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22-29.  デカルトの実体二元論と意識寄生論を比較する

22-29.  デカルトの実体二元論と意識寄生論を比較する


 カントの前に、デカルトという哲学者がいた。「われ思う、ゆえに我あり」という名言がある。

 「人は考える葦である」はパスカルでデカルトと同時期の哲学者だ。


 https://youtu.be/3AGIe0kiIBY

 実体二元論・量子脳理論 【心の哲学#3】 哲学チャンネル


 デカルトは身体(物体)と心(精神)は別に別にある実体二元論を示した。

 脳の中央にある小さな松果体しょうかたいが心と体を繋ぐ役割と考えた。



 意識寄生論が考えていた構造と似ていることに気づく。

 生物には脳があり、ホモサピエンスは体重に対して脳の比率が大きい。

 成人の脳重量1300gとして、体重65キロであれば約2%となる。

 50トンあるクジラの脳は8kgと多いが、人間の体重に換算すると10gである。

 恐竜のティラノサウルスが脳容量500gなので、どれだけ人類の脳比率が多いか分かる。

 とても軽い鳥や虫にすると、脳容量比率が高くなるようだが、小さすぎるので配慮しない。



 意識体の視点で考えた時、どの生物を操れば希少な経験ができるか。


 それは、脳容量(より深い思考ができること)と器用さである。

 賢いと言われているイルカやカラスであっても、物を作ったりする手の器用さはない。

 モノを掴んで曲げて加工できる器用で頑丈な手、移動できる足、思考できる脳が必須なのだ。



 意識体がどのように人体を操っているかのメカニズムの証明には興味はない。(やるだけ無駄)

 

 意識体がヒトを操って「希少な経験」をして「霊的な進化」をしたいのだろう。

 それに協力するから、意識体が持つスキル(叡智)を使って共栄しようということだ。


 くうや意識体がそのスキル利用を拒むのならば、T2000を送り込んで止めたりするだろう。

 もし、使っても良い許可が下りたのならこのまま放置していつか学問に追加されるだろう。

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