23-21. 銃社会はなぜ魔法を望むのか?
23-22. 銃社会はなぜ魔法を望むのか?
銃社会と近接時代と魔法世界には違いがある。
銃社会ではヘッショ即死があり、プレートアーマー以外は当たるだけで致命傷となる、当たって生き残るパターンは敵側の舐めプ(銃性能が弱い)になる。
一方の近接、ナイフコンバットや肉弾戦はその人の技術や経験が非常に大きなウェイトを持つ。打撃では、一撃即死は難しく顎パン失神や首絞めなどのピンポイントリーサルが必要になる。見ごたえが一番あると思う。
最後に魔法。これはまず実在していないため、いくらでも妄想で加工できる自由度がある。昔でいうかめはめ波のように火力同士で「相殺」されることが多い。イメージとしては水流とか風圧だろうか。お互いが発射する水で押し合い、気合や声で押し切ったりするようなものだ。
これら相殺は銃や刀や打撃ではなかなか難しい。銃の弾丸同士が衝突するのはまず無理だし、刀同士は相殺というより受け流しに近い(展開的に折れちゃうことが多い)。
打撃同士でこぶしがぶつかり合うのは映える、だが痛そうではある。
つまり、魔法は色々映えるような魅せ方ができる便利な設定なのである。
銃社会における、ハリーポッターなどの魔法世界の需要について考える。
メディアとしての面白さとして、そういったファンタジーに需要はあるのは分かる。単純に面白い。
もう一つの要素として、銃が一般人に普及しているとガチの喧嘩が「最終的に銃」になってしまう。もちろん射殺は犯罪であり、普段使うことはない。銃で命を狙われたときの自衛であり、緊急手段としてのみ使うのが一般的である。
市民の私生活が漫画や小説のベースとすることで、多くの共感を得る。銃社会なのに、ガチの争いや闘争が「日本風の殴り合い」だったら、それは拍子抜けするだろう。日本感覚でいうなら、ヤクザ同士でチャカで発砲しあうのではなく、なぜか学園モノラブコメディで拳銃を常備して乱射している感じである。それ、日本じゃないよね?とすぐ気づくはずだ。まあフルメタなわけだが。
銃社会における、共感されやすい日常というのは銃の常備であり、悪意ある人がいればいくらでも平和な町を一瞬で破壊する事ができる。日本でも殺傷事件のニュースはあるだろうが、いきなり発砲で大量死はないだろう。銃社会圏ではテロや乱射事件で数十人というのは割と日常茶飯事であり、小さなものはニュースにすらならない。
この何かあれば一瞬で崩壊する安全と言う土台は、怖いものなのだ。
自分は子供のころにタイで実際の施設で実銃を数発撃った経験がある。レクチャーされて、慎重に撃ったが、反動が結構あった印象だ。
ヒトなら自殺を一度は考えた事があるかもしれない。日本と言う国でそれを実行するには、家なら何かしらの準備が必要だし、外であればお約束の飛び込みや飛び降りになり、迷惑が掛かってしまう。即死できなければ、激痛を長時間受ける怖さがある。首つりの苦しみも辛かろう。
銃がもし手軽に手に入るのであれば、その目標を達成するのはたやすい。
「もし自死するなら、頭をぶち抜く銃が一番シンプルで早くて迷惑かけないだろうなぁ」
誰も探さないであろう森の奥地まで生き、加えるなり横からなりで打つだけシンプルである。もちろん普通の人はやっちゃダメだ。だが、仮としてそうするなら痛み最小限として銃がある。
ヤるにも死ぬにも、銃は便利であり、日常における不確定要素と不安にある。
なぜ戦争のない今でも米では銃規制ができないのかは、ライフル協会などの利権が多く絡んでいる。
話を戻そう。銃がある社会では、突然の死というわずかな可能性が常に付きまとうことになる。
銃がほぼ禁止されている国では、そういった事は非常に少なく安心した日常を送れる。魔法ファンタジー世界では、銃のような遠距離即死がないような設定が多い。(ボスの超パワー除く)
今の日本のような、治安があり安全社会はあちらのヒトは望むのかもしれない。事件に巻き込まれた遺族たちからすれば、銃の存在は保身ではなくリスクになる。
魔法やファンタジー世界においては、銃の圧力がないフリーである。ボスを倒すストーリーにおいて、銃社会では高性能スナイプと呼び出しをすればよい。魔法社会ではそういった遠距離ズルはさせないように設定する。
要は、銃があると最大の殺意勝負では映えない、だからそれを禁止設定にした魔法が都合よく、読者層も銃社会のない世界を読みたがっている。
ハリーポッターに超高性能スナイパーライフルやマシンガンがあったらどうなるだろうか?
銃はボスに効かないよ! と言う人もいるだろう、だが実際に銃自体があれば魔法と組み合わせて貫通できる魔法銃が企業競争で開発され、市民が買うに決まっている。それができない明確なルールや文化がない限りは、高性能同士で組み合わせた完全無欠を誰もが研究して普及するようになる。
無効化されたら、無効化されない魔法弾丸を開発するいたちごっこ。それが現実である。
それをやらないストーリーであれば、主人公舐めプであり、ボス舐めプになる。だから、強すぎる銃社会は魔法異世界には入れられないのである。せいぜい火力の低い弓や投石、竜のブレスになる。
肉弾戦や刀勝負、魔法勝負に共通する事は本人の技量に大きく左右されることだ。練習や経験や、ボス戦を通じたアイデア勝負という成長と成功体験が描ける。
一方銃撃戦は、本人の射撃制度の向上は重要だが、それ以上に「使用する銃の性能」が左右される。神エイム主人公でも、初期装填型ライフルでは素人超性能マシンガン乱射には勝てない。
要は、銃では本人技量よりも銃性能に大きく左右される主人公の成長から少し離れてしまう。
最後になるが、銃社会自体を否定するつもりはない。
そして銃文化のドラマや漫画が人気があるのも間違いない。それを伝えたうえで最後に言いたい。
やっぱ主人公の成長で飛んで切って倒す漫画って良いよね。
まとめ
①魔法世界は銃の遠距離即死というつまらない展開を排除した戦闘ができる
②銃の存在がない異世界を望む読者が多い
③銃性能ありきで主人公の成長が魔法打撃刀より少ない




