22-31. RTAで例えると進化論=初見プレイ、創造論=チート、意識寄生論=リセマラ攻略wiki参照 創造主はゲーム制作企業とプレイヤーであり、ゲーム内キャラではない
22-31. RTAで例えると進化論=初見プレイ、創造論=チート、意識寄生論=リセマラ攻略wiki参照 創造主はゲーム制作企業とプレイヤーであり、ゲーム内キャラではない
Youtube等でRTAの動画を見た事はあるだろうか?
有名なのはマリオなどのアクション系で、ゲームスタートからクリアまでの最短を人力で競う競技である。コンピュータによる極限の最適化をした最短記録はTASであり、こちらは人外の動きで驚かせてくれる。
前回は進化論と創造論についてちょっと考えた。C教の創造論者は2つの極論だけで語る。
進化論が証明できないなら、創造論しかない。聖書=神=絶対正義という思考である。
いやいや。1+1=2のような明確な2論しか存在しないわけがないだろう。
といいうことで、RTAを例にした3つの論を今回は考えてみる。
創造論は、端的に言えば創造主があらゆる生物のDNAを作り、ポン!と誕生させた論だ。
進化論は、1つの原子生物=アミノ酸化合物から生存競争を繰り返して生き残ったのが今の種、という論だ。
RPGゲームにおける進化とは、レベル1の勇者が仲間と出会い、敵を倒してレベルを上げ、魔王を倒すというプロセスである。
レベル1に始まり、経験値を得るたびにレベルが上がり強くなる。1→2→3と順序よく上がり、一定レベルになると魔法や技を取得して強くなる。さらに、スキルツリーというレベル上がりで貰えるポイントを割り振って好きな能力アップや技を獲得できる。
さて、これを創造論などに当てはめるとどうか。創造論は主人公が突然レベル30で現れて技とスキルツリーを多数持っている状態である。勇者なら火力、魔術師なら魔力が高いように設計されていて、創造主=ゲーム会社の意図に従って設計されている。
進化論は、wikiを見ない初見プレイである。唯物論の延長で、DNAの突然変異によって、環境に合った変異種が増えて定着すること、それが自然淘汰による進化説だ。
RPGの例えでは、初見のプレイヤーが高レベル帯に突っ込んでやられたり、選択肢を間違えてゲームオーバーを繰り返す。氷の山脈ではフレイムソードを買って弱点を突き、悪魔の平野では聖なる魔法をおぼえて突破する。敵のマップに合わせて試行錯誤し、選んで強化していく。
初見は総じて、パラメータ振りやスキルツリーは中途半端だったり、非効率だったりする。
レベルの上がり方は、試行錯誤の経験値から順番に上がっていく。
次に創造論、これはボタン押したらチートで攻撃99という説だ。レベルは1から始まるが、あるチート行為でカンストする。必要な会話フラグやアイテムフラグを無理借り書き換えて、突破する。忙しい人は初見でかつチートという面白さを失う遊び方もあるらしい。
生物学的な創造は、創造主がポン!と作ったとされる。ボタンポン!でフラグ書き換えと同じだ。
最後に意識寄生論。これは「チートは使わず攻略wikiで極める」になる。トロコンのために、時には直前セーブから最悪の選択と行動をして全滅、トロフィー獲得後にロードして進めるなどのテクを活用する。パラメータ振りやスキルツリーは、このマップのこのレベルならここを解放、といった効率的な進行選択が用意されていて、無駄がない。
プレイヤーは、攻略wikiを見てトロコンを目指し、RTAや縛りプレイを楽しむ。
レベル上げは無駄が少ないが、チートは使わずに順番にレベルが上がる。
生物的な進化を見ていると、あたかも「神が美や機能をデザインした」であろう奇跡をいろんな人が知っている。自分もそれは否定しない。孔雀の羽にしても、虫の構造にしても、オスメスの性の別れ方にしても。
説によっては、宇宙人やタイムスリップした高度文明が人類を改造したという考えもあるだろう。
これもボタンポチチートと同じく、既存の賢いサルLV10をヒトLV99に無理やり改造したものとなる。
火山や災害、隕石で急激に埋もれて化石になり絶滅する。その繰り返しでゲームの
a31. RTAで例えると進化論=初見プレイ、創造論=チート、意識寄生論=リセマラ攻略wiki参照 創造主はゲーム制作企業とプレイヤーであり、ゲーム内キャラではない
Youtube等でRTAの動画を見た事はあるだろうか?
