20-25. 人間に寄生して殺すウイルス「他人に希望を託して死ぬ病」
20-25. 人間に寄生して殺すウイルス「他人に希望を託して死ぬ病」
本来の生物は、食べて排泄し、交配して子育てして死ぬ。その繰り返しである。
親ライオンが子を育て、狩り方や生き方を教えるのは愛情であり本能である。
しかし、産んだ子よりも同種の別の個体を愛し託す動物が存在する。
それが人間である。
本来の人間の種の本能にはなかった。だが、魂が入ったことで、多様性のために仕組まれたウイルスが動き出すことになる。
例えば同族企業。社長の息子が継ぎ、その息子が会社を継ぐという場合がある。これは、社長が能力のある部下から実績能力で選んだのではなく、後継ぎだからと能力度外視で選ぶ場合が多い。
同族企業は、他の会社と違ってバカ息子が方針を間違って破産したりするケースがある。
会社を経営する=新しい価値を生み出し広める点を考えると、社長の一家を養うための後継よりも、能力実績から選ぶほうが合理的である。
愛情や家族経営を優先した選抜は、不適合であり非効率な場合が多い。
これは、動物的な「産んだ子を教えて託す」非効率さと似ているのではないだろうか。
もちろん、息子が他の専務部長クラスの実力があって選ばれたらOKである。逆に、選ばれる能力があるのに息子だからと贔屓して後継を外すレアケースもあるが、稀であろう。
生物の本能的に、血族や家族兄弟を優先して教えて継ぐという仕組みは太古の人間にも残っているはずだ。
だが、創造主は発展の効率化のために「他人に希望を託して死ぬウイルス」を組み込んだ。これは、人体のDNAとは別である。
意識や自我といった、見えない超次元の思考において生まれた行動原理である。
創造性から生まれた新しいアイデアを、子や両親ではなく「赤の他人」に教えて託す。日本人にはわかるだろうか?
とあるテレビで潰れそうな納豆屋があって、赤の他人の同業者に頼み込んだらノウハウを教えてくれて、失敗時に彼をかばったりした。納豆屋は成功して、恩返しがしたいと恩師に申し出たが断った。「次に困って飛び込んできた人を助けてやってくれ」そう聞いた納豆屋は泣いて承諾した。
赤の他人の恩師を報いるべく、納豆屋は引退するまで若手にノウハウを教えて同じように「恩返しは次の若者へ」と伝えているそうな。
自分はそれを見て感動した。託す事への美しさ。伝える側は利益なんてない、労力の無駄である。だが、打算なき善意で対応した。それは輪廻転生のように、若者にスピリットが伝わっていく。
おそらく、この感動と託しが実を結ぶと、「死となって感動を残すほうを選ぶ」人になるのではないか?
魚豊氏の「チ。」の漫画のような、赤の他人に死んでも笑顔で託せる感じである。それに感化された「託された人」は、その理解できなかった笑顔と感動に気づき、同じように託していく。
自分はこれを思い出すと、胸が熱くなる。何とも思わない人や、なにこいつ気持ち悪いと思う人もいるだろう。
「笑顔で他人に希望を託すウイルス」に感染してしまった自分は、感動を託すためにエッセイを書き残し、この情熱を識者に伝えるのだ。
寄生されたアリが、操られて巣から出るように…




