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21-6.  方便(たとえ)こそ、意識体を理解した者が見つけた伝え方の答えである

21-6.  方便たとえこそ、意識体を理解した者が見つけた伝え方の答えである


 仏教では、教えを経典として残している。宗派によってさまざまだが、伝来して発展した法華経や観音経などでは方便たとえを使っている。


 西欧でもギリシア文学やローマの学術で、神々の歴史として言い伝えが残っているのはあるが、観音経のたとえ話は少し違う。


 くうという5感に現れない空間を、たとえ話で表現しているのだ。



 自分が最初にこれを知ったのは、桑田二郎氏が書き残した観音経と般若心経の本を偶然読んだときである。最初は、文字の知らない農民にも伝わるようにかみ砕いて分かりやすくするためにたとえ話として変換したと考えた。


 だが、自分の直感では恐ろしい事であると気づいた。




 「私はその時点で真理を知っていた。証拠をたとえ話に埋め込んだから、高度な技術を持つ時代になったら開けてくれ」



 そんなメッセージだと思った。ワンピースのロジャーが残したお宝のような感じだ。


 科学技術が足りない8世紀には、霊界の存在を証明する機械がない。だから、21世紀までタイムカプセルとして埋めたのだ。

 方便を正しく理解して検証できる今だからこそ、このくうの概念を開くときになったと言える。


 悲しい事だが、霊界の存在の証明とビジネス活用には早くても40年はかかる。つまりこれを知る我々の大半は死ぬ。ステータスオープンを赤子の共通義務として運用されるのは見届けられない。


 だが、そのスタートラインを早めることができる。その手法も「方便」を利用するのだ。





 なろう小説では、転生や憑依、テレパシー、ステータスオープンなど様々なネタ要素を妄想して創作している。これ自体が方便(たとえ話)であり、答えを埋め込んで後の人類が確認できるタイムカプセルになる。


 わかってしまった人は、どこかにたとえ話を残しておくことができる。開いて答え合わせができるのは半世紀後である。だが、それはその頃になった時の「すでに知っていたこと」を証明できる。




 だから、我々は直感を信じて、例えば話(なろうしょうせつ)を残して広めていこうではないか







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