18-22. なろう祇魂学をひろめよう! 人の善悪、魂の善悪の違い
18-22. なろう祇魂学をひろめよう! 人の善悪、魂の善悪の違い
物乞いに小銭を渡した場面を見たら、その人が善行したと人々は思うだろう。
善良な市民を撃ち殺したら、悪人だと人々は思うだろう。
しかし、魂の観点の善悪とは異なる。
寄付したという行動自体を善行とみる生物界に対して、魂に対して正しく理解したうえで行動できたかどうかで判断するのが霊界である。
スピリチュアルな観点でいうと、感情のブレは感度を鈍らせる要素でしかない。無感情であり、客観的に見る事が、瞑想における要素として色々な書物に書かれている。
何故かこのあたりは世界各地、時代に関係なく共通している事が多いのが不思議である。
おそらく、魂共通の考えが漏れ出し、各地各時代の偉人にそれが届いたのであろう。
見えない英知にアクセスするには、「心を無にして邪心や欲望を払うこと」が大前提にあるということだ。
人間界における善行は、見える行動であり、やらぬ善よりやる偽善と言われている。
生霊界における善行は、霊的な進化=霊の正しい理解・様々な経験・宿命の解決が善であり、
憎悪恨み憎しみ私利私欲などの心が悪なのだ。
実際に起こす人間の全よりも、心の進化と達成が良しとされる。魂か創造主が善悪の結果を判断する。決して生きている人の相対的評価ではないことは断言できる。
生物を殺し食べることは一見罪のようにも思えるかもしれないが、霊界から見たら必ずしも悪ではない。
数億円を寄付する事よりも、その人が魂と宿命を真に理解し、苦労して突破して悟る事が魂の善となる。