18-13. なろう祇魂学をひろめよう! 死は旅行の別れであり、感謝の笑顔である
18-13. なろう祇魂学をひろめよう! 死は旅行の別れであり、感謝の笑顔である
なろう転生の観点において、トラック事故死は出発点でありテンプレートである。
恐ろしいことに、自分の直感では「魂ガチャ」なるリセマラ=自死を選ぶ少年青年が増えると見ている。
霊界の存在の証明から、ステータスオープン(付帯する霊魂の履歴書)が見れるようになると、生まれながらに年収や適性が分かってしまう。
本人が自覚を持つ7歳よりも前に、親がそれを知ってしまい、子を遺棄したり養子に出したりしてしまうのだ。
いわゆる「Nガチャ以下まとめ売り」の概念である。
生に対して、終わりの死がある。
自分が一番記憶に残っていることは、一緒に将棋をしてがんで亡くなった母方のじいちゃんである。
今でも感触を覚えている、冷えてゴムのように固く、動かない出棺前の亡骸である。
自然と悲しくなって、一人になった時に思い出して涙が出た。
肉体のおいては、赤子で生まれることがスタートであり、事故や寿命で死ぬことがエンドである。
魂の観点では、生まれは旅行の入国手続きであり、死は出国=帰国である。
魂はその肉体=海外旅行の経験をして、ホームステイ先の家族と仲良くなったりする。
出会いあれば別れあり。最後に握手したりハグしたり、お土産を貰ったりするだろう。
別れる時、泣くだろうか?
確かに別れは寂しいが、一緒に過ごせて楽しかった、ありがとう!ではないだろうか。
魂の視点では、人の死は感謝と笑顔で見送る事であり、負の感情を抱えて残った人の精神負担を残さない事である。
あと20年もすれば、2世代先の人たちは90歳を超えるだろう。
人の死は喜ぶものではない。一緒に話せて、触れて、忘れずに思い出して残りの人生の糧にする。
そういうものに、わたしはなりたい。