20-19. 日本「転生はありまぁす!」 米「ねぇよ。異端として処すぞ」 ロ「自殺者増えたから禁書な」 中「神は共産党な。はい焚書坑儒」 チベット「もうやってる」
20-19. 日本「転生はありまぁす!」 米「ねぇよ。異端として処すぞ」 ロ「自殺者増えたから禁書な」 中「神は共産党な。はい焚書坑儒」 チベット「もうやってる」
チベットのダライ・ラマの転生は、うっすら曖昧で知っていた。ペアで組んでいて、亡くなった後に同じアザの赤子を探して、遺品の杖を当てるゲームを繰り返して本物か特定する。これくらいであったが、今日もう少し詳しく知ったら、驚いた。
https://www.tibethouse.jp/dalai_lama/reincarnation/
14世ダライ・ラマ法王発見の経緯と輪廻転生制度
https://www.tibethouse.jp/about/information/panchen_lama/pl.html
パンチェン・ラマについて
是非読んでみてほしい。自分になりにまとめると、こうだ。
1642年にダライ・ラマ法王5世はチベット政府を樹立した。
チベット仏教では輪廻転生の概念があり、世襲制や選挙ではなく先代の没後に次の生まれ変わり(化身)を探す「輪廻転生制度」がある。
没後、赤子に転生して執政するまで期間があるため、ダライ・ラマとパンチェン・ラマの二大化身がお互いに執政して探し当てる。
ダライ・ラマの選定に関しては、先代の遺言、遺体の状況、神降ろしによる託宣、聖なる湖の観察、さらに転生者の候補が先代の遺品を認識できるかどうかなどである。
死後、49日以内に転生するか、2~3年以内に転生する。
1933年、13世は他界しレティン・リンポチェがダライ・ラマ捜索の総責任者と摂政を務める。
聖なるラモイ・ラツォ湖の水辺で祈りと瞑想を行いながら何日間も過ごし、ア(Ah)・カ(Ka)・マ(Ma)というチベット語の三文字と青緑色の瓦と金色の屋根の三階建ての寺院の風景を見た。それを極秘として書き記した。
現地に行き、3人の候補をパンチェン・ラマから聞き3歳のラモ・トゥンドゥプ少年と出会う。
故ダライ・ラマの数珠と杖を偽物と並べて選ばせたら間違えず、
中国人省長馬歩青は出発に関して中国銀貨十万枚の身代金を要求、さらに中国銀貨三十万枚を要求してきた。一行は人質を残し、首都で残金を払う約束をした。
ラモ少年と一行はチベットの首都ラサに到着し、1940年1月14日にポタラ宮殿で即位式が執り行われた。
★二人のパンチェン・ラマ問題
1989年1月28日のパンチェン・ラマ10世の他界後、1994年12月3日に転生霊童の認定を行ってよい時期かどうかが占われ、答えは可と出た。
占いと探索からゲドゥン・チューキ・ニマ少年がパンチェン・ラマの生まれ変わりとして非常に適格であることが判明した。
何度も占いで確認し、1995年5月14日にダライ・ラマ14世法王は当時6歳のゲドゥン・チューキ・ニマ少年を、パンチェン・ラマ10世の転生霊童として正式に発表した。
だが中国はダライ・ラマ法王の発表とパンチェン・ラマ11世の認定を拒否した。
3日後に中国政府がゲドゥン少年と家族を政治犯として逮捕し、33歳の現代まで中国が監禁している。
さらに中国政府は、タシルンポ僧院の僧院長チャデル・リンポチェが捜索委員会の委員長を解任し、懲役6年の判決をして現在に至るまで自宅軟禁した。
中国政府は中国共産党員の息子であるギャルツェン・ノルブをパンチェン・ラマ11世として認め、写真を公開した。
※歴代のラマ氏は写真公開を禁止させ、ギャルツェン・ノルブだけ写真公開した
2019年11月に中国政府は、ゲドゥン少年が中国で教育を受けて大学を出て仕事をし彼の「外部から妨害されることなく静かな生活を送りたい」という意思を発表した。
書いていて驚いた。中国政府が1940年に転生者の身代金として大金を要求したのにはじまり、1995年に正式な転生者として認めたゲドゥン少年と家族を監禁して、共産党配下のギャルツェン少年を次期パンチェン・ラマとして持ち上げた。
歴代のラマをチベット自治区では写真を禁止し、ギャルツェン少年は写真公開するというところが生々しい。
途中のチャデル僧院長は、転生者探し委員会のトップなのだが途中で捕まえて監禁。その後は「幸せだから邪魔しないで」と中国政府が返すだけでガン無視している。
転生の仕組みと、中国共産党のジェノサイドについて次回書こう。




