塊なろうジャンルは、 おそらく拘束への自由として需要がある。




 リアル50代の人は、忙しい。家庭があり、家族があり、息子娘があり、家のローンがあり、守るべきものが多数ある。


 その状況で、自分がやりたいことに24時間費やせる事ができるか、というとまず無理だ。


 もし独身で貯蓄が1億あったらどうか。失うものがなく、50代でも仕事を辞め、残りの余生をやりたかったことに全力で傾ける事ができるかもしれない。だが、一度家庭やローンを組んでしまうと、やりたいことへのチャンスはほぼなくなってしまう。仕事を辞めればローンが払えず、家族が路頭に迷う。自分のやりたいことと天秤にかけられるものではない。


 だから、息子たちが独立して、守るべきものが全て終わった後から自分のやりたいことをやりだす。




 だがそれではもう遅い。体も精神も、遅すぎたのだ。結果、寿命で死の間際に後悔というものが生まれる。だがこれは仕方がない。



 ではどうすればよいか?






 そりゃなろう小説を書いたり読んだりして、せめて精神だけでも楽しめばいいじゃないか!!




 そう、団塊なろうジャンルの流行である。



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