19-8. はーい。俺、欲望なくしました。人だけ助のために使いまーす。心の善でーす。だから見してくださーい
19-8. はーい。俺、欲望なくしました。人だけ助のために使いまーす。心の善でーす。だから見してくださーい
自分の直感では、魂の善フィルターがあって、霊能力を使うには「魂の善の意識」が必要だ。
金持ちになりたい!稼ぎたい!という低俗な欲望が絡むと、霊界へのアクセスが鈍ってしまう。
例えるなら、純真な興味の望遠鏡で見るとクリアに遠くの島が見えるが、
金持ち欲望の望遠鏡で見ると拡大率の悪いぼやけた島が見える。
昔のお坊さんが目指したのは、よりクリアに見えるようにするための意識修行である。一部の人は考え方を間違って、苦痛にどれだけ耐えられるか自慢になってしまったが、インドのブッダは中道(ほどほどに生きる)に気づいて苦痛の道から離れるようになった。
今、霊感の強い人、アカシックレコードに近い人は、自分の強欲ではなく、人の善、魂の善のために活動していると言ってよい。だから綺麗に未来や過去が見えるし、人が良いのだ。
逆に考えてほしい。金にまみれて、札束風呂なんてやってる顔の悪そうな悪人が、果たして霊感が強いだろうか?
心がクリアな人ほど、霊感に強くて見えやすいのだ。ただし、怨霊とかに憑かれて見えちゃう系の人は、本人の意思や能力ではなく、外的な例の被害なのでそれは除外する。
前のエッセイにある、人の善ではなく、魂の善としてアカシックレコードにアクセスする。そこには、過去や現在のあらゆる情報が確定して見えるし、未来は分岐しているがおおよそ見える。
指定した時間軸に切った世界の、あらゆる人の感情や意思もくみ取れる。アカシックを制する者は世界を制すと言ってよい。だが、それを悪意・欲望ある人が使えないように、ごくごくごく一部の霊的善人にだけアンロックを外している。人は全員、霊感を持っているが、99.999%はそれを使わないように、鍵がかかっている。鍵を外そうとしても、その肉体が欲望が強すぎて結局外れても見えないのだ。じゃあ欲望を意図的に外せば?と思うかもしれない。
それができるのが、数年の修行によって得る無の境地である。これが答えの一つにある。元々、霊的ステータスの高い人(高貴な魂に選ばれた人)は、瞑想や夢で割と簡単にアクセスできてしまう。
その人たちが、一般の人に「こうやれば見えますよー」と伝えても、実現できないのはこのためである。
わかったわかった。じゃあ俺もジャンプみたいに座って精神修行すればアカシックが見えてオレツエー!できるんだろ、じゃあやらせろ!!
そういった人が、まともに見えることがないのは分かるだろう。能力の使い方が、人に勝つための道具であり、欲望そのものだからだ。魂の善からみても、何の得にもならない。
「はーい。俺、欲望なくしました。人だけ助のために使いまーす。心の善でーす。だから見してくださーい」 ペコリ
こんな言葉だけ発しても、見えるわけがないだろう。猿に反省ポーズをさせる芸をさせても、猿自身が本気で反省しているわけではない、その行動をとると餌がもらえるからだ。餌のために、反省ポーズをとっているだけ。
同じように、霊界=猿芸人からみた人=猿の言葉だけ、形だけの善では一切霊界には届かない。
それを突破するためには、低俗な欲望を捨てるよりも「強い興味と感心」を持つことが簡単だ。
人は、全部が全部私利私欲だけで行動するわけではない。誰にでも一回はあるだろう。
「これをやると丸損かもしれないが、何だか興味が強くてやらざるを得ない!!」
私利私欲 <<< 何かへの興味
この形になれば、多少魂の善に寄るかもしれない。何故なら、何となくの興味は魂のカルマ=宿命に近い物として直感に渡しているからである。
もう一つのやり方が、修行や訓練で私利私欲を捨て去ること。口だけではダメである。ただ金になるから稼げるから占い師をやるのと、苦労して悩む人を純粋に助けたい。自分のような堕落した状態になってほしくないという気持ちがあるかどうかである。お金は別に高くても低くても良い。対価として受け取って、そのお金を使って還元すればよいのだ。
まとめ
・金持ちになりたいという低俗な欲望では、アカシックレコードを見る望遠鏡が曇る
・見てみたいなら、私利私欲を捨てるか、純粋な興味に繋げる




