19-8. 人類が観測できない霊界の存在を示す鍵、それはカントの呪いを解くことと、奇跡の暴力である
19-8. 人類が観測できない霊界の存在を示す鍵、それはカントの呪いを解くことと、奇跡の暴力である
霊界の意識体は、光速を超越したチートである。
ゲームで例えよう。LOLのような対戦ゲーをオフラインで友人とやっているときに、
「あ、ちょっとトイレ」
といって一人がスタートボタンを押し、ゲーム時間を止めて席を外す。
その間にもう一人がこっそり、敵(トイレの人)のキャラの見えないところで体力をちょっと削ったり配置を変えているのである。
戻ってきた彼は、その裏のこっそり弱体化に気づかず、スタートボタンをもう一度押して再開する。
「あれ?なんか俺の駒おかしく……ねぇ?」
「いやぁ、何も触ってないけど?」
トイレに行った彼は、優勢だったにもかかわらず負けてしまったとさ、めでたしめでたし。
さてこの場合、時間停止するまではお互いの駒は攻撃の弾丸や魔法を飛ばしている。
時間停止した場合はキャラクター上の動きは停止し、魔法も宙に浮いている状態だ。
この間、ゲームの世界のキャラクター視点では止まった感覚はない。
神の視点であるゲームプレイしている二人は意図して時間を止め、トイレに行き、もう一人はズルで配置を変えた。
この時点でトイレの人はトイレのことだけ考えているし、残った人はどうやってズルしようか考えている。意識が進んでいるのだ。
戻ってきて再開したら、ゲーム内のキャラの一部は一瞬で不思議なことが起きている。
一部のキャラは突然現れて、元気だったキャラは突然瀕死状態になっている。
ゲームキャラからすれば、歴史あって意志あって城を攻め落とそうとしているのに、何かの奇跡が起きて負け戦が勝ちにひっくり返った。
「おお!大将の采配が奇跡を起こしたぞぉぉお!!!」
そう。神の存在は一切考えていない(ようにゲーム設計された)彼らは、自分たちの手柄や産んだと思っている。
「えっと。目の前に急に敵が現れたんですけど…」
「はぁ?見間違いだろ、勝てたんだし、今日はお祭りだ!!」
と超常現象が起きて、素直に報告しても誰も取り合ってはくれない。
ゲームの中の世界の限界は、飛び道具の最速速度であり、声の伝達速度とか光の速度なんてルールはない。ただ地面やキャラや柱が照らされて、明るく見えるだけだ。
中のキャラクターはいかに早く弓や弾丸を放ち、高威力で敵を倒すか鍛錬している。
そんな感じである。
カントの呪いは、見えない事を学問=哲学から外すという考えで、これにより霊界とかの話はオカルトや一部のエンターテイメントとしての占いとして稼ぎネタになっている。
奇跡の暴力とは、超常現象を一体化して事象を大量に分析し、統計上ありえない結果=奇跡を並べ続けることで存在と有用性を認めさせる手法である。