20-29. 直感は誰でも突然降ってくる。想像すると無性にワクワクする妄想ことが真理であるリトマス試験紙だ
20-29. 直感は誰でも突然降ってくる。想像すると無性にワクワクする妄想ことが真理であるリトマス試験紙だ
人には突然襲って来る直感というものがあり、それが仕事でも生活でも役に立ったりする。
そして、人には自我と個性があり、変態性のある趣味嗜好が他人にドン引きされることがある。
好きなことを妄想すると、無性にワクワクしてまくらを抱えてごろごろしたくなるだろう。
人は、魂に操られた器であり、自我で行動していると勘違いしている一般意識体なのである。
だが、意識体は操っている人間には直接物理的な干渉をすることはできない。とあるイベントが起きる店を横切る時に、首をグイっと左に回して注目させることができないのだ。
だが、人間の「興味・思考」に僅かに干渉できるならどうだろうか?
ミュート非表示saiの立場なら、ヒカルにどう囲碁に近寄らせて遊んでくれるか試行錯誤したはずである。自分の記憶では、確か倉庫を漁っていた時に血がついている囲碁盤を見つけて触れてスタートした。
この場合、ヒカルに倉庫に行きたいと思わせる動機を持たせてあげることがsaiの意識体の精いっぱいの努力だったと言える。
これはインターステラの終盤、腕時計の針を僅かな重力で操ってとある人に伝えるのに似ている。
自分は30歳の頃、いつも通りの移動中の妄想をしていた時に、過去にない妙な感情を覚えた記憶があった。そして、不思議と涙が流れたのだ。30年生きてきて、こんなことはなかった。だが、自分の体が否応にも反応しているのを感じて、一種の怖さと好奇心が湧いた。
その直感と感動で、起業のために退社して色々な人と会って話し合った。結果は失敗に終わったが、その経験が今キーボードをたたいている自分に育て上げた。
これらは100%自分の意思と判断ではなく、別の意識体のサポートによってここまで来たと確信している。言い方を悪く言えば、寄生である。
このあたりの考察とたとえ話は次章でやってみたいと思う。
日本語では「直感がおりてくる」という表現をしている。直感が湧いてくるとか、自分自身が気づくというよりも、外から降ってくる、どこからか湧いてくるといった表現を太古の日本民族は使っていた。
自分の力で生み出したというより、外的要因によるもの、と考えられてきたのだ。
実際の霊界の証明をした後に、昔の人たちの言葉や文化が、そのまま「正解」だったことを知り
、驚きと尊敬の意を持つことになるだろう。自分は、観音経、般若心経の現代語訳を読んで直感した。
人間自身からすれば、直感は別の何かによって預けられた意識「預言」に近いのだ。
それを受けいれて、人間が行動する。このプロセスをもって、意識体はミッションをこなす。
それを自覚したうえで、直感と感動を「人間が活用する」時代がまず第一歩だと思う。
使いこなしたうえで、英才教育の環境を整えて、次の霊界へのアクセスを試みる。
そうでないと、人は認められていない才能の財宝を探そうとはしないのだ。
まずは、今ビジネス化している「引き寄せの法則」「瞑想」といったインテリ層から徐々にシフトすればよい。
直感と感動を制する者が、世界を制す。
ワクワクを感じたら、それが正解とし信じて行動しよう。君のsaiは喜ぶはずだ。




