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19-8. 新語: 人悪(ひとあく)、人善(ひとぜん)、魂悪(たまあく)、魂善(またぜん)

19-8. 新語: 人悪ひとあく人善ひとぜん魂悪たまあく魂善またぜん


 人の悪、人の善は昔から言われている。法律、マナー、道徳的観点からやってはいけない事は悪であり、人を敬い助け合う心は善として評価される。



 では霊界における魂の善と悪はなんだろうか? 自分の直感はこうだ



 「霊的な進化のために行動したか否か」である。


 霊的な進化って何よ?という話だが、具体的な何かは言えない。というか分からない。

 一つの霊が時代を超越した人=赤子に憑依し、目的のために操って、進化を得る。

 人の視点で例えるなら、人生の宿題であろう。人を一人愛せよとか、2000万貯蓄せよとか。

 それらが1直線にリスト化されて、一つの宿題=宿命=カルマをクリアするたびに次のカルマが現れる。

 全部クリアしたら、達成した魂の進化を抱えてどこかの星に帰るのだ。



 「ちぃーっす神様。俺、地球で32回転生して、こんだけの霊的進化してきた。あー楽しかった」


 「おかえりー。おお、こっちは良い経験だね。あ!こっちのも趣がある。すばらしぃ!」



 個々の魂に決められたノルマ=宿命は、最初は簡単だが後ほど難しくなる。だから、最初の転生ほど憑依された人はクリアしやすい。最後であるほど、困難であり、苦痛・苦難を伴う。


 思うに。貴族生まれで苦労なく生きて死んだ者は、最初らへんの転生かもしれない。壮絶な苦痛で、息絶えた人は、その壮絶さを経験して死ぬことが一つのカルマだったのかもしれない。


 人にとって死は終わりであるが、神のトロコンである魂の経験の視点では、生と死は一つのイベントにすぎない。死んでしまったではなく、どう死ぬか、どう経験しどう思って死ぬかである。


 人の善、人の悪は道徳の本でも読んで欲しい。


 魂の善は、課された魂のノルマに向かって邁進すること。

 魂の善はそれに逆行する事であり、霊的な進化を阻害する放置や怠慢、やりすぎである。


 人の善悪は、魂の善悪に直結しない。

 例えば、次の魂のカルマ=宿命が「貧困で苦しみ、人を憎み恨み怒りのまま空腹で死ぬ」であれば、その魂の入った人が善行して結婚して幸せに暮らして大往生したら、それは魂の悪である。


 人の視点であれば、これほど良い行いで暮らした青年はいない。でも、悪の極致を経験しなければ先に進めない魂にとっては、霊的進化を遅らせる「魂の悪」である。



 ぜんとあく。この言葉だけ聞くと、人は人間視点の善悪であると自動的に脳が解釈してしまうので、区別するために魂の善と魂の悪と表記した。





 なろう小説や漫画で、カッコよく表現するために造語っぽくして終わろう。



 ①人善(ひとぜん)  hitozen

 ②人悪(ひとあく)  hitoaku

 ③魂善(たまぜん)  tamazen

 ④魂善(たまあく)  tamaaku


 使用例)  「ステータスオープン! えっと、君は3回目の転生だね。魂善のために協力しよう」































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