有名なのはマリオなどのアクション系で、ゲームスタートからクリアまでの最短を人力で競う競技である。コンピュータによる極限の最適化をした最短記録はTASであり、こちらは人外の動きで驚かせてくれる。
前回は進化論と創造論についてちょっと考えた。C教の創造論者は2つの極論だけで語る。
進化論が証明できないなら、創造論しかない。聖書=神=絶対正義という思考である。
いやいや。1+1=2のような明確な2論しか存在しないわけがないだろう。
といいうことで、RTAを例にした3つの論を今回は考えてみる。
創造論は、端的に言えば創造主があらゆる生物のDNAを作り、ポン!と誕生させた論だ。
進化論は、1つの原子生物=アミノ酸化合物から生存競争を繰り返して生き残ったのが今の種、という論だ。
RPGゲームにおける進化とは、レベル1の勇者が仲間と出会い、敵を倒してレベルを上げ、魔王を倒すというプロセスである。
レベル1に始まり、経験値を得るたびにレベルが上がり強くなる。1→2→3と順序よく上がり、一定レベルになると魔法や技を取得して強くなる。さらに、スキルツリーというレベル上がりで貰えるポイントを割り振って好きな能力アップや技を獲得できる。
さて、これを創造論などに当てはめるとどうか。創造論は主人公が突然レベル30で現れて技とスキルツリーを多数持っている状態である。勇者なら火力、魔術師なら魔力が高いように設計されていて、創造主=ゲーム会社の意図に従って設計されている。
進化論は、wikiを見ない初見プレイである。唯物論の延長で、DNAの突然変異によって、環境に合った変異種が増えて定着すること、それが自然淘汰による進化説だ。
RPGの例えでは、初見のプレイヤーが高レベル帯に突っ込んでやられたり、選択肢を間違えてゲームオーバーを繰り返す。氷の山脈ではフレイムソードを買って弱点を突き、悪魔の平野では聖なる魔法をおぼえて突破する。敵のマップに合わせて試行錯誤し、選んで強化していく。
初見は総じて、パラメータ振りやスキルツリーは中途半端だったり、非効率だったりする。
レベルの上がり方は、試行錯誤の経験値から順番に上がっていく。
次に創造論、これはボタン押したらチートで攻撃99という説だ。レベルは1から始まるが、あるチート行為でカンストする。必要な会話フラグやアイテムフラグを無理借り書き換えて、突破する。忙しい人は初見でかつチートという面白さを失う遊び方もあるらしい。
生物学的な創造は、創造主がポン!と作ったとされる。ボタンポン!でフラグ書き換えと同じだ。
最後に意識寄生論。これは「チートは使わず攻略wikiで極める」になる。トロコンのために、時には直前セーブから最悪の選択と行動をして全滅、トロフィー獲得後にロードして進めるなどのテクを活用する。パラメータ振りやスキルツリーは、このマップのこのレベルならここを解放、といった効率的な進行選択が用意されていて、無駄がない。
プレイヤーは、攻略wikiを見てトロコンを目指し、RTAや縛りプレイを楽しむ。
レベル上げは無駄が少ないが、チートは使わずに順番にレベルが上がる。
生物的な進化を見ていると、あたかも「神が美や機能をデザインした」であろう奇跡をいろんな人が知っている。自分もそれは否定しない。孔雀の羽にしても、虫の構造にしても、オスメスの性の別れ方にしても。
説によっては、宇宙人やタイムスリップした高度文明が人類を改造したという考えもあるだろう。
これもボタンポチチートと同じく、既存の賢いサルLV10をヒトLV99に無理やり改造したものとなる。
なろう転生教では、これらチート(物質的な強制改変)は認めていない。セーブとロード、ゲームデザイン、プレイヤーによる癖は肯定する。
火山や災害、隕石で急激に埋もれて化石になり絶滅する。その繰り返しで生態系の上位層が絶滅し、絶滅を逃れた弱い種がトップとして繁殖する。その繰り返しが現代の生態系になっている。
ゲームで例えるなら、30ターン経過ごとにLV50以上が自動的にバニッシュ(消滅)する生物放置シミュレータとなる。
まとめ
①創造論=自然なレベル上げでは不可能なチート。C教が支持
②進化論=初見ゲーで時々上位層消滅。ダーヴィンが支持
③意識寄生論=wiki攻略効率プレイ。創造主(作者・プレイヤー)は存在するが、ゲーム内キャラは神ではない




