23-6. 「イカゲーム」「パラサイト」、韓国の世界で人気になったドラマから考える、地政学的文化評価④ 道徳的優位性
23-6. 「イカゲーム」「パラサイト」、韓国の世界で人気になったドラマから考える、地政学的文化評価④ 道徳的優位性
ネロナムブルとは、自ロ他不「自分がやればロマンス、他人がやれば不倫」である。
道徳的優位性とは、ぶっちゃけ日本人には理解できないが「絶対的な正義からくる正しい行い」と訳そう。
格闘ゲームのKOFでは昔、参照や優先権という言葉があった。簡単にいうと、同時行動した時にどっちが勝つかを持つフラグである。1P側に優先権があると、お互い全く同じ時に大Kを押すと、1P側が先に当たるという仕組みだ。
自分はこの道徳的優位性という言葉を5年位前に初めて聞いた時、「優先権」に近いと思った。
ちなみに今の格闘ゲームでは優先権はなく、お互いでダメージを受けるか、相殺で仕切り直しになる。
だが実際の道徳的優位性は、このKOFの例を超えるのだ。出が早く判定が強い弱Pと相手の大Kが同時に出た時、道徳的優位性が高いほうが勝つというのだ。不思議だと思う。
韓国における道徳的優位性は、「お互いが同条件において、解決するための優先権」ではなく、「何だろうと絶対神が正しい行いなのだから相手は不正」という押し付けである。
会社の中で内部闘争が始まり、A氏と支持者、B氏と支持者で対立したとする。お互いに道徳的優勢を主張し、部外者含めて支持を求める。結果、声が大きく多く支持されたB氏が勝利した。
結果、道徳的優位性はB氏にあったとし、A氏と支持者は嘘つきの烙印を押されて会社を去る。
A氏の支持者はなんと「A氏に騙された、我々は被害者だ賠償しろ!」と反旗を翻す。
これが韓国内の日常である。要は、敗者が嘘つきであり、勝者が「道徳的優位性を持つもの」を示す。KOFの例えなら、お互い同時に大Kを出し、結果勝った方が「優位性=道徳的優位性」があったと評価される。もし相打ちや相殺なら、リトライしてあの手この手で繰り返して決着させるまで戦わせる。結果、お互いに行動を消耗して決着がつく。
前に書いた韓国内の内部闘争がコレだ。道徳的優位性は結果であり、道徳的優位性自体が絶対に裏切らないのである。時にはA氏、時にはB氏に優位性が舞い降りる。
当初はA氏B氏がお互いに優位性(絶対負けない権)を主張したが、結果的にA氏が嘘をついていたと判断する。なんだか、箱を開ける前のシュレディンガーの猫である。
お互いに道徳的優位性があり、決着した時=箱を置開けた時にその正義の真偽に決着がつく。
決着してしまえば、道徳的優位性そのものが嘘となることは金輪際ありえない。敗者=優位性なしと後付けすることで、この絶対的ルールが守られる。
はぁ? と日本人は思うかもしれない。道徳的優位性なんてねぇし、証拠があって正しいほうが勝つだろう?
いやそうではない、あの国では。例え、法的に証拠的に正しい人であったとしても、金や権力が潤沢なライバルがメディアを操って市民の感情を煽り続ければ、負けてしまうのだ。道徳的優位性はライバルが持っていたと市民は判断する。司法も、ライバル側が間違っていたとわかっていても採決してしまう。
徴用工裁判で文政権になった時に、違法として勝訴させた後、直近では時効として敗訴した経緯がある。文と市民の圧力で、勝訴を出せば昇級し栄誉市民になる、敗訴を出せば国賊として職を失う状況になった。道徳的優位性は、国際法を突き抜けることができる(法を破った後のことは考えてない)。
簡単に言えば、結果勝った方が道徳的優位性という女神像を持っていたことになる。
それは全戦全勝であり、絶対に負ける事がないのだ。
韓国内の内部闘争では、コレを繰り返して勝利の女神像=道徳的優位性を奪い合ってきた。A氏に内部闘争で勝ったB氏は、また別の派閥のC氏と争い負けた。すると、B氏は途中まで優位性があったが、C氏の時点で失った。正確には、優位性のないA氏には勝ったが、「最初から優位性を持っていなかったB氏」の烙印が押されて、C氏が昇級する。
トーナメントで優勝した1人だけが道徳的優位者であり、各支持者は騙された候補者を袋叩きにして「被害者」として、最終的に優勝者に鞍替えする。
気づいただろうか?PUBGのバトルロイヤル形式で売れるゲームを作ったのは韓国である。皆平等という日本の価値観では生まれなかったと思う。
証拠的な正しさより、観客で支持=声が一番多い人が優位性が高く最終的に勝つ。
韓国において、敗者が死ぬほど叩かれるのもコレが起因している。日本という敵国が全く関係ない勝負においても、この優位性で騙した嘘つきが敗者になるからだ。
日本人の感覚では、道徳的優位性を理解するのは難しい。同時に大Kをすれば相打ちか相殺するし、優先権というルールで戦っていれば優先権を持たずに同時攻撃して負けたことを恨むことはない。
韓国人の感覚では、道徳的優位性は日常に溢れている。口論、喧嘩、派閥争い、政治問題、オリンピックなどなど。優位性があったから勝ち、ないなら負けるというシンプルさであり、ルールや優先権など関係なく、勝利の結果と支持者の声の大きさと説得力が全てである。
次ではネロナムルブルに進めよう




