23-8. 「イカゲーム」「パラサイト」、韓国の世界で人気になったドラマから考える、地政学的文化評価⑥ ネロナムブルが時に嫌われ、時に受け入れられる韓国
23-8. 「イカゲーム」「パラサイト」、韓国の世界で人気になったドラマから考える、地政学的文化評価⑥ ネロナムブルが時に嫌われ、時に受け入れられる韓国
ネロナムブルはおかしいと考える韓国人は多い。これは全世界でも当たり前である。
人類皆平等であれば、肌の色は関係ないし、等しく実力で評価され序列されるべきである。
だが、韓国人の感覚では「味方の利益、敵の不利益」であればネロナムブルは歓迎される。
それについて今回考える。
結果を先に言うと、魔改造朱子学の道徳的優位性で好き勝手できるから、である。
前々回あたりで解説した道徳的優位性は、同じ条件なら一方的に勝てる優先権という解釈があった。しかし実際は、お互いに優位性を主張するなら、勝った方が優位性を持っていたという「トーナメント勝者が正義」という思想であった。
勝てばクーデター、負ければテロという感じである。同じ用語でも、勝ちと負けによって解釈が変わる。
この道徳的優位性があれば、あらゆる論争でも勝利できると普通の韓国人は信じている。
勝ち続けているから道徳的優位性がある。負けたなら、嘘つきペテン師で袋叩きにする(たとえ直前まで支持していても)。
これは中国の易姓革命の思想に近いかもしれない。徳があれば、中国大陸を統治する権利があるし、それを失うときは農民の反乱で徳ある別の天子が支配するという考えだ。
結果と因果が逆であり、支配者が得を失ったから別の天子が奪って支配するのではない。支配者の悪行や施策間違いから、農民が飢えて反乱し、結果鎮圧できない軍への報償が尽きた時に易姓革命が起きる。
支配者が軍に褒賞を正しく与え、農民反乱を制圧できるならソレは徳の移動(易姓革命)ではない。ただの反乱分子であり、簡単に粛清されて農民の締め付けと監視が厳しくなるだけである。
これらの革命は、天子による徳の譲渡ではなく、ただの圧政と反乱である。だが、中国人の洗脳思想には、一種の破壊と下剋上の希望なのだ。易姓革命という過去の転覆の歴史がある以上、今後に自分の暗い人生をひっくり返してくれる、若き英雄=天子が現れて生活が良くなる、そう考えるのだ。
実際は今、近平は易姓革命を恐れて言論統制し、近平思想を授業に取り入れ、英語の授業を縮小し、財布を圧迫する塾を禁止し、ゲームは一日一時間(18未満)を強制した。
中国の塾業界は潰れ、ゲーム会社は萌えキャラ化、エロ特化できなくなり日本のソシャゲに逃げ、潰れたパイによって新たなビジネスが生まれ大金が動く。
近平思想による、業界破壊とビジネス創造のサイクルは進化論における天変地異である。一種の確率の災害であり、市民もプラマイゼロとして受け入れている(というか反発すると死ぬ)。
話を戻そう。中国の易姓革命の思想は、韓国の道徳的優位性に似ていると思った。
優位性があるから勝ったのではなく、勝ったものが優位性があるという逆の思想である。
ゆえに、政府や権力は是が非でも道徳的優位性を持ちたがる、つまり勝ち続けることである。負ける事は、優位性を失うことであり、待っているのは市民の袋叩きである。オリンピックでスケートで虐めた選手は氷の上で応援している韓国人に土下座をして許しを請うた。最初に謝っておけばまだ軽傷だったのに、突っぱねた結果、国民感情は爆発して土下座騒動まで発展した。
韓国人が謝らない、認めない風習があるのは、深層心理の中で「道徳的優位性=社会評価を失う」というものがあるからだ、と自分は考える。
日本人の感覚では、謝ること、それを受け入れることは一種の清算であり、過去の遺恨をなくしてお互いの利益のために決着させて先に行きましょう、という考えだ。いわゆるゴール、決着である。
