18-31. なろう祇魂学をひろめよう! 託す人は稼がなくてよい。希望を残せばよい。
18-31. なろう祇魂学をひろめよう! 託す人は稼がなくてよい。希望を残せばよい。
「チ。」で印象的なのは、何か資料を残し、それの中身を知らない人でも信じて笑顔で死んでいくことだ。
自分は一通り読んで、老衰で亡くなった漫画家、桑田二郎さんを思い出した。彼は、55歳以降で仏教の経典に興味を持ち、20年かけて考えをまとめて本にした。85歳で亡くなったそうだ。
彼はそれで大金を得ようとしたわけでもなく、興味を持ってそれを純粋に探求した。それを彼が生計を立ててきた漫画によって表現して残しただけなのだ。
誰かに褒めてほしい。(有名漫画家として残っているが、)対価を得たいという欲望で書いたとは自分は思っていない。直感とあくなき探求心である。
本の最後に、「こうして見えない聖霊に導かれて観音経の解読は完成し、本としてまとめることができた」「おそらく見えない次元の精霊さまも喜んでくださっていると思うよ」と残した。
桑田さんは、直感から瞑想に興味を持ち独学で漫画形式で本にまとめた。そして数年前から、日本でなろう小説が流行して、誰でも文字を書き残して保全できる時代になった。ちょうどその頃、アラフォーとしておっさんが直感で、霊界の存在を証明する興味のためにエッセイを残した。
2020年に桑田さんが亡くなり、もう彼の意思を対話で聞くことはできなくなった。その代わり、彼が託した漫画本から読み取ることができる。ここで、この貴重な資料の価値に誰も気づかなかったら、ネットの海に飲まれて消えてしまうだろう。
ちょうど、「チ。」の逃げた二人が偶然、石箱を見つけたシーンに似ていると思った。桑田さんは、興味で調べて石箱にマンガを残した。それを手に取った一部の変人が、その意思を次いでブラッシュアップして後世に残すのだ。彼もまた、誰かの意思を継いで書いたのかもしれない。先の人の話ではなく、先代と受け取った人の魂の進化による結晶なのだ。
これで一つの答え合わせができた。なぜ自分が1980年代の神奈川県に生まれ、今この生活があるのか。桑田さんの本と出会い、なろう小説に出会い、何かを残し、感動している。
大金持ちになることではない。直感を信じ、残し託し、感動したまま死ぬことだ。
この世に希望を感じる心を失ってはいけない。