19-6. お隣K国の常に自分の選択が正しいという考えが、魂の自己中と似ている!?
19-6. お隣K国の常に自分の選択が正しいという考えが、魂の自己中と似ている!?
お隣K国は奇跡の国だと思っている。これは煽りでも何でもなく、常にどこかに支配され、滅びず偶然魔改造されたモンスター被害者である。
中国に属国として長年支配され、美女や兵力を貢がせ、犯罪者等を受け入れてきた。1割の両班が9割の平民奴隷を支配する、同族が支配する稀な国であった。秀吉が朝鮮出兵で揉め、モンゴルに支配され、高麗・李氏朝鮮として独立しても中国の「朱子学」を魔改造して、両班の好きなように同族奴隷を支配し続けた。新しい技術や文化を「華夷思想」から受け入れることができず、ストイックに良い技術を取り入れた日本と差ができた。産業革命からイギリスフランスオランダの植民地ブームが始まった時には、魔改造朱子学と華夷思想と両班同族支配が続いたことで国が疲弊して軍事力で国を守るすべがなかった。
閔妃・高宗の時代(1866~)は財政難のため、中国やロシアに国内の鉱山の採掘権をバンバン売りに出した。ロシアに国を売り出す流れも出た事で、日本は焦って暗殺してしまう。これがなければ、そのままロシア侵略によって併合され、「幸せな日常」を手に入れていたかもしれない。
その後、伊藤博文暗殺から日韓併合、第二次世界大戦敗北から南北独立になる。
一番の間違いは、日本が併合してしまったことと、その資金や技術を丸々かれらに渡してしまったことだ。本来、生き残るために嘘・偽証の文化として進化した彼らは資本主義・競争社会における分相応の生活レベルで収まるべきだった。今でいうと、東南アジアの奥地位の丁度良い生活文明であるべきであり、内部の文化が良くなってから政府や国民レベルが徐々に上がるようにすべきだった。
賠償金という名の大量の資金から急激な経済発展を遂げた韓国、しかし文化レベルは魔改造朱子学と華夷思想そのものが続いていた。さらに、国を束ねる為、独立の理由を付けるために反日を選択した。国民を嘘で支配する構造を高麗から変わらず続けてきたのだ。
そこから先は、今生きる若者が知っている通りである。魔改造朱子学によって、常に自分は正しい選択をしているという考えが全ての国民にある。お互いの正しいが衝突したら、声の大きさ、お互いの地位比較によって決着する。内容の成否ではなく、ステータスの違いである。敗者は「なぜ正しい私が正しい選択をしたのに認めないのか!世の中がおかしい!」と火病を起こす。負けた側も、日本の感覚の真偽を考えたりはしない。
1+1=3の人と1+1+4の人で対立すれば、政治家の3側が勝ち、農民の4が負けるのだ。偉い政府が1+1=1と言えば、政治家の3も「嘘つき政治家」としてメディアに叩かれて失墜する。
日本が1+1=2だよ、と言っても敵国だと煽られ、韓国内で良識ある知識人が2だよね、と言えば売国扱いされ職を失う。
そういった悲しい国と民族性であるが、彼らに罪はないと思う。すでに今の韓国の少年たちは反日で洗脳された親から育てられていて、併合時代を見てきた高齢者は声を出すこともできないし、彼らの息子たちにそれを伝えようとしても袋叩きになってしまう。だから、ここ20年で好き勝手都合の良いシナリオで反日する事ができる。そして両親も子供たちも染まっていてその洗脳の嘘に気づくことはできない。もし日本人が、韓国の今の教育環境で育ったら、同じように反日に染まっているだろう。この仕組みと親の洗脳から、脱却するのはほぼ不可能だ。
ゆえに、彼らを憎んではいけない。この事実を知ったうえで、外国人としての敬意を持ちつつ、彼らのために事務的な差別のない対応を続けるべきである、と思っている。下手に同情したり、加担すると何をしても反感を買ってしまうからだ。内部浄化がそろそろ始まるので、それを冷静に見守ればよい。youtuberでもそういった洗脳の間違いを広めてくれる人が徐々にでも増えているからだ。こちらからすれば、「洗脳を解いて同じ土俵に立とうとしているヤバい奴」なので止めるべきではあるが…。
さて、ここまでの背景を踏まえたうえで、韓国の「常に自分が正しい行動をしている」と信じることについて考える。
霊界において人間は車であり、魂が運転手である。車は乗り手の存在を識別せず、車社会でお互い自分の意思で動いていると考えている。魂=運転手はそのことを車には伝えない。ごくごく一部の車は、乗り手を意識して、魂に合わせた動きをすることで、乗り手の目的である魂の進化を手伝っている。そこまでできる車は、乗りてからくる運転の挙動や癖を直感や瞑想や夢を経由して受け取る。
それを信じて行動する事で、運転手側も快適に運転出来て、宿命=カルマの達成がしやすくなるのだ。この一連の成長は、魂の直感に従う=自分が思ったことが正しいという解釈もできる。
決定的に違うところは、魂=運転手主体で正しいと信じるか、車=操られる器主体で正しいと信じるかの違いである。
現実と霊界では、善と悪の解釈が違う。人間界の欲望の通り動くことは、車社会で見た幸福を求める行動であり、運転手=魂側には善悪関係ないのだ。逆に、右にハンドルを切っているのに、車の欲望によって左にそれてしまっては事故ってしまう。
K国の常に自分が正しいという根本は、自己の利益であり、メディアや政府が操作している。一方、魂の直感は現実世界のあらゆる事象とは関係ない。
魂の自己中は、器の自己中とは真逆なのだ。
まとめ
・魂は自己中である。器はその目標を汲んで現実で行動すると良い
・K国の常に自分が正しい選択をしている、は肉体の利益の欲望であり魂の自己中ではない
 