しかし韓国人の感覚は、謝ったところがスタートでありゴールではない。一度認めたら、あとは次々に悪事が湧き出て、本人が「それだけは違う、やってない」と反論しても一度認めたら蛇口のように流れ出て止められなくなる。それは道徳的優位性を失い、あらゆる権力を失い、証拠ある正当性ある事実ですら市民感情と呪詛によって改ざんされてしまう恐ろしい病なのだ。
これは半島から生まれた文化であり、普通の歴史上は「それ相応の発展をして止まる」はずである。嘘を嘘で隠し、認めずに口論、暴力に発展する。ソントという声の大きさで裁判を争う文化があったように、認めずに外部の人の感情を思って裁定するやり方は、道徳的優位性という名の多数決から生まれたと考えれば自然である。
声の大きさと説得力で、市民に同情を誘って過半数の支持を得る=道徳的優位性を持っている人であり、選ばれし良民だと。声が足りず、支持が過半数に行かない者は、道徳的優位性なき、ペテン師である。
不思議とこれらの事象と文化、歴史の繰り返し、民度と思想が合致する。
地政学の視点ならば、これらは必ず起きる必然として進化する。ゆえにこの時代でも残っている。
たったひとつの例外を除けば。
日本という、間違って併合して急激に資本と技術を与えてしまった存在である。これさえなければ、文化における相応の成長をもって停止し、他国の勢力から侵略を受けて実力に応じた生活で幸せに暮らす事ができたはずだ。
ネロナムブルは道徳的優位性から来ている。本来、人類皆平等であるが、韓国人に有利ならばネロナムブルはOKというもの。日本人の感覚ではまずダブスタでありえないのだが、彼らは違う。
華夷思想の事大主義と組み合わせて、中国が道徳的優位性があり、次に北朝鮮、次に韓国、他は劣等種であるという考えだ。
国力(GDP,資産,軍事力)を比較して序列を作り、それで優位性を決めるルールがあればまだしも、彼らにとっては「立地」で序列を決めている。
ただ、中国の中心からどれだけ近いか、である。
時代に関係なく、国力や技術に関係なく、中国大陸にどれだけ近いかという尺度である。
ぶっちゃけ日本人にはまず理解できないだろう。
まだ、自国が最強!他は格下!という自国愛のほうがまだ理解できる。ドイツのナチスへの対応を考えればわかりやすいだろう。わが民族、わが国家こそ最強!、他は粛清!である。
都合よきネロナムブル解釈は、この華夷思想からくる。同条件だろうが劣勢だろうが、道徳的優位性があるなら必勝である。負けるわけがない。現在、中国は急成長で最強ではないか!?という結果を見た事大主義である。
で、いつものように中国大陸と共産党が崩壊したら、「あ、やっぱ中国は優位性ない奴だったわ」とポイして別の時代に乗り換えようとするだろう。今まで事大ですり寄ってきた数十年をクルっと
かえるのである。前のA氏B氏の対決で負けた側の支持者のようにである。
道徳的優位性を華夷思想に当てはめるなら、序列は日本よりも韓国が上になる。だから、絶対に慰安婦や徴用工でも負けるわけがないし、仮に韓国内で負けを支持するなら彼らは「国を売る悪」なのである。
実際に、国際法などの場で第三者機関が判決を出したとしても、彼らは認めない。我らが道徳的に正しくて、絶対的にファクトで正しいのに認めてくれない。という思考に至る。
なぜ負けたのか、なぜ正しくないのかを客観的に分析して次に生かすという考えがない。
道徳的優位性とネロナムブルという都合の良い解釈は、中国から来た支配しやすい朱子学文化から生まれ、客観的な事実と分析のチャンスを失う諸刃の剣である。
最後に、イカゲームにははじまり色々書き殴ってきたが、なろう転生まったく関係ないやん!と思うだろう。
実はこれらの韓国文化と結果というのは、実は希少でなろう小説とも相性が良い。
これらのネタを改良した、差別化したストーリーを次回考えてみる。




