表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

288/833

21-24.  才能×努力×教育環境×市場=評価(各0~5)

21-24.  才能×努力×教育環境×市場=評価(各0~5)


 https://youtu.be/IEFeXWpgiaw?t=1992

 岡田斗司夫ゼミ#161(2017.1)遺伝格差時代到来! 能力は生まれる前から決まっているのか? 受け継いだ特異な遺伝1%があれば99%の努力は必要ないのか? 対談・安藤寿康(行動遺伝学者)


 https://dot.asahi.com/aera/2019072400072.html?page=1

 数学は87%、IQは66%、収入は59%が遺伝の影響! 驚きの最新研究結果とは



 今回は遺伝の話。


 人は両親のDNAを50%ランダムで引き継ぐ。ごく稀にDNAのコピーミスと修復によって突然変異が起きて親とは違う特性を持つ。その特性が既存より成長から繁殖まで有利なら、変異種が徐々に増える。そして、通常種より異常種が多くなれば「進化」となる。


 資料では人の指紋は97%程度と言われ、その人が努力しても指紋は変えられない。

 身長や体重(太りやすさ)は80%前後と言われ、軍隊訓練で一律同じ訓練と食事を長期間実施したとしてもデブと痩せが生まれている点から、遺伝の影響が大きいことが分かる。

 そして、一卵性双生児(1つの杯が分裂した双子)は親の特性ガチャがほぼ同じで、二卵性双生児(最初から別の杯の双子)は独立して両親の遺伝を受ける別個体となる。


 例えるなら、一卵性はガチャ引いたキャラが2枚引く(即覚醒)、二卵性はガチャを2回別々で引くのと同じだ。一卵性か二卵性かは、引いたキャラとレアの割合を調べればわかるのだ。





 ★島田「才能と努力の掛け算」


 岡田動画の中で、島田伸介という芸人が「0から6の数値で、才能と努力の掛け算だ」と言っていた。自分はこの動画と内容を初めて聞いて、感心したとともに疑問がわいた。


 才能が0なら、いくら努力しても0。いくら才能があっても、努力しなければ0。なるほど確かに。


 才能が1の人が4の努力をすれば、才能3の努力1の人には勝てる。だが、才能5で努力5の人には絶対に勝てないから、その場合はそいつらと戦うなというのだ。

 そして、自分の才能がないジャンルを努力するのではなく、得意分野に努力と時間を振れといっていた。やたらめったら精神論で努力の数を増やすのではなく、見極めて才能のあるところに効率よく努力する、という冷静な判断をしている。


 


 ★古代ギリシアの「才能×教育×訓練」


 古代ギリシャの哲学者は「生まれながらの才能×国からの教育×自分からの訓練」の掛け算で評価した。島田伸介の才能と努力=訓練に加えて、教育という外部100%の環境要素を追加している。古代の人が先に考えたため、島田は知らずに思いついたのかもしれないが、結果削っている。

 前の島田の要素に加えて「教育が才能や訓練をしのぐことはない」と言っている。

 いくら金をかけた英才教育をしても、本人の才能が0だったり、努力=訓練しないなら無駄だということである。突然変異で、アフリカ奥地で天才的物理学者が生まれたとしても、農耕や狩りで一生を終えるだろう(教育=0)。


 


 ★才能×努力×教育環境×市場=評価(各0~5)


 ここから、自分の考えを追加する。それは市場という要素である。端的に言うと、時代と地域だ。

 いくら漫才の才能があって努力したとしても、資本主義における買い手(客)が漫才の面白さを知らず、謎の嫌悪感があれば売れることはない。

 麻薬の知識や販売実績があったとしても、その国が麻薬禁止にしたら評価されなくなるだろう(海外に行くしかない)。サッカーが大嫌いな民族の国では、ボールを蹴れても市場がないのだ。


 アヘン戦争の元となったイギリスの茶の輸入は、清(中国)の普通だった茶の市場から、茶に熱狂したイギリスの市場の差である。茶の質や価格の努力よりも、イギリスの市場(茶の需要)が大きすぎたため戦争が起きてしまった。茶の輸入による銀の流出を相殺するためのアヘン密輸である。


 なろう転生が日本市場で飽和して価値が減ったのなら、海外に市場を開拓すればよい。才能ある漫画家や小説家が努力して、国がクールジャパンとして補助金支援すれば、海外でオタクに売れるのだ。


 動画の中で、日本は小中高で先生がコロコロ変わるような仕組みだから、良い先生と悪い先生が混ざるようになる。均一された教育で、30の子を95位に安定して伸ばせる。93に悪くなるのか、97に良くなるのかは教員の良し悪しにつながるそうだ。

 もし小中高でまったく同じ先生で統一していたら、極端に悪くなる生徒、極端に良くなる生徒が生まれるはずだ。そうならないための、ローテーションと転勤に仕組みなのは納得してしまった。



 面白いことに、才能の評価は2つの内面要素(本人)と2つの外部要素(環境)でバランスがとれているように見える。本人の漫才の才能と努力が5でも、アフリカ奥地で貧困層、さらに漫才の文化が一切ない部族であれば0である。逆に、才能と努力が最小限であったとしても、貴族の長男として生まれて英才教育を受け続け、市場が音楽狂乱時期かつ、貴族天才ピアニストの息子という看板があれば、下手すぎても民衆は独創的だ!と評価してしまう。


 才能×努力×教育環境×市場


 島田の言葉に追加するなら、自分の才能を見極めて努力を効率よく振ること。そして、独学から効率よく吸収できる吉本興業(環境)を選び、激戦区大阪から漫才に希少価値がある地域に引っ越す事だと。ニッチで稼ぐ芸人がいるように、市場は大きいが激戦区ではなく、小さくてもライバルが少ない旨味地域を選ぶことである。


 



 









評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