18-35. なろう祇魂学をひろめよう! なろう天性教は、死の先は考えない
18-35. なろう祇魂学をひろめよう! なろう天性教は、死の先は考えない
前のSLGゲーム例を読んだ人はどう感じただろうか。
中世のカイル編→近未来SFのワタナベ編→現代のカズヨシ編の3ストーリーを一巡して魂ちゃんはゲームを楽しんだ。
自分が直感で感じた死生観がこれである。
時代を超越できる魂は、過去と未来関係なくヒトの肉体に入り意識として操作する。その肉体の生命活動の停止=死をもって、次の時代の肉体に入る。与えられた宿命=カルマは最初の段階でほぼ決まっていて、順番にクリアする必要がある。
生と死の間、転籍先のヒトの情報は分からないが、過去の肉体は操作している魂の影響で多少わかってしまう。ワタナベはカズヨシを知らないが、カイルの行動原理と成長は深層心理に刻まれている。
現代における、ヒトの活動は様々だ。未来が見えてしまうと嫌な人がいるだろう。だから強制する必要はない。
必要な人だけ前世の情報=特性を知ればよいし、与えられた宿命=カルマを若い時に確認する事で、より早く解決できるかもしれないのだ。
簡単に言えば、人生攻略wikiである。ネタバレを見る事で、時短になるかもしれないが初見のドキドキが減ってしまう。ちょっとずるいかもしれないが、他よりも有利な情報を持って選択する事ができる。
なろう天性教は、転生ではなく天性を使う。天性とは生まれながらに持つ才能であり、これは肉体に付与された魂の存在を知り、その人のため、その魂の進化のためにベストを尽くす組織である。
その肉体が停止して死んだあとのことは考えない。葬式はするだろうが。
既存の宗教は、生きたこの肉体でより良い活動をして、死後の世界に向けるものであり、生まれる前の情報は考えない。
一方なろう天性教は、生まれる前の情報全てを活用して、今生きる肉体を最大限活用して、操作している魂に向けて最大の誠意と活用を信じるものである。死後は次のバトン=転生先肉体に託すのみである。
既存宗教は、現世→死後。なろう天性教は前世→現代を見ている。
今生きている人は、操作している魂がおふざけで何かしらの情報を流しているかもしれない。
たとえば、夢や直感でちょっとだけ前世や魂の情報を混ぜ込んだり。
関わる人の名前を並べたら、魂に関する情報を埋め込んでみたり。
ふと寄り道させて、移動したルートを線でつなぐと何かしらの絵になったり。
偶然、小説家になろうを読ませて気づかせようとしたり。
そうした「魂のおふざけ」は受け取る肉体しだいということだ。自分の場合は、小説家になろうにこのエッセイを残したこと。哲学や仏教の本を読み漁る時間をチャンスを貰えたこと。桑田二郎さんや魚豊さんの本に出会えたこと。半年前から直感を残したら、その風景に近づくイベントが多数起きた事で確信した。
「この肉体を操る魂の存在を証明する。それを達成するための意識改革と行動が今世のカルマ=宿命である」
大金持ちや名誉を受けることが魂の進化ではない。自分を信じ気づき、自己中に行動して託す事。それが事実でなかったとしても、そう信じて行動した過程こそが霊的な進化なのだ。
先天的な苦難、環境はこれからさきにぶち当たる宿命のための準備であり、悲しむことはない。むしろ、その苦労を楽しめといわんばかりの舞台である。