18-42. なろう祇魂学をひろめよう! 聖書は「なろう小説」と法典である
18-42. なろう祇魂学をひろめよう! 聖書は「なろう小説」と法典である
宗教における、聖書は神のお告げ=預言を残した書である。偉い人が書いた、プロパガンダではない。
同じように、なろう天性教、祇霊学では聖書が必要である。しかし、予言を残すしてもまだまだ浅い。
なので、一時的に聖書となりうる情報を決めておく。
それが、なろう小説と法典である。
なろう小説は、悪そういうなら「筆者の知識のひけらかし」である。軍オタなら、戦国時代に戻って武器を提案して無双するし、農業学校を出た人なら農作物で無双する。風俗経験あるなら、中世でエロネタしながら稼ぐのだ。読者は中世の偉い人が「そ、そんな知識がどこから!?」というセリフを聞くために読むのである。
現代なろう天性において、この転生と無双のサイクルは読者のために味付けはされているが、実際の死生観=転生の仕組みを多少含んでいる。リアル仕組みに近いほど、読者の魂はなつかしさと共感を覚える。ブクマ数=共感数であり、上位のなろう小説の傾向を分析すれば、現代の死生観の正解に近い物であると、思ったのだ。
次に法典である。
去年亡くなった漫画家、桑田二郎さんの仏教の本がそれである。般若心経、観音経、法華経の3つである。
ざっくりいうと、7世紀の遣隋使・遣唐使で伝わった仏教=インドのバラモン教の方便の本である。
その頃から、色即是空という有=唯物は夢=霊界であり、その逆も真であるという考えだ。
見えぬものは除外するというカントの呪いに染まり始めたのは、明治維新の頃。神仏習合から分離される戦時までは、神様という一つの自然にたいして祈ったりした。
唯物主義になり、科学が進み、原子、素粒子まで細かく観測できた。そして量子力学という多次元まで手をのばしたが、一種の壁も見つかった。
それを打破するのが、「霊界の存在の証明」である。そのあたりは40年以内に実現できるはず。
なろう小説にある、転生と死生観の言葉が世界に輸出され、この仮説が正しかったことがいつか示されることを願う。
なろう小説は個々に眠る魂の死生観の漏れ出しであり、法典は過去の「霊界見えちゃってる偉い人」が残したたとえ話である。
自分は、死生観の用語は桑田二郎さんが残した言葉をそのままリスペクトするべきだと思っている。
いつかは聖書を清書したいな♪




